今年も行くぞ、ホノルルへ

2001年6月末、ある人から1通のEメールが届いた。その人は、昨年(2000年)
のホノルルマラソンに"チームぴあ"で参加していた人であった。私が書いた、
ホノルルマラソンのレポートを読んでくれたらしい。そして、今年のホノルル
マラソンにも出場するという。そして私は...?

昨年のホノルルマラソンは最高のレースだった
と思う。体調、ペース配分全てがうまくいった。
記録も満足できるものであった。その為かしばらくの間は、もうホノルルマラソンはこれで終わり。
もう出なくたっていい。もう一度走ろうという気持ちは湧いてこなかった。一昨年のホノルルマラソン
終了後は悔しい思いが強かったので、走り終わった翌日には、もう翌年の大会を目指していたの
だから、その思いは対照的だった。良いレースをして、満足してしまったからだろうか、なかなか
気持ちが前へと進まない。これって、レベルは低いけど一種の燃え尽き症候群なのかな?とさえ
思った。おまけに、昨年末から、歯の治療費に20万以上もかかってしまい、経済的にピンチだった。
今年は辞めよう。そんな気持ちが心の大半を占めていた。それでも、心の片隅にはいつもホノルル
マラソンが潜んでいたような気がする。でも無理かな? そんな感じが強かった。

この気持ちが揺らぎ始め、ホノルルマラソン出場を決意する切っ掛けとなったのは、従妹の結婚式に
出席する為に訪れたハワイで偶然開催されていたグレートアロハランに出場して走る楽しさを再確認
してからだ。やっぱりもう一度、大歓声を受けてホノルルを走りたい。と思い始め、さらにホノルルマラソン
記念アルバムを受け取ってからは、あの時の感動が思い起こされ、今年もまた!という気持ちがフツフツ
と湧き上がってきた。そしてこの思いにトドメを差したのがあの一通のEメールだった。
今年も参加するのですか?という私の問いかけに、勿論です!という返事がすぐに返って来た。
この何の迷いも無い、そんなこと当然でしょ!とでも言わんばかりの返事を受けて、決まった!
今年も出る。という決意がうまれた。

ところが大きな問題があった。それはやはり経済的な問題だ。昨年末の歯の治療費に重ねて、今度は
右側の歯(昨年末は左側だった)もしっかりしたものにする必要があったのだ。歯根の治療は済み、
あとはしっかりとした歯を入れるだけ、そこまで治療は進んでいたが、治療費が高いのはここからだ。
前回同様20万円近くの費用が掛かるらしい。これを行ってしまうと今年のホノルルは消えてしまう。
しかし、今やりたい!そう思った時にやらないと後悔しそうな気がしたので、歯医者さんに恐る恐る相談
してみることにした。『今どうしてもやりたい事があって、その為にお金が必要だから歯の治療を先延ばし
にすることはできませんか?』すると先生は『いいですよ!先に延ばしましょう!根の治療は済んでいる
から半年や1年先に延ばしても問題はないですよ!半年経ったら葉書出しますから一度見せに来て下さい』
という予想に反して、快い返事をしてくれた。良かった。これで何とかなりそうだ。行けるぞ!ホノルルへ!

私のホノルルマラソンには、ひとつ大きな目標が残っている。今年の目標は、ズバリ!寛平さんと並んで
走ること。今年は自分への挑戦ではない。間寛平さんへの挑戦だ。そうと決まったらやるしかない。練習だ!

さて、その練習についてだが、今年は、去年までとは違い、ただ走るトレーニングを行うだけではなく、自己流
の強化ポイントをいくつか設けて取組むことにした。

まずひとつは軽量化。と言っても靴の話しではない。自分自身の軽量化だ。人間の心肺機能を車のエンジン
にたとえるならば、車体重量は自分の体重だ。同じエンジンなら軽量ボディーのほうが速く走れるに決まって
いる。心肺機能(エンジンのパワー)を高めても良いのだが、ハーハーゼイゼイして走るのはちょっとしんどい。
自分の性格上、これは長続きしないと思う。気持ち良いペースで走ってタイムを縮め、寛平さんのレベルに
近づきたい。と思う。それには自分の体重を落すのが1番手っ取り早いと考えた。そしてどこまで軽量化する
かだが、寛平さんと走る為には、少なくとも4時間を切れるくらいの走力が欲しい。昨年の完走タイムは、
4時間21分だから、あと20分程度速く走れなければいけない。20分縮めるためには、昨年のホノルル
マラソンと同じ心肺機能を維持したとして、体重をあと5キロ落し68キロにしなければいけないと言う事が
理論上、判明した。ということで先ず第一に5kgの減量。これを目標に掲げる!!

次に筋力アップ。腹筋、背筋、大腿筋を鍛え上げる。特に大腿筋は、ヒザの故障を防ぐ為、またこれまでの
レースでも何度か、けいれんを起こしている為、重点的にスクワットなどで鍛え上げようと思っている。
その為に毎日の筋トレを欠かさず行い、上り坂を意欲的に走る。

さらにもうひとつ、筋肉の柔軟性。私は非常に身体が硬い。立位体前屈で指先が床につかない。
この硬さを解消することで、ランニングにどうゆうメリットがあるのかは分からないが、とにかくホノルルマラソン
当日までには、指先が床につくように鍛錬しようと思う。それによって、怪我が少なくなったり、走りがスムーズ
になったりしたら、それはすごく嬉しいことだし、仮に何の効果がなくても、スタート前のストレッチで膝にお腹が
ぴたっとくっ付くところを周りの人に見せつけたら、ちょっとは速そうに見えるかもしれない。どっちにしても自分
にとってマイナスにはならないだろう。

以上の3点を柱にして、2001年のホノルルマラソンに挑む。その過程で、心肺機能が高まればそれに越した
事はないし、筋力をアップすることでスピードまで身につけばそれは大歓迎だ。でもそれらの副産物は産まれ
なくても良い。数字ではっきりと判断できる体重を5キロ減らし、筋トレを欠かさずにやって行きさえすれば、
必ず結果はついてくる。そう信じてやっていこうと思う。

ただ、ひとつ問題がある。今回の目標は自分ではない。寛平さんだ。自分が4時間で走ったとしても、
寛平さんが3時間30分で走ったのでは追いつく事はできない。良い結果を残せたのに目標達成に到らないと
ちょっと気分が悪いのでもうひとつの目標を掲げる。それはサブフォーだ。このサブフォーは自分にとって大いに
意味のある目標だ。近い将来、ウルトラマラソンを目指そうと思っている自分にとって、その為の最終課題が
フルマラソン4時間以内での完走と以前(荒川市民マラソンの頃)決めた。今もその気持ちは変わらない。
フルマラソンで切りの良い、満足の行く記録を残して、ウルトラマラソンのスタートへと向かいたい。そう言う
意味で、今年のホノルルマラソンのゴールの向こう側には、ウルトラマラソンのスタート地点がある。
そう、ホノルルのゴールはサロマ湖100kmのスタートなのだ。作戦も立った。目標も掲げた。あとは練習して
身体を鍛えるだけ。2001年ホノルルマラソン寛平ちゃんと走って4時間を切ろう!大作戦の開始だ!
作戦の開始日は7月1日とする。

まずは、軽量化。あえて減量とは呼ばない。何故なら減量というとどうしても苦しいマイナスのイメージがある
からだ。軽量化!何となくポジティブな感じがするのは私だけだろうか? とりあえずの目標としては、8月末
までに70キロを切りたいと思っている。走った直後でもいい、風呂上りでもいい、トイレから出た直後でも、
なんでも良いから60キロ台の数字を目にしたい。これが達成できれば、走りこみの量を増やせる9〜12月で
2キロは楽に落せると踏んでいる。夏が勝負だ。基本的に、体重の増減は摂取したカロリーと消費したカロリー
の差であるらしい。体重が70kg以上ある私の場合、1日の消費カロリーは約2200kcalとなる。(特に運動など
せず日常生活を普通に行った場合)ということは、摂取カロリーを2200kcal以内に抑えれば、運動などしなく
ても体重は増えないということになる。そこで、摂取する食べ物のカロリーに気を配ろうと思う。まず朝食。
これはいつも殆ど同じ。食パン1枚にマーガリンを塗り、プチトマトを5〜6個、ヨーグルト(小)、牛乳といった
感じで約400kcal。昼食は、コンビニで購入したものを食べる事が多いので、カロリー表記されているものを
選び、出来るだけ400kcal以内におさめる。ここまでで800kcal。残りの1400kcalを夕食と間食などで超えない
ようにすれば良い。間食を控えれば、夕食はかなり余裕がありそうだ。でもこれだけでは体重が変動しない
と思うので、消費カロリーを増やさなければいけない。消費カロリーはランニングの場合、距離×体重だそう
なので、私の場合、10km走れば体重を72kgとして、約720kcal消費した事になる。これで720kcal分の
軽量化が進むと言う訳だ。実際のところ、この720kcalが体重何グラムに相当するかは分からないが、
720kcalといえば、コンビニの大盛牛丼くらいのボリュームがあるわけだから、それを食べるか、食べないか
の差は、体重増減に関しては大きいと言えるだろう。

体重測定は1日のうちに何回か行うつもりだが、起きた直後。またはジョギングを行った日は、その直後が
一番軽いと思うので、この時に測定された体重を最低体重と位置付け、この数字が68キロに達するよう
頑張って行くつもりだ。

さて実際はどうだったかというと、作戦決行後、7月3日の最低体重(走った直後)が72.5kg。
これが7月10日には、71.0kgを記録した。これまでの経験によると、減量には波がある。一度落ち始めた
体重は、その時の生活パターンを維持する事で2〜3kgくらいは一気に落せるのだ。その後、しばらく停滞
するが、落ちた体重を2〜3ヶ月キープできれば、また次の波がくる。7月10日付近に1度目の波がきていた。
これに乗って8月末までに70kgまで落せば、9,10の2ヶ月間、この体重をキープし11、12月の波でさらに2〜3kg
落せると読んだ。目標体重68kg、これがサブフォーへの大きな鍵となりそうだ。

次に筋力アップ。これは、できるだけ毎日欠かさずに、腹筋,背筋,腕立て伏せ、スクワットをそれぞれ20回
づつ1セットとして3〜5セット行う。筋力アップについては、効果が数字で現れる訳ではないので、成果が
掴みづらいが地道に積み重ねていき、体型や走りの中で効果を実感できればそれで良し、仮に変化が無く
とも、とにかく続けて行くことに力を注ぐ。始めは面倒くさくて、ちょっと負担にもなったが、何日か続けて行くと
やらないと何か気持ち悪い感じがしてきた。こうなればしめたもので、日常の生活パターンの一部になってくる。
テレビを見ながら筋トレ。食後に筋トレ。お腹が空いてきたら、お菓子に手を伸ばすのを我慢して筋トレ。
とにかく、時間があれば、筋トレを行う。これが、必ず実を結ぶ。そう信じて続けて行く。7月の終わり頃には
腹筋の成果が現れたのか、お腹の贅肉が取れ始め、うっすらと筋肉が浮かび上がるようになってきた。
鏡に自分の身体を写して、体型をチェックしている私を妻は冷ややかな視線で見ていたのはわかっていたが、
そんなことは気にしない。これくらいしか成果を確認する方法がないんだから...そしてウエストは、7月末で
大学生の頃とほぼ同じ76cmにまで絞られてきた。ちなみに最大では、90cm前後までいっていたので、その
当時のズボンを履くとかなりダラしなく見える。

最後に柔軟性。これは効果がはっきりと分かる。はじめはスネまでしか届かなかった指先が、何日かすると
くるぶしまで届き、さらにつま先、床へと、徐々に身体が柔らかくなっていくのを実感できる。さらに開脚して
の柔軟も、はじめは足を真っ直ぐのばして開く事すらできなかったのが、開けるようになり、さらに身体を前に
倒せるようになってきた。効果が現れ始めると、楽しくなってくる。何だ!やればできるじゃん! 
日に日に柔らかくなって行く自分の身体が嬉しい。ホノルルマラソンの頃には、足を開いて床にべったり、
なんて夢のような姿を思い浮かべて毎日柔軟体操に励む。

7月から始めた、2001年ホノルルマラソンのトレーニング。順調に進んでいったかというとそうでもない。
距離(時間)は酷暑の割には稼げたように思う。実際のところ7月はレースを含めて180kmというこれまでで
最高の距離を稼いでいた。しかし一番のネックとなったのは右ヒザ。美瑛で行われたヘルシーマラソンの
下り坂でかなりのダメージを受けてしまったようで、平坦なコースでは痛みは発生しないが、下り坂になると
痛み出す。それでも1日10km程度走っても、翌日はまたもとの状態に戻っていたので、悪化はしていない
ようだった。このペースで練習を続けて行って少しづつでも回復に向かってくれればと思うのだが...
このままの状態だと、一度に長い距離を踏む事が出来ない。というか恐くて走れ無い。8月、9月と月日を
重ねて行っても回復しないようだと、練習量を一度落すか、一時練習を中止しなければいけないかも...
この点が唯一気掛かりだった。そしてその不安は、7月末に行われた富士北麓24時間リレーマラソンでも
発生した。24時間の間にインターバルをはさみながら合計で22周(約42km)走ったのだが、後半は、痛み
に耐えながらの走りになった。終わった直後は階段を降りるのに手摺を使わなければならないほど痛んだ
ので、8月は休養と一度はあきらめた。しかし2,3日経つと痛みが和らぎ、レース前の状態(それよりよい
状態?)に戻った。さらに下り坂を走ってもそれほど痛みは起らなくなった。そういえば24時間リレー以降、
試した事がひとつある。それはチタンテープ。このテープを痛むところ、気になる所に貼っておいた効果が
あったのかもしれない。何はともあれヒザの具合は順調に快方へ向かっているようだった。
それから24時間リレーの翌週、湘南海岸サイクリングロードで開催された湘南月例マラソンでは、昨年
11月に記録した10kmの自己ベストにあと6秒と迫る好記録が出た。去年のホノルルマラソン以降、練習
をサボり気味で長らく低迷していたが、これで少なくとも去年のホノルルマラソンの状態には戻ったと言え
そうだ。あとは残りの期間でいかに上積みできるかにかかっている。ホノルルマラソンまで残り4ヶ月、
申込の時期が近づいてきた。

ここから先は、月をおって書いていこうと思う。ホノルルマラソンまでの期間をどのように過ごしたか、
お暇な方は、どうぞお付き合いください。


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