2004富士北麓24時間リレーマラソン 
                     −サムズ・アップリベンジチーム T.K−

プロローグ
同じ時間、同じ空間、同じ状況これらを共有した仲間にしか分からない苦しさがある。時には逃げ出して
しまいたくなるほどの痛みが訪れ、時には思うままに動けないという苛立ちが生じ、全てを注ぎ込んでいる
のに結果が伴なわないと言う絶望感さえ生まれる。でもこの苦しさに立ち向かって、一つの事をやり遂げた
時には、この苦しさが、何倍もの感動を生み出し、仲間同士を固い絆で結び、次のステップへの大きな
推進力を生み出す。

サムズ・アップリベンジというチーム名の由来、これは1年前に遡る。2003年富士北麓24時間リレーで失った
何かを取り戻す為、レース後に味わった虚しさを払拭する為にこのチームは結成された。あの時、私達から
大事なものを奪い去って行ったチームへ、いやそれよりもあの時、レース途中で勝負を諦めてしまった自分
達へのリベンジを果たすため、12名の志士達が招集された。



メンバー紹介
リベンジチームの志士12名を基本ローテーション順に紹介する。
(私個人の印象なんで実際は違うのかも??? その辺はご容赦下さい)

ネクちゃん:リベンジチームのリーダー、責任感が強く、また逆境に強い走力を兼ね備えている。
寝起きの悪いのが、たまに傷ってところか?

晴れ男さん:ひと言で言えば鬼軍曹。大きな声で怒鳴り、みんなのタイムを引き上げる。満身創痍の
身体がどこまで持つか心配だが、気力・精神力で走るタイプなんで心配無用か?

T.K:私。自分で言うのも何だが、サムズ全体の取り纏めを行っている。これまではそれを理由に
勝負チームから逃げていたが、今年は雑用を捨て走りに専念する。苦しくなった時に逃げ道を探す
のが得意? 今回は退路を断って邁進する?

タカさん:チーム最年少。見た目はおとなしそうな好青年。洗練されたフォームで快走する姿は、
鹿のように美しい。 でも発言はかなり強気。

純米酒さん:いつも飄々としていて柳のような存在?外見はひ弱そうに見えるが、意外と芯が太く、
しっかりと結果を残してくる。潜在能力は相当なもの?

やまはさん:はにかんだ笑顔が印象的。悲壮感を漂わせながら走る姿に”サムズの抱かれたい男No.1”
という噂も??? 今回は髪の毛を短く刈り込み気合充分?後半戦でタイムの落込みをいかに抑えるかが鍵?

HANZAさん:最年長者で経験も豊富。チームにとっては欠かせない存在。近くにいると何故か雰囲
気が落着きます。この大会へ向けて体重を絞り込んだとか… 強い意気込みを感じます。

R555さん:チーム唯一の女性。明るい笑顔で周りの雰囲気を和ませます。持久戦はお得意分野。
暑さと上り坂の克服が鍵か?

いっちさん:人懐っこい笑顔でみんなに可愛がられる存在だったが、結婚して逞しさが増したような。
鬼軍曹の怒鳴り声に一番良く反応するタイプ。

でんでんさん:日を追う毎に速さ、強さ、逞しさが増していく、今チームNo.1の成長株。優しくて、責任感
が強くて、好感が持てます。入会当初は私の後ろを走っていたのに、いつのまにか私が背中をみて走る
ようになってました。置いてかないで〜

ひあーるさん:制御不能の暴走機関車? 襷を受けるとブッとんで行きます。苦しくても、タイムが落ち
ても走ろうとする根性が売り。 持ち前の勝負根性でペースダウンをどこまで抑えこめるかが鍵? 今更、
”抑えて、抑えて”なんて野暮な事は言いません。

曙さん:速い(計算が),強い(データに),逞しい(体型が)、違った意味で三拍子揃った関取じゃなくて
ランナー。今回は走り半分、サポート半分でチームに貢献。能力を存分に生かせるかな?

以上12名の志士達が長くて険しい道のりを歩み出す。
2004年富士北麓24時間リレー、地獄の扉を叩く志士(オープニングランナー)は”でんでんさん”だ!

第1章 スタート! 栄光のゴールへ向って
2004年7月17日(土)12:00 第10回富士北麓24時間リレーマラソンの
スタートが切られた。リベンジチームのオープニングランナーはでんでん
さん。周りの圧倒的なスピードに巻きこまれ、普段はガッチリと自分のペ
ースをキープするでんでんさんが珍しくペースを乱した。オープニング
ラップは、5:38 かなり速い。それでも順位は20位以降というんだから、
いかに他のチームが無理しているかがわかる。ここから基本ローテーション
開始。チームの目標は全体の平均ペースを6:30として221周の周回を
重ね、10位入賞を果たすというもの。ちなみに221周という成績は、前年
の大会なら8位に相当する。

私の最初の出番は、4走目。でんでんさん→ネクチャン→晴れ男さんと
快調な襷リレーが続いたあと、出走した。晴れ男さんから『涼しいですよ』
と一言声を掛けられて襷を受け取った。確かに暑くは無かった。それほど
無理することなく走り、6:06でタカさんに襷を繋いだ。まずまず。。。と言っ

スマイルMARKさん(黄緑色のシャツ)と
リベンジでんでんさん(その隣り)
たところか。襷は順調につながり、基本ローテが一巡した時点での順位は12,13番手といったところ。好調な滑り
出し。チーム平均ラップ6:08は、やや速すぎる感も。。。

チームの作戦としては6巡するまで基本ローテを守り7巡目から夜間フォーメーションへ移行するというもの。
陽射しはそれほど強くなく、気温もあまり高くないというこの時期にしては良いコンディションの元、チームは予定を
上回るペースで順調に周回を重ねていった。3巡目あたりでは12位を確保。上位ともそれほど差が無く良い位置
をキープしているという印象を持っていたが、リーダーのネクチャンはやや焦りを感じていた。『早く10位以内に
食いこみ、入賞圏内を確保したい』これがチームを纏めるリーダーの考え方。当然と言えば当然。でもここで、
無理して上位のチームを追いかけたら、自滅する可能性もあるので、各自のペースを維持することに専念した。

4巡目、5巡目、チームとしては予定を大きく上回るラップで周回を重ねていったが、上位チームが落ちてこない。
焦りの気持がチーム全体に広がり始めた。例年6位〜10位の入賞常連チームが下位にいるにも関わらず、
10位以内に食いこめない。上位にはあまり聞いた事のないようなチームが加わっている。その正体は不明。
ちょっと嫌な感じが漂い始めたが、ペースは予想以上に速いし、打つ手は見当たらない。上位から落ちてくるの
を待つしか無い。ガマン、ガマン・・・
   
第2章 希望の兆し?
 
6巡目の後半あたりで10位をキープしていたチームが落ちてきた。それまで11位だったDNPトップチームが10
位に繰りあがり、サムズアップリベンジは、11位に上昇。あと1チーム捕えれば入賞圏内突入なのだが、10位の
DNPとはいっこうに差が縮まらない。むしろ広がる傾向にあった。このチームを相手に10位争いを繰り広げなけれ
ばならないとなると苦戦必至。そしてレースが進むうちにDNPというのが大日本印刷グループのチームである事が
判明。大日本印刷と言えば去年の優勝チーム。今年も1位の座をキープしている超強豪チーム。その大日本印
刷が2チーム体制で出場していた? そりゃ速い訳だ・・・ じゃ、その上にいる変な名前のチームは何なんだ?
と思ってエントリー人数をみてみると6名編成のチームが4チームも10位以内に入っていた。『これはイケる!』
6人なら後半戦に絶対落ちて来るはず。ガマンしていれば順位は確実に上がる。希望が見えてきた。この希望を
持って夜間ローテへと突入した。
   
第3章 地獄の一丁目? 夜間ローテーションの恐怖
当初の予定では6巡の基本ローテのあと、9人で廻すローテーション1回、5人で廻すローテーション1回を実行して
夜間の3人ローテーションへと移行する予定だった。しかしながら予定より速いペースでラップを重ねていたので、
7巡目までを基本ローテ。8巡目を5人ローテで廻してからの夜間ローテーションとなった。リベンジチームの夜間
ローテーションを簡単に解説すると、3人1組を4グループ作り、1組あたりの受持ちを約2時間(6巡18周)として、
3人が走り9人が休むと言う休息重視のローテーションを組んでいた。しかしながら私の属するAグループは、5人で
廻す変則ローテのあと、夜間ローテに突入。夜間ローテも他のグループより1巡多い7巡(21周)という設定になっ
ていた。『大丈夫かなぁ』という不安を抱きつつも、6人でエントリーしているチームが上位にいるという事でモチベー
ションは、高まっていた。晴れ男さんの『たかだか2時間、やるしかないだろ!』という発言に勇気付けられ、地獄の
ローテーションへと突入して行った。

1巡目:ネクチャン6分、晴れ男さん5分台、私6分15秒 平均ラップ6分4秒 順調!順調!まだまだこれから!
2巡目:ネクチャン5分台、晴れ男さん5分台、私6分23秒 平均ラップ6分2秒 俺の休憩時間が短くないか?
3巡目:ネクチャン6分、晴れ男さん6分、私6分26秒 平均ラップ6分11秒 微妙に疲れがたまり始めたが、何とか
4巡目:ネクチャン6分16、晴れ男さん6分29、私6分32秒 平均ラップ6分26秒 辛い! 6分30秒が切れない
5巡目:ネクチャン6分20、晴れ男さん6分47、私6分36秒 平均ラップ6分34秒 一杯、一杯だー!!
6巡目:ネクチャン6分36、晴れ男さん8分、私6分51秒 平均ラップ7分09秒 苦しいー、晴れ男さん腹痛発生

ということで6巡目にして大ピンチ。晴れ男さんは水あたりを起こし腹痛発生。顔色が良くない。私も足が上がらず、
呼吸も続かない。次の1本は大幅なタイム落ちが予想された。しかしここで救世主登場。Bグループのタカさんが
予定よりもやや早めに合流してくれたのだ。ネクチャン出走中の出来事だった。晴れ男さんと私が走れば7分越えは
必至。そこで『タカさん、すぐに走れます?』と聞くと『大丈夫ですよ』と力強い応えが。おぉーなんて頼もしいんだ。
ということで7巡目はネクチャンだけでBグループへスイッチ。ネクチャンが7巡目を6分45秒でまとめて、タカさんへと
襷を繋いだ。(ネクちゃん1人だけ苦しませてごめん! これもチーム勝利の為だから許して) この時は正直言っ
てやばかった。朝から復活する自信すら失っていた。 この時点で順位は11位。10位との差は1周から2周。射程
圏内ではあったが、予想以上の深夜ローテの過酷さに直面し、早朝5時、Aグループが合流した時にどうなってい
るのかという不安はひろがっていった。
   
第4章 朝、目覚めてみると。。。 
 
仮眠は車の中でとった。駐車場一番奥、競技場に最も近い場所に駐車していたマイカーの後部座席を倒し、簡易
ベッドを作成し、寝袋を敷いて寝た。遠くから微かに聞こえる声援。競技場入り口で毎年ゼッケンNo.を読み上げる
チームの声援を聞きながら、眠りについた。深い眠りではなかったが、身体を横たえた事で随分と楽にはなった。
そして腕時計のアラームが鳴った。午前4時。外は白み始めており、雨が降り出していた。
まず、恐々と足を動かしてみる、良し大丈夫。置きあがって立ちあがってみた、痛みはない。ゆっくりと歩き出した、
歩ける。階段を昇ったときに足に張りがあるのを実感したが、これなら何とか走れそうだ。去年のような事はないという
自信を深めた。トイレに行き、顔を洗い、Tシャツを着替え、軽い朝食を摂り、ストレッチを始めた。出走の準備を整え
走る気持を高めて、リレーゾーンへ足を運んだ。相変わらずの雨。時折強く降っていた。

本部に設置されているPCを覗くと、11位にサムズアップリベンジの名前が載っていた。健闘してるじゃないかぁと思
ったのも束の間、10位チームとの差をみると4周と3分の差。冷静に考えればこれは致命的とも思える差だった。
しかし上位チームをみてみると6名チームが8位、9位に落ちてきている。しかも8位チームは時折、8分台のラップ
が出るなど、ここへきての失速が進んでいたように思えた。差は6周あったが、まだ7時間以上ある。1時間に1周づつ
縮めていけばチャンスはある。こっちが6:30平均で向こうが7分平均なら1周で30秒づつ差が詰まるから、1時間で
5分弱。『ギリギリ行けるよー』とモチベーションを高めて、ラストの激走を終えた曙さんからネクチャンが襷を受けた。
   
第5章 スクランブル突入! 猛追するも。。。
 
夜間ローテ最終グループのDグループからAグループが襷を受けた。Aグループは復活後最初の1本と言うことで、
驚くようなラップこそ出なかったが、Dグループの居残り組(でんでんさん、ひあーるさん)を加えた5名で平均ラップ6分
30秒を刻み、追撃体制を整えた。そして追撃体制の始まりを待っていたかのように、雨が上がり空も明るくなり始めた。

スクランブル2巡目はAグループ+Bグループの6名。Aグループ3名(ネクチャン,晴れ男さん,私)は2本目と言うこと
で身体も暖まり6分前後の好タイムを叩き出し、Bグループ(タカさん,純米さん,やまはさん)もまずまずのタイムで続く。
スクランブル2巡目の平均ラップは6分15秒。10位DNPトップとの差はジリジリとしか縮まらないが、8位、9位との差
は1周詰まって5周差になった。このままDNPについていけば、一気に順位が2つあがるかもという勢いに乗り始めた。

スクランブル3巡目はA+B+C(HANZAさん、R555さん、いっちさん)のフォーメーション。やはり復活直後の1発
目でCグループのタイムは伸び悩んだが、Bグループが勢いに乗り始め、平均ラップは6分19秒になった。しかしここ
で異変が・・・ 落ちこむラップに苦しんでいた筈の8位、9位のチームが盛り返し始めた。時折5分台のラップを刻み
始めたのだ。『こいつら何者だ?』 『6人なのに何でこの時間に復活できるんだ?』 そんな声がちらほら出始めた
時に、タカさん情報が飛び込んだ。”10位以内にいる6名エントリーの4チームは全て筑波大学の陸上部関係者だ”
との事。”中には箱根駅伝学連選抜で出場して区間賞を取った鐘ヶ江選手も含まれている” という嬉しくない情報だ
った。恐らく休んでいた選手が復活してきたのだろう。大学の陸上部ともなれば、5周くらいは平気でこなす。それが
積み重なり、一時的にタイムを落したが、休んでいた選手が出てくれば、しばらくは安定したラップを刻みつづけるに
違いない。こうなったら6名チームが落ちてくるのをあてにしても無駄、。入賞を目指すにはDNPを追いかけるしかなく
なった。

スクランブル4巡目はでんでんさん、ひあーるさんも加わり、平均ラップ6分18秒を叩き出したが、DNPとの差は依然
として2周から3周。ここでリーダーが苦渋の決断。ラップの縮まらない選手を外して、急追体制に入った。スクランブル
5巡目はこの策が功を奏して平均ラップは6分12秒にまで上がった。ラップが1秒上がると1巡で約10秒。4巡目と5巡
目では8秒違うので80秒タイムが縮まった事になる。しかしそれでも10位DNPとの差は2周と3分程度ある。追いかけ
るこちらも必至なら、逃げる向こうも必至。

スクランブル6巡目、さらに1人絞り込み9人体制に突入。しかし絞り込む事でインターバルは短くなる。また1周1周の
疲労が蓄積し、歯車が1枚づつ欠けて行く。6巡目には夜間ローテ以外は殆ど6分30秒を大きく超える事の無かった
ひあーるさんが7分近くにまで落ちこんだ。負けず嫌いのひあーるさんがここまでタイムを落すという事は相当な疲労が
想像される。それでも彼は走ろうとしたが、リーダーのネクチャンは、ひあーるさんを7巡目のメンバーから外した。入賞
を目指すためにはやむを得ない苦渋の選択だったと思う。
   
第6章 奇跡を信じて。。。
 

スクランブル7巡目は8人体制に入った。DNPとの差は2周あった。
残り時間は1時間30分。状況としては非常に厳しかった。それは
皆、分かっていた。でもここで諦めたら去年と同じ。最後の最後
まで戦いぬく。それこそがリベンジチームの真骨頂。先頭のネクチ
ャンが5分49秒で勢いをつける。晴れ男さんが6分5秒で続く。

私はこれが最後だと思って目一杯走ったが足が動かず6分15秒。
正直言ってこれがラストランだと思った。タカさんは5分45秒の好ラ
ップで再びチームに勢いをつけ、純米くんは6分20秒で繋いだ。
HANZAさんはこの大会への意気込みをぶつけて6分16秒を叩き
出し、膝が壊れかけている、いっちくんは、晴れ男さんの檄に応え
て6分20秒で粘った。そしてでんでんさんは、根性で5分57秒を
叩き出し、7巡目の平均ラップは6分6秒に急上昇した。この1本に
勝負を掛けた。残り時間45分。『やるだけの事はやった』 ある種の
満足感を胸に抱き、速報を覗いてみると、この1巡の間に差は1周
以上縮まり、同一周回の4分差まで詰まっていたのだ。

実は7巡目が始まったあと、リーダーのネクチャンは、私にアンカー
を頼むと告げてきた。今のメンバーでベストを尽くすなら2周以上
走らなければならないアンカーは私では無い筈。そう言って一度は
断ったが是非に!との事で受け入れていた。それは、私が大会前
に富士北麓にフル出場できるのは今年が最後かも・・・と告げていた
ことに対する彼なりのお膳立てだったのかもしれない。それを察して
何となく断りきれなくなった。気持は嬉しかった。でも正直複雑な
気持だった。自分は、このチームでNo.1ではない。最後に襷を
受けるアンカーは最も速く走れる人が務めるべき。そうでなければ、
勝負を諦めた事になる。確かに入賞は諦めざるを得ないような状況
に陥っていたが・・・

しかしこの直後、7巡目で状況は一変した。

DNPとの差が4分を切ったのを確認したのはネクチャンの出走中だ
った。『何があったんだ?』、ざわつく仲間達。『兎に角10位のチー
ムと3分差まで迫っているんだ。こうなったら俺がアンカーやってる
場合じゃないよ。6分平均でいけばもう一度ネクチャンに襷を繋げら
れる。アンカー勝負に持ちこもう!!』と言う事で方針が決まった。
最終ローテーション。ネクチャンが襷を受けたのは11時14分47秒。
リレーゾーンのクローズは11時45分ちょうど。残り時間30分13秒。
今走っているネクチャン、晴れ男さん、タカさん、私、でんでんさん
(7巡目のラップ上位5名)が6分平均で行ければもう一度、ネクチ
ャンに繋がる。もし繋げる事ができれば奇跡が起こる。そう信じて、
全てを賭けた。

ネクチャンが5分51秒で戻ってきた。晴れ男さんが魂のこもった熱
い走りで5分57秒を叩き出した。タカさんへ襷を繋いだ時には倒れ
こまんばかりの激走だった。タカさんはこれまで流れるような洗練さ
れたフォームで走りつづけてきたが、最後の1本は、顔を歪めて
首を左右に大きく振り、なりふり構わぬ走りで5分37秒という脅威的
なラップを叩き出した。そして私…限界は感じていた。前の1周で
全てを出し尽くした。次のでんでんさんは6分を切るだろう。
アンカーに襷を繋げられるかどうかは自分次第だ。そう思ったら、
全身に鳥肌が立ってきた。『兎に角突っ込もう』覚悟を決めた。
襷を受けて、走り出した。フォームなんてこの際関係無い。
動くところを使って速く走りゃいいんだ。開き直った。上り坂に差しか
かってもストライドを狭める事無く力で押しとおした。坂を登り切った
時には酸欠で両腕が痺れていた。足は攣りそうなほど張っていた。
それでも500mを1分56秒で通過。この地点を2分以内で通過する
事は殆ど無かったのでここまでは速いペースだ。

2つ目の小さな坂を乗り越えた。呼吸が追いつかない。腕を思い
きり振ってペースが落ちないように押していく。下り坂手前1000mの
通過は3分57秒。肺が破裂しそうなほど苦しい。圧迫された背中が
何かで刺されたように痛む。下り坂はブレーキをかけず大股で下っ
た。この1本だけ耐えてくれと足に念じながら…

坂を下り終え競技場の裏通りに入ると、サムズのみんなが大声を張
り上げて声援を贈ってくれた。酸欠で視界が狭まり、誰がどこにいる
のか分からなかった。ただ速く走りたい、1秒でも速く、その思いだけ
で走った。競技場の入り口を曲がり残り100m。もう一度力を振り絞っ
てペースを上げた。そして、最後の襷リレー。でんでんさんに『お願
いします』と声を掛けて襷を渡した。でんでんさんはスクランブルに
入り、5分台を4連発。もうギリギリの状態に達していたが、ここでも、
根性の走りを見せて6分02秒で走りきった。

11時44分12秒。チームとして最後の襷リレーが行われた。リレーゾ
ーンクローズの僅か42秒前。あとはここまでチームを引っ張ってきた
ネクチャンに全てを託す。10位DNPとの差は2分弱。2周(3.2km)で
2分の差を詰めるのは容易な事ではないが、何かが起きそうな気が
していた。『さあ、あとは応援だ!』晴れ男さんの声に従い場所を移
して、ネクチャンの登場を願うように待った。
祈るような気持で待ちつづけた・・・

まずNo.19DNPのアンカーが走ってきた。『さあ来い、さあ来い、早く
来てくれー』 ネクちゃんの登場を待った。まずDNPのアンカーが、
サムズ応援団の前を通過した。苦痛に顔を歪めていた。フォームは
崩れ失速しているように見えた。『バテてる。』皆がそう思った。奇跡
が起こる。そう信じた。いや信じたかった。

ネクチャンの姿がみえたのは1分以上が経過してからだった。もはや
これまでかと思った瞬間、リーダーの頼もしい身体がカーブを曲がり、
こちらへ向って走ってきた。差は1分30秒。『1分差だゾー 追えー 
諦めるなー』と激を飛ばした。まだ分からない。あの勢いなら逆転でき
るかも・・・ 1年間かけてチームを1つに纏め上げ、最高のチームを
作り上げてきたネクチャンに一縷の望みを託した。

第7章 ノーサイド。。。

6分後、ネクチャンがサムズ応援団の前を通過した頃、DNPのアンカー
は栄光のゴールに達しようとしていた。結局奇跡は起こらなかった。
226周、去年の成績を10周以上上周り、10位DNPチームに僅か1分
足りず11位。24時間走り続けて、その差は1分。今年はレベルが高
かった。史上稀に見るハイレベルなレースとなった。これを演出したのは
筑波大学陸上部。6人のチームを4つ送り込み、全てが10位入賞を果
たした。現役の大学陸上部が・・・という気がしないでもないが、6人で
24時間襷を繋いだ訳だから、そこは敬意を表したい。その他、中央大学
1チーム、電機大学1チームということで、現役大学生チームが6チーム
の入賞を果たした。優勝は去年に続き大日本印刷。10位が同系列の









DNPトップチーム。残りの2チームは昨年3位の埼玉県警走友会が6位、昨年5位の柏高校OBが7位ということで
雑草集団のサムズアップに、入賞の椅子は回ってこなかった。入賞は果たせなかった。しかし去年とは違い、
やることは全てやったという満足感が漂った。それは自分自身についてもそうだったし、チームとしても… 
去年は10位入賞のチームが恨めしかった。でも今年は違う。24時間のうちの大半を10位、11位というところで争い
最後の最後まで競い合った者として祝福したい気持すらある。24時間リレーのカウントダウンが終了した瞬間にノー
サイド。敵も味方も関係無くなりお互い健闘を称え合う。24時間リレーならではの光景だ。この感動があるから苦しみ
に耐えられる。226周目のゴールを果たし、ウイニングランを終えて戻ってきたネクチャンを拍手で迎えた。
『ナイスラン、御疲れさま。』と労いの声を掛け スマイルチーム、リベンジチームが一緒になり、チーム全員でゴール
へ向って走り始めたそこは2004年富士北麓24時間リレーのゴールであるとともに、2005年のスタートでもある。


レース終了後のビールかけ。
入賞して祝杯のつもりだったのでちょっと
残念だったけど、全員一丸となっての結果
だから、仕方がない。
この後、5月に結婚した”いっち”夫婦,
近々パパになる、さるさん、リーダーのネク
チャン。それに私も胴上げされちゃいました。
富士急ハイランドのFUJIYAMA級の恐さで
した。でも良い思い出。。。

エピローグ
同じ時間、同じ空間、同じ状況これらを共有した仲間にしか分からない苦しさがある。時には逃げ出して
しまいたくなるほどの苦痛が訪れ、時には思うままに動けないという苛立ちが生じ、全てを注ぎ込んでいる
のに結果が伴なわないと言う絶望感さえ生まれる。でもこの苦しさに立ち向かって、一つの事をやり遂げた
時には、この苦しさが、何倍もの感動を生み出し、仲間同士を固い絆で結び、次のステップへの大きな
推進力を生み出す。今回、強豪チームに1分差まで詰め寄ることができたのは紛れもなく実力、でも越える
ことができなかったのも実力だ。入賞への志を持つ最強のメンバーを揃え、最善の戦略を練り、最高のパフ
ォーマンスを発揮したのだから、この実力を素直に受けとめよう。そして来年へ向けてまた走りだそう。


最後に 今回出場した鬼軍曹(晴れ男さん)が記した ”すばらしき11人の戦士達へ”を引用させて頂き
晴れ男さんを付け加え、
”すばらしき12人の志士達へ”とさせて頂く。

晴れ男さんへ
いつも大声を張り上げて叱咤激励を贈り続ける中島さん。他チームの人はこの声に恐れおののき、『あんな
チームでは絶対走りたくない』と思うでしょうね。でもチーム内の人間は、恐いなんて思ってないですよ。
この声に発奮して、動かない身体を動かし、諦めかけた気持を奮い立たせて、タイムを縮めることができるの
ですから。そして走り終わった後の『ナイスラン』という掛け声と笑顔。何度も励まされました。
チームをピリッと引き締める。この役目ができるのは、あなただけです。身体中ボロボロなのは分かりますが、
来年もこの大会に焦点を合わせて戻ってきてください。

以下 <すばらしき11人の戦士達へ
  晴れ男さん> より

帰りの車内で、今野君から「鶴見さん」という呼び方を聞いて、そういや彼はもう25歳
の青年ではなかったなぁと、失礼な話しだが、時の流れを再認識させられました。
レース途中、自分の走りにも、チーム状況にもさぞかし不安が募ったことでしょう。それ
でも、最後まで明るさを失わない、最高のリーダーを演じてくれましたね。
鶴見君の呼びかけに始まり、鶴見君で締めくくった大会でしたね。

いつもながら、これだけの個性派集団を取りまとめるという偉業を涼しい顔してこなして
しまう金子さんには本当に頭が上がりません。
チームメイトとなるのは初出場の時以来でしたね。走る前に「今回は同じチームですね」
と話し掛けた時の金子さんの表情に「リベンジはしたいけど、あんたとだけは同じチーム
になりたく無かったよ。」という台詞が張り付いていたことが印象的です。
また、いつも冷静な金子さんが、あんなに弱気になったり、また、圧倒されるような熱い
走りを見せたりする姿は、長い付合いですが、はじめて見ました。
もちろん、悪い気はしませんでしたよ。

いわゆる「今どき」の若者が失ってしまったものをしっかりと身にまとっている大場君。
華麗でスマートさが漂うランニングフォームとは対照的な、高いプライドと意地と負けん
気で覆われた男くさい表情に個人的な好感を覚えています。
若いうちは、どんどん尖がってほしいです。男が男らしくて何が悪い。でしょう?
そんな、いつもスマートで強気な大場君が、フォームを崩して、顔も思いっきりゆがめて
走った最後の一週。例によって、手荒な声援をぶつけながら、独り言を囁いていました。
「やるじゃねぇか...。」

元々おとなしい性格なのか、レース前もレース中も決して自分を主張しようと前へ出てく
ることがなかった守屋君。正直なところ、こんなに線が細くて、リベンジチームで最後ま
で走りきれるのかと、レース前は心配でした。
なぁ〜んだ、なんだ、結果を見れば心配が余計なお世話だったわけです。平均ラップはし
っかり6分半を切っていやがる。そう言えば、レース中の夜のシフトに入る前のラスト1
本という時に「おい、休憩前なんだから、力を残さず次の1本で力出してこいよ」とけし
かけても「いや、良い感じなので、イーブンペースを崩しません」とはっきり言ってたっ
けね。ここにも一人戦士がいたかって、再認識させられました。

酒が入ると大きなことを言うけど、普段はいつも泣きそうな瞳が印象的なバイク
ヤローの堀江君。走る前は、まさか、僕が一番疲れがたまってきて、弱音を吐きそうに
なっている時に、この男に励まされるとは夢にも思いませんでした。
腹の調子が悪いと、どうもがいても切れのある走りができないといことは、これまでの経
験で僕もいやというほど知っているつもりです。今回は、堀江君がその被害者になってい
たようでしたが、確かにレース途中、弱気な言葉も耳にしました。
しかし、そんなことをチャラにして、たっぷりおつりが来るような走りをレース終盤見せ
てくれましたね。一番苦しい時間帯、しかも、容赦無い強い日差しの中、坂を下ってきて、
応援席の前を通過した時の堀江君は、お世辞にも速くは無かったです。しかし、その光景
を見ていた人なら誰でも、全てのランナーの中で一番真っ赤な顔をして、一呼吸毎に喘ぎ
声を上げながら走っている姿を目にしたはずです。僕が目にした、24時間の全ランナーの
中で、一番苦しい思いをしたのは、この男なんじゃないかと、その時ふと思い熱くなりました。

一体、いつからこいつはこんなにいい男になったんだい、と言いたくなるくらい、前回一
緒に走ったときとは別人になっていた一見君。走る前に楽しみにしていた「野次」は、結
局一度も使わずじまい。思わずでた独り言は、やはり「やるじゃねぇか...。」
今回は、声援を投げかける回数よりも、声援を投げてもらった回数のほうが明らかに上回
ってました。今じゃ、すっかり、頼りにしてます。
頼もしい戦士の一人です。

紅一点。筋力を要するあのコースで、女性というハンディを笑顔と根性で乗りきる不思議
なランナーのキャップ。
う〜ん...そうねぇ、色々逸話は尽きないけど、とりあえずこの言葉を贈ります。
おめでとう。よかったね。

長い付合いの方はご存知のように、僕は一年の中で、24時間駅伝に精神的なピークを調
整する数少ないランナーですが、もし、同じようにこの大会にピークを持って来ようとす
るランナーがサムズ・アップにいるかと聞かれれば、僕は迷うことなく半沢さんの名前を
挙げます。ここ数年、ずっと同じチームで走らせて頂き、ずうずうしくも、僕にとっての精神的
支柱とさせて頂いています。安定感があり、粘り強く、最後まで決して弱音を吐かずに明るく
振舞う。見習う点だらけです。今回も、その持ち味を遺憾無く発揮してくれてました。来年も、
同じ時期に同じ場所で一緒に走りたいですね。

確かに走力はあるんだろうけど、いかんせん線が細過ぎるのでは...。というのが、今大会
までの樋口君の印象でした。が、相変わらず人を見る目が養われていない、と情けなささえ
感じさせてくれる力強い走りを最後まで見せてくれましたね。最後に見せた、5分台の連発
には強い意思と言うより、意地すら感じさせられました。なぁ〜んだ、こいつもやっぱり戦士
だったのか。大場君のような派手さは無くとも、必ず期待どおりのタイムを出してくれた、
速くて、しかも安定感と責任感の溢れる走りは、きっとチームのみんなが認めているはずです。

実は人一倍負けん気が強くて、決して弱音など吐かない花岡君。
そんな持ち味が最後の最後にすばらしい形で現れましたね。
残り一時間を切った11時過ぎ。スクランブルも最終局面を迎え、現時点で比較的タイム
が落ちていない5人を選抜して勝負にでるというチームの決定が下された時。
この時間帯は、誰でも気持ちは最後の走りに気合が入ってきても、本音は、できれば走り
たくはないと言うほど、身体がボロボロなのです。それでも、花岡君は「中島さん頑張っ
てください。僕ですか、そりゃぁ、走らせてくれると言うのなら走りたいですが...。」深
底悔しそうに言っていたのを今でも鮮明に覚えています。
「絶対に、こいつが納得するような走りをしてやる。」9時過ぎから6分を切れなくなり、
足が言う事を聞いてくれない状況の中、最後の一本で意地の走りができたのは、この花岡
君の熱い一言のおかげだったと思っています。

本当なら他のメンバー同様にもっと周回数を重ねたかったんだろうね。しかし、そんな中
朝方の一番疲れが出る時間帯から、ずっと記録係を買って出てくれた曙君。
本当に助かりました。紛れもなく、チームに貢献していましたよ。
それに、個人的には、襷渡しを終えて戻った時に、「中島さん、5分○○秒です!」と嬉し
そうに曙君が叫んでくれる顔を見たいこともあって、最後まで頑張れた気がしています。
来年もリベンジチームの一員として戻って来たいんだろう?
それには、心身共に、一段と鍛え上げないとな。若いうちは可能性が無限です。
まさか、平均ラップ7分台でリベンジチームには入れるとは思っていないでしょうし。
期待してます。

僕は確かに地声は大きいかもしれませんが、誰に対しても、同じような声援を送れるというわけ
ではありません。僕が疲れている中も、思わず声を張り上げてしまうのは、そういう11人の戦士達
と戦うことができたからなのだと思っています。

     

以上、<すばらしき11人の戦士達へ   晴れ男さん>


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