2002年富士北麓24時間リレーマラソン           晴れ男

●プロローグ
こんなドラマがあったのか...。
それまで、3年連続で富士北麓を走っていた私には、出場を果たせなかった昨年の24時間
駅伝サンライズチームのレポート(T.Kさん執筆)を読んだときに、その時の状況が鮮明に目
に浮かんできた。1年ぶりのサムズ・アップへの参加となる横浜駅伝まで1ヶ月を切ったこの
時期、日々の練習への意気込みを高めたいという一心で読んでみたレポートだった。
しかし、読んだ後の心境はというと、大会へのモーチベーションが高まったのは言うまで
もないが、それと同時に、富士北麓でのこれまでの出来事を形に残したい、というものが
芽生えていた。

青臭いことではあるが、今後、ところかまわず弱音を吐きたくなるような状況に陥った時、
必ずや自分を励ましてくれるだろうあの経験を、記憶の中で不明瞭になっていく前に文章
にして残そう、とでも思ったのであろう。


1.アップなき始動
寝苦しい。
というより、目がくっつかない。身体は疲労しているし、起きていると眠いような気分さえ襲っ
てくる。しかし、いざ部屋を暗くして布団に入ると、目がくっつかない。「まいったなぁ。明日の
晩は走りどおしなのに...。」 時計を見て、時間の経過を知るたびに、寝ておかないと、
という強迫観念に苛まれた。ただでさえ寝下手であったが、当時の私には更なる不安要因が
加わり、普段にも増して「眠らなければ」という気持ちが強過ぎたのであろう。

思い出してもいまいましい話である。
3年務めた会社の退職に際し、方々からの要らぬ圧力に巻きこまれた私は、不覚にも胃を壊
し、2週間前の診断で「胃潰瘍」と告げられていた。なんとか普通に仕事ができていたので、
回復したはずだと楽観視していたし、また、大会前に不安を拭い去る意味でも「完治した」と
いう確証を欲したがため、木曜に別の病院で診断を受けたのだった。しかし、結果は「胃潰瘍」
今更ながら、女の子並みの肝の細さが恨めしかった。

酒に手を出そうにも、起床後即運転手を務めることになっていたので、そうもいかない。目を向
けてはいけないと思いながらもついつい時計を見てしまう。何の狂いもなく進む時計が無情に
感じた。朝は、寝過ごさなかったことに感謝しつつ、待ち合わせ場所へ早目に着くよう出発し
た。たとえ10分でもいいから、仮眠をとっておかないと、私の車に便乗予定のチームメイトに
心配をかけることになる。待ち合わせ場所の二子玉川駅には、早目に着いた。さすがに眠い。
というより、目と頭の疲労感が濃い。視界がかすみ、頭がとにかく重かった。
同乗のひろみさん、なす君、いっち君はきっと、朝からハイテンションなバカ男を期待していた
に違いない。とりあえず、笑顔で挨拶し、荷物を積んで予定通り早目に出発となった。形の上
では。しかし、これから始まる大会を前にした緊張感がひしひしと伝わってくる同乗の若者達と
は裏腹に、私のテンションは下がる一方であった。いつもなら、大会前の雰囲気を盛り上げよう
と、サービス精神が勝手に作動してくれるはずなのに、「ああ調子?悪くはないよ。まだ戦闘
モードに入っていないだけ。」とか、いい加減な返事をするのが精一杯。運転中、後部座席の
二人の声は聞こえなかったが、車内の雰囲気の重さばかりが肌を打った。それでも、時間と共
に距離は順調に進み、助手席のなす君とぽつぽつ話しながらの会場入りとなった。

サムズ・アップ青組は入賞を狙うことが目標であった。
リーダーはMAMORU君。面識はあったが、私は練習会へも不参加だったので、気心知れて
いるというには、ほど遠かった。そして、仕方が無いとは思ってはいたが、困ったことに、彼は明
らかにチームメイトとなる私にも気を使っていた。無理もない。このチームでは古株の部類に入る
し、これが北麓3回目。しかも、私の方がずっと年長と来ている。しかし、このMAMORU君がチ
ームのみんなに気を使いつつ、一生懸命立ちまわる姿が、それまで何となく気乗りしなかった私
の内情に小さな火をともしてくれた。「まったく、一人で雰囲気を乱してるんじゃねェ。慣れないの
にあんなに必死で立ち振舞っている若者の前で恥ずかしくないのか!」自問していた。
テントを張り終え、出走体制についてのミーティングを済ませ、軽くストレッチを始めた頃には、こ
れから一緒に走ることになるチームメイトのひろみさんに声を掛けられた。「戦闘モードに入った
ようですね」「おう!」と返事をしたつもりだったが、行きの車内で沈んだ雰囲気を作ってしまったこ
とを見透かされたようで恥ずかしく、彼女の顔に「まったく、しっかりして下さいよ!」と書いてある
ように感じ、思わず肩を竦めて、苦笑していた。それからの時間の経過は早かった。

いよいよスタート。
仲間のおかげで、心身共に温まった状態でレースに臨むことができた。そう思っていた。特に不安
も感じなかった。しかし、私は心の底で、寝不足と胃への心配を断ち切ることができないまま、大会
に入って行っていた、ということに気づいたのは、その直後であった。


2.恐怖の上り坂
リーダーのMAMORU君がスタートを切り、5分前半という驚異的なタイムをたたき出す。会場の雰
囲気も最高潮に達していた。次走は私。嫌が応にも、気持ちが高潮する。リーダーから襷を受けた。
今回からコースが変更になり、トラックを4分の1周程度走ったら、直ぐに外周コースへ出る。そして
間もなく、難関の上り坂にさしかかる。そして、この坂が、私の最も得意とするポイントでもあった。
昨年までは...。温まっていた気持ちに迷いが生じたのは、上り坂の頂上付近であった。得意の
上りで心拍数が急激に上昇したせいなのか、腹と背がくっ付くようで呼吸ができない。それどころか、
胃が背中から飛び出しそうになる。酸素が身体に入らない。胃がよじれたように感じる。二つ目の
上り坂までの平坦な道で、最初の上り坂で追いぬいたはずのランナー達に一気に抜き返された。
酸素が足へ運ばれないのか。キックが効かない。前へ進まない。
寝不足?胃潰瘍だから? 24時間走るのなんて到底無理だろう。 どうする。 どうしたらいい。 
何とかなるのか。仲間に正直に白状するしかないか。こんな時は、走っていても、決して前向きな
思考は芽生えてこない。もうダメなのか。下り坂でスピードは上がっても、テンションは上がってこない。
気持ち良く走れるはずの、応援席前の直線でも、走りが重かった。次走のオーラさんに襷を渡す。
タイムは、疲れ知らずのこの時間で、6分を切れなかった。訳の分からん疲労が早くも襲ってきた。
仲間には何とか、適当な返事をした。何とコメントしたか、よく覚えてはいない。鮮明に覚えている
のは、このままでは、24時間完走するのは無理だという恐怖感。仲間に申し訳ないという不甲斐なさ。
どうしても、前向きになれなかった。心身共に温まっていたというには、程遠いコンディションである
ことに、今頃になって気付いていた。2本目も、3本目も大してタイムは上がらない。走りに従来のノリ
が感じられない。走り自体には、決して手抜きはないということを自覚していた。失望感が足の重り
になっていたのだろうか。それどころか、左足アキレス腱を痛めてしまい、思わずチームの誰かに、
「走り終わった後にアキレス腱て、どうやって伸ばしてる?」と聞いた覚えがあるが、その時の表情
は悲壮感を隠そうと、冗談交じりに言ったつもりだが、笑顔を作れていただろうか。
走る度に味わう、坂の頂上での胃がよじれるような苦痛から逃げ出したかった。
それでも、自分の走る順番は回ってきた。どうする。どうしたらいい。もうだめなのか。これまでか。
24時間なんて到底...。情けない...。天からエールを受けたのは、そんな時だった。


3.仲間からのエール
スタート時から心配されていたようだが、積乱雲がものすごい勢いで天空を覆い、レース中断。
ランナー達は皆本部に避難し、屋内はすごい熱気が立ち込めていた。外では、風に負けたテント
が宙を舞っていた。天候の回復を待って、テントへ戻り、雨に濡れた荷物を整理している時に、日差
しが指してきた。それに合わせるかのように気温も湿度も上昇した。レース再開に際し、青組は、
MAMORU君からの再スタートとなった。つまり、すぐその後に私が走るということになる。中断中も、
努めて明るく振舞うチームメイト達、中でもリーダーとしての自覚なのか、MAMORU君の張りきりよう
には脱帽だった。そして、走りにも。チームのみんなが、入賞圏内まで順位を上げようというムードを
盛り上げていた。後ろ向きなのは自分だけ...。

そんな時だった。
暖かくなったからなのか。雷雨で会場がめちゃくちゃになったからなのだろうか。何がきっかけだった
のか、それまで、元気な振りをして、周りに合わせていた自分が恥ずかしく感じられ、何となくだが、
やっと目が覚めたような気分になった。本当にそろそろ目を覚まさないと、と自然に思えていた。
「何しに来たんだ、このクズ野郎!」なぜかは知らないが、気持ちが吹っ切れた。こんなもんである。

レース再開。
再スタートの時の、あの地響きのような盛り上がりも、助けになったのであろう。また、空気抵抗の強い
仮装のお面を脱ぎさったリーダーの走りが、何かを感じさせてくれたのだろうか、襷をもらった時、完全
に吹っ切れていた。走り始めてすぐに例の上り坂。もちろん、苦痛に変わりはなかったが、「レースが
終わるまで、疲れた、辛い、苦しい、足が痛い、胃が痛い、は決して二度と口にしない。弱気な顔も、
疲れた顔も見せない。」と思えた。誓った。タイムも5分半ばが出た。走った後の爽快感もある。これから
は、ずっと5分台で走ってやる、と無意識に心の底で思えていた。何の恐怖感もなくなっていた。
ここからは、自分が先頭に立ってチームを盛り上げていく。心に決めた。強気な表情を常に顔に貼り
付けて、何があっても、気持ちだけは折られない。絶対に折らない。折るもんか。折ってたまるか。

それから、夜のローテーションまでに、順位も順調に上がり、15位前後を行ったり来たりしていた序盤
が嘘のように、12、13位くらいになっていた。自然とチームの士気も高まり、弱音を吐くメンバーなど
誰もいなかった。このままいける、という雰囲気がみんなの走りにも、力を与えていた。夜になり、厳しい
ローテーションが待っていることも、この時に熱くなっていたメンバー達は考えることもできなかったので
あろう。それくらい、チーム全体が気持ち良く走っていた。この時点では...。

それから数時間が経ち...、
やがて、恐ろしい夜のローテーションに突入した。


3.勝負の夜
メンバーの半分を休ませるため、MAMORU君、私、オーラさん、ひろみさん、いっち君、R555さんの
6人編成で夜のローテーションは始まった。闇の中を全力で走ったあと、30分ちょっとのインターバルの
後、また走らねばならないという状況は、言葉で表すほど楽ではなかった。この間隔で3時間も走り続け
なければならないという現状も、徐々にメンバーの闘志の火を消し始めていた。5分台で走っていた者は
6分台へ、6分台だった者は、7分を切れなくなってきていた。しかし、一方で、この苦しい状況が、
メンバー達に今までにない一体感を与えつつあった。気づくと、順位は11位に定着しようとしていた。
MAMORU君、私、オーラさんで、引き離し、いっち君を含む女性陣で粘ってキープするという戦闘パタ
ーンができあがっていた。11位を手中にし、苦しみながらも、あとは10位のチームの背中だけを見据えて
走っていた時だった...。 一瞬の隙からチームにミスが出た。 順位を下げるまでは行かなかったが、
1分前後のタイムロスを出してしまった。この短いインターバルという過酷な状況に加え、上位での攻めぎ
合い。疲労、睡魔。少しでも気を抜くと、弱音を吐いてしまいそうな精神状態を支えていたのがメンバー同士
の励ましだったのは言うまでもない。そんな最後の支えであったチームの一体感にさえも、ひびが走りそうに
なっていた。それまで、散々大声を出して応援していたメンバー達が、しばらく言葉を失った。次走者は私。
不運によりトラブルの当事者になってしまったR555さんは、責任を感じていたのであろう。この時間帯、
疲労が峠に差し掛かっていたはずなのに、残りの力を振り絞って走るその姿勢からは、言葉にならないメッ
セージが伝わってきた。痛々しかった。彼女から襷を受け、心に誓った。もう一度チームの士気が高まるよう
な走りをする。それしかない。5分台で走りきり、オーラさんに襷を渡した。そして、オーラさんが走り終え、
戻ってきた。「ナイスラン!」「ナイスラン!」みんなからは声が出ていた。但し、重い雰囲気は拭い切れて
はいなかった。私のタイムを見て「タイム落ちないなァ」という、オーラさんからの声をきっかけに、一気に場
を盛り上げようとした。「このまま、5分台で走りきってやりますよ。まだまだ、行けます。疲れ?余裕っすよ。
なんせ、夜には強いんでね。一気に10位のチームを追撃と行こうじゃないか!」

とはいえ、士気は高まっても、だからと言って、足の疲労が回復するということはなかった。
それなのに、メンバーの誰もが、24時間という長丁場であることなど、すっかり忘れてしまったかのように、
毎回の走り一本一本に全力を注いでいた。こんなペースで、正午まで持つはずがない、という恐怖心を感
じていないメンバーはきっといなかっただろう。しかし、そのくせ、長丁場を見越して、余力を持って走ろうと
する者もいはしなかった。途中で走れなくなってしまったら、それまでってことよ。このメンバー達と心中する
ことをとっくに決めてしまったのだろうか。まったく、バカな連中ばかりでうんざりしてくる。

私の強がりにも、悲壮感が漂ってきたのだろう。無情にも徐々に6分に近づいていくタイムが隠し難い疲労を
示していた。そんな時だったと覚えているが、チーム一の若さを誇るいっち君を捕まえた。「こんな疲れた
おっさんでも、まだ5分台で踏ん張っているんだ。一回りも若いくせに、7分を切れないとはどういうことだ。
それでも男か!」はじめての北麓で、しかも膝に故障を抱えるいっち君は、その時点で心も折れそうになっ
ていたのだろう。私の荒っぽい激励に、直ぐに反応しては来なかった。 「無理っすよー。」
「足が動かないのはみんな一緒だ。男なら、気持ちだけで、6分台をたたき出して来い。みんなで応援して
やる。」無理やり納得させた形だったが、走順となった彼は、しぶしぶ出て行った。坂を下って応援席前の
直線へ戻ってきた時、彼の走りはフォームもバラバラ。バネは死んでいて、走っているというよりも、もがいて
いるようだった。例によって、荒っぽい激励を受けながらの気合だけのラストスパート。もがきながら、入口を
右折し競技場内へ入ってきた。もがいていた。何とか襷を渡し終えた。直ぐにタイムを算出する。メンバー
みんなが祈るような気持ちだっただろうか。タイムを知り、歓喜があがった。7分を大幅にオーバーしていた
疲労しきった若者が、6分40秒台をたたき出していた。 「勝てる。」 なぜかそう確信できた瞬間だった。


4.ゴールへの想い
朝になり、予定通りスクランブル体制に突入。9位のチームは遥か先を走っていたが、11位との差も走る度
に広げ、青組の入賞は確実になっていた。メンバー全員で走るようになり、インターバルも十分に取れるよう
になったせいなのか、また、応援が増えたこともあるのか、疲労を訴えるメンバーも減ってきていた。この期
に及んで、再び5分台をたたき出すメンバーも何人も出てきた。アンカーを決める時間だった。最後まで先頭
を走りチームを引っ張り続けた、リーダーのMAMORU君で誰にも異論はなかった。やがて、私にも、最後
の走順がまわってきた。これまで、意地と見栄を張り、強がり続けてきたが、最後くらい5分台にこだわらず、
楽しんで走ってもいいだろう、という気になっていた。なんせ、この時点で青組の順位はというと、私が普通
に6分半くらいで走り切れば、順位の変動など有り得ない位置を走っていたのだ。襷を受け、色々と感慨に
浸りながら走っている時に、ふと思った。走り終え、この襷を渡し、メンバーの所へ戻ったら、今まで強がって
来た想いを捨て去って、最後くらい堂々と弱音を吐こう。「ひとこと言ってもいいかなァ...。胃が痛いんだ。」
と、台詞まで決めていた。襷を渡し終え、達成感を覚えながらすっきりした穏やかな表情でみんなの所へ戻
ってきたはずである。シナリオどおりに、「.....。」
言おうと決めていた台詞を口に出そうとした瞬間、声が詰まった。
こりゃぁまずい、と思いサングラスをしたままその場を離れて、アキレス腱を伸ばす振りをして、壁に手をついた。
涙が止まらなかった。 支えてくれたメンバー達への感謝の気持ちだったのか。それとも、毎回上り坂の頂上
で味わった地獄の苦しみを思い出したのか。声を出して泣いたのは10年振りくらいだろうか。結果として、
みんなの前で弱音を吐かずに終わったのだが。「さすがに最後は、5分台で走れなかったわ...」こんな台詞
が、みんなの所に戻った時の第一声だっただろうか。現実の世界はシナリオどおりにはいかない。もちろん、
悪い気がするはずもなかった。

ゴール時間となる正午を迎えるカウントダウンの後、24時間共に頑張ったサムズ・アップの3チーム一緒にゴー
ルゲートをくぐった。再び感極まったが、涙が出る程ではなかった。10位入賞ということで、表彰式に出席し、
色々と副賞をもらい、記念撮影をした。テントを片付けながら、思い思いにレースを振り返ったり、来年への想い
を語ったりしただろうか。走っている時には気づかなかったが、やたらに強い真夏の日差しが、いつもよりも暑く
感じられた。口先からどういう言葉が出たかは思い出せないが、その時翌年のことを考えたとは覚えていない。
とにかく一刻も早く、グウタラな自分に戻りたかった。チーム内では一際柄が悪く、大人気ない男に戻りたかった。

それにしても、肌が痛いほど日差しである。どうせまた、真っ赤な日焼け顔をしているのだろう、とか思いながら
帰りの仕度をしていた。
                         


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