2003年4月29日 サムズアップうさぎ横浜駅伝優勝への足跡裏話
                              by にんじん

 私自身が横浜駅伝に参加するのは今年で6回目になります。当初、この大会はそれほどレベルの高いものではなく、私は普段入賞にまったく縁のない人たちを集め、この大会に参加し、5位、7位、4位という成績を残してきました。そして、4位のときに、優勝したのが、MRCでした。サムズアップに参加を呼びかけたのはその翌年でした。もちろん、当時は入賞にはまったく縁のないチームに思われたからです。ところが、2回の練習会を経て、私の知り合いの助人も3人加え、走るトミさん加入、キャップの急成長で気がついてみると今までにない充実したチーム編成になっていました。
結果はまたも、MRCが優勝しましたが、サムズアップもアンカーらっぷやさんの追撃で、わずか15秒差の2位でした。(TKさんのレポートで当時の様子は良くわかります)そして、翌年はメンバーが全員パワーアップし、優勝確実とも言える布陣を組みました。ところが、らっぷやさんが、仕事で欠場、苦肉の策としてネクちゃんを3区に、晴れ男さんを5区にコンバートしました。それでも、皆期待通りに走り、予定通り大会新を記録しましたが、ミズノが当日変更でアンカーに快速ランナーを起用し結局、12秒差で、またも2位に甘んじました。

 そして、今年の横浜駅伝。うさぎ監督は今年こそ優勝を逃すわけにはいかない、と強く思っていました。だからといって、MRCのようにメンバーを大幅にいじることは、主義に反するとの思いから、らっぷやさん−晴れ男さんの区間のみ、新たな枠を作ることにし、新たに加えるメンバーも、気心が知れていて、チームとしてバランスの取れる人材にしようと思っていました。また、戦力的に悔いの残らないものにしなくては、また悔しい1年を過ごさなくてはならなくなるので、監督自身のイマジネーションの中で、トータルにベストなチームを模索していたようです。このような厳しい審査の中、選ばれるべくして、選ばれたのが、たなちゃんでした。そして、監督の中にある秘策がありました。 それは、たなちゃんの存在を当日、MRCに知らせないことでした。きたないMRCのことです。昨年の反省をもとに、1区、3区を補強してくるのは目に見えていました。だから、監督も、申し込みのときは、わざとアンカーにらっぷやさんの名を借りて登録したのです。3月の申し込み時から、すでにサムズ対MRCの心理戦は始まっていたのです。これは悪名高いMRCのF澤監督対うさぎ監督の勝負でもありました。ここに戦いの火蓋は切って落とされたのです。駅伝へ向けた4回の練習会を経て、いよいよ2003年横浜駅伝はスタートしました。
 当初、1区のバーモンスさんがリードを奪う予定でしたが、やはりMRCは当日メンバー変更により誰だか知らないランナーを1区に起用(昨年のアンカーか?)したため、リードを奪われました。やはりやってきたなという思いと、この先の不安がつのりました。2区キャップのところでもその差は縮まらない。3区終了時でMRCがリードを奪っていたら、勝負は終わってしまうという背水の陣で、私が走ることになったのです。アップのときから、緊張して、脚が動かないという状態でしたが、絶対に負けられないという思いとMRCに対する怒りで、胸がいっぱいでした。

 そして、キャップの今までにない気迫が、襷の受け渡しのときに感じられ、一気に点火、炎のランナーとして、MRCを追撃しました。20秒あった差はみるみる縮まり、2キロ折り返し点で、捉えられると確信しました。そして、ラスト1.5キロで、並走から一気に前に出ました。残り1キロでは、決定的な差は作れませんでしたが、キャップから引き継いだ気迫を、4区ひろみさんへ伝えなくてはと必死にリードを奪い、襷を渡しました。これで、優勝への望みはつながりました。そして、ポイントの4区。一番差がつきそうな区間でした。走歴2年のひろみさんに対し、相手は2時間40分台でフルを走るニッポンランナーズのF地選手。ここで1分以上差をつけられるとやはりゲームオーバーという状況で、ひろみさんも気迫で差をなんとか1分以内におさえた模様。5区、6区でなんとかなる計算が立ちました。ところが、今年のMRCはまったく手を抜いたところがなく、ネクちゃんの自己新の走り、サブスリーランナーのヤマさんの追撃でも差が縮まるどころか、70秒まで差がついて、アンカーのたなちゃんへ。MRCはすべての区間で、メンバーをそろえてきたことになります。相手アンカーが、昨年のアンカーなら、万事休す。他のランナーが走れば、逆転の可能性はまだあると思いました。そして、4区リードの時点で、MRCは余裕を持ち、アンカーへ向けて、油断が生じるかもと祈っていました。

写真左:MRCアンカー(右)を猛追するサムズたなちゃん(左) 写真右:ラスト500mに勝負を賭ける!!

 かくして、うさぎ監督が隠していたワイルドカードをMRCへ突きつけました。この駅伝へ向けて、練習を積み、満を持していた、たなちゃんは鉄砲玉のようにスタートを切り、消えていきました。勝負の行方が確認できるのは、ラスト1キロのところ。半分、あきらめて、来年への決意を固め始めていました。しばらくしてMRCのアンカーがやってくるのを待っていました。ところが、来てもいい時間になっても、まだ、MRCはやって来ない。密かな期待が胸に膨らみ始めました。しかし、先に姿を現したのはやはりMRCでした。やはり来たかと思った瞬間、その後ろから、たなちゃんが、追撃していました。これはもしかして、という思いと、また僅差で敗れることだけは避けたいという思いが生じました。誰かが10秒と叫ぶ声と共に、もう行くしかないとチーム皆がゴールへと走りました。そして、次に姿を現したとき、先頭は入れ替わり、たなちゃんが、ゴールめがけて駆け抜けていく姿を確認しました。MRCが後ろにいることを確かめ、やったーと思わず叫び、たなちゃんと抱き合い歓喜にむせたとき、今までの苦労は喜びへと変わりました。

エピローグ
 今年の悪役MRCは、ほとんどメンバーを入れ替え、最強の敵として、我々の前に立ちはだかった。メンバー的に見れば、かなう相手ではなかったかもしれない。しかし、サムズは結束力、気迫で明らかに彼らを上回っていた。それが、わずか70秒の差でアンカーへ襷がまわったのだと思う。結局大会新、総合でも6位に入る成績で、MRCをノックアウトした。しぶとく、勝負にこだわるMRCはまた、メンバーを入れ替え、復活してくるのか。ターミネーターかヴァルデモートか知らないが、姿を変えて、また、やってくるであろう。その時、我々は?  一つ言えることは彼らの運命は、うさぎ監督のイマジネーションとマジックに左右されることになるだろう。

           


戻る