2003年4月13日 かすみがうらマラソン          ひあーる

 昨年に引き続き、かすみがうらマラソンに出場した。
 この大会は3度目の出場になる。
 1度目は5キロの部に出場し、3キロ位から腹が痛くなり途中歩き出して、
タイムは26分をオーバーした。
2度目の去年はフルの部に出場し、初フルで見事完走を成し遂げたが、目標に
していたサブ4を達成出来なかったのと10キロ位から雨が降り出し、そのま
ま終わるまで降り続いていたので、あんまりいい想い出はない。
しかし、去年出場したレースに出て1年前よりどれくらいレベルアップしたか?
確かめたかった事とこのレースの会場は、実家の竜ヶ崎から近いのでレースに
出るついでに実家に帰ろうと思い、出場を決意した。
 今回の目標は、自己記録更新&完走であるが、去年の12月頃から左膝の痛
め、それがまだ完治していなく、目標達成!という気持ちよりも、左膝への不
安の方が大きかった。

 当日、9時1O分頃会場に到着し受付を済ませ、MARKさん、曙君と合流
した。その後着替えを済ませ、荷物を預け、9時45分スタートゲートへ向か
った。
 10時00分スタートし、前の方に並んでいたせいか30秒位で、ゲートを
通過した。
 2キロ走ると、フルの部より10分前にスタートした10マイルの部に出場
している選手に追いついた。そこで16キロの部に出場しているスモーカー君
とも〜り〜君を探し、見つけたら「頑張れ!」と声をかえようと思い、しばら
くキョロキョロしながら走っていたが、スタート前、会っていなく、どの格好
で走っているかわからなかったせいか、見つけることは出来なかった。
 10キロを46分、中間点を1時間39分とほぼ予定通りで通過した。
この時は、自己記録3時間27分55秒を更新する事が出来るのではないか?
と思った。
 当日気温が22,3度あり、暑かったことと3週間前に出場した荒川市民マ
ラソンの疲れがまだ残っていたせいか、25キロ過ぎてから早くも疲れが出始
め、キロ4分40分ペースから5分ペースになった。
 30キロ過ぎると左膝が徐々に痛み出し、キロ6分と更にペースダウンした。
 35キロ地点のタイムが2時間53分で、自己記録を更新するには残り7キ
ロをキロ5分で走らなければならなく、左膝は痛いし、かなりバテていたので
それは「無理だ!」と思い、そこから走る気力が伏せ歩き始めた。
 それからしばらく、歩いては走り歩いては走りを繰り返し、38キロ付近で
後方から来たランナーに「大丈夫ですか?」と声をかけられた。そこで私は、
「大丈夫です。」と返した。そして「後少しですので頑張って下さい。」と言
われ、「このまま歩いてゴールします。」と返したら、去っていった。
 39キロから40キロの間、私と同様歩いているランナーに遭遇し、声をか
けられた。そのランナーも足の付け根部分に痛めており、歩いていたようだ。
それからしばらくそのランナーと色々と喋りながら歩き、ゴールへ向かった。
 40キロ過ぎ、地元の方が「花岡さん頑張れ!」「花岡さん頑張れ、何歩い
てるの!」と声をかえられた。最初知らない人だったので、近くを走っている
ランナーで同姓の人がいるのかと思い、私のことを応援しているとは思わなか
ったが、エントリー表を見て名前を調べ、応援してくれたみたいだった。
 この時、せっかく応援してくれているのに歩いていて、ちょっと恥ずかしく
思った。
しかし、ここで無理をして走り、膝の痛みを悪化させ、次に出場を予定してい
る横浜駅伝、しまなみ海道に影響を与えてはならないので、引き続き、歩くこ
とにする。
 ゴール200m手前で、会場に入りそこからジョギングペースで走りゴール
した。

 タイムはグロスで4時間10分14秒と去年より6分程早くゴールした。
しかし、去年はレース中トイレによることはあっても歩くことは無かったので、
去年の方が、「最後まで走った。」という達成感はあった。
 今回振り返ってみると、35キロ過ぎ自己記録更新を諦め、歩き出したこと
に対し、自分の精神的な弱さが出たような気がし、例え達成出来なくても最後
まで諦めずに走るべきだったのか?それとも左膝痛の悪化を防ぐ為にもこれで
良かったのか?複雑な心境である。
でも気持ちは早く切り替えて、今後のレースに向けて頑張って行こうと思う。
 3日後、整形外科へ行ったら、左膝の方は単なる疲労が炎症を起こしていた
みたいで、大したことはなかったので安心した。
1週間経った今、痛みは引いて来たので今後無理しなければ、大丈夫であろう。
  


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