2003 荒川市民マラソン                    曙

  2003年3月23日、私は、荒川市民マラソンに参加しました。自身
2度目のフルマラソンで、今回は、前回を上回るとともに、ウルトラマラ
ソンに向けてのステップにするためには、いい試金石だった。だが、
今年になってのトレーニングやレース状況は、納得いくものではなかっ
たといえよう。簡単に振り返る。

 今年に入って、風邪をこじらしたりして、満足行く練習が出来ず、2月
の神奈川マラソンは、寒さに苦しみ、平凡だった。その後も、2月下旬
まで、一進一退の練習内容で、正直焦りました。3月に入ると、「このまま
だったら、やばい」と思い、練習を開始しました。そして、大山登山も
何とか完走し、自信をつけました。さらに、急遽出場になってしまった
リバーサイド駅伝では、スプリント勝負の大切さを学びました。また、21
日には、ひあーるさんと皇居にて、あわせ調教(私は、20キロ・馬なり〜
少し強め)をし、本番に臨みました。

 本番当日
 朝、5時に起床、普段通りに朝食、準備を済ませ、6時10分自宅を出発。
途中、コンビニにて、バナナ、アミノサプリ を購入。東急東横線、JR山手
線、埼京線経由で、7時30分に浮間船渡駅に到着。物凄い混雑だったが、
幸い、私は、JR東日本の「スイカ」というカードを購入していたため、往き
も帰りも楽々だった。 7時50分、会場に到着。まず、ひあーるさんに会っ
た。そして、2人で着替えているうち、マッキーさんにも会った。こうして、
3人は、T.Kさんらがいるベース・ポイントのスタート・ゴール前に移動しま
したが、何と、スタートまで、20分。(この日、気温が15度と高く、日差しが
強かった為、サングラス着用で臨むこととなった。)私のレースの 集合場所
は、スタート地点から500メートル後ろ、急いで歩くと、「こんなに参加する
のか」と、びっくり・・・
 
 そして、9時、私自身、2度目のフルマラソンのスタートが切られたが、なか
なか進まず、まるで、明治神宮の初詣のようだった。スタートラインを超えた
のは、号砲から7分37秒後であった。
 
 (ここより先のタイムは、全てネットタイムでございます)最初の1キロは、6分
19秒。かなりのスローだったが、団子状態だったし、焦ってもしょうがない
から、5キロまでに30分を目安にした。5キロを、29分50秒。ほぼ予定通り
だった。しかし、ここらへんを走ると何かを思い出す。そう、9月の「タートル
マラソン」のコースの復路と同じ所を走っているのだ。過去2回参加し、
悔しい思いをしているだけに、「なんとか頑張ろう」という気持ちになった。
10キロは、59分22秒。この5キロは、29分32秒と無理ないペースに刻んで
いる。
 
 10キロ〜20キロ
  13キロの北千住までが「タートル」のコースで、ここからが本当のレースと
いえよう。15キロ付近から約800m幅が狭く、アップダウンだったため、ペー
スが落ちだした。18キロ過ぎには、折り返したT.Kさんから声を掛けられ、
私は、「頑張らないといかん」という気持ちになり、ペースが落ちた私は、自ら
に気合いを入れなおしました。20キロは、2時間01分40秒。この10キロは、
62分18秒。

 20キロ〜30キロ
  20キロ過ぎにマッキーさんに抜かされかけたが、すぐ抜き返し、折り返し。
中間地点を、2時間08分50秒で通過。「サブ5」は、青信号だと思うが、
前回(渡良瀬)は、そこから、3時間10分を要しているので、油断は出来なか
った。22キロ過ぎに右足のマメがつぶれるのを感じ、25キロで、足を確認
した。私は、「1つの試練」と思った。「無理せずに行こう」と、自分に言い聞か
せた。30キロは、3時間12分。この10キロは、70分20秒。キロ7分少々で
カバーしている。

 30キロ〜40キロ
  前回だったら、キロ10分でも自己満足だったが、「サブ5」だったら、完全
にアウトである。何とか走って、貯金を稼ぎたかったが、33キロからアップダウ
ンが始まった。35キロのシャーベットは、良かった・・・。だが、「サブ5」に向け
ても、正念場の残り7キロ。残された時間は、70分少々。その後、キロ7分
後半から8分の間となった。そして、40キロは、4時間29分40秒。

 40キロ〜ゴール
  最後の2.195キロ。埼京線のガードの向こうは、ゴールである。たとえ見え
ても、遠いと感じたが、最後まで気を抜くことはなかった。そして、埼京線のガー
ドを通過し、あと200メートル。最後の気力を振り絞り、10人ほど抜いて、ゴー
ル。4時間45分32秒だった。 

レースを終えて、
1度走った経験は、生かせた。しかし、慢心は禁物である。更に頑張っていき
たい。  


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