2002年富士北麓24時間リレーマラソン 〜桃組の場合〜

サムズ・アップにとって1年で最も暑い1日となる富士北麓24時間リレーがやってきた。
今年は昨年と同じ3チーム(総勢で36名)での出場となった。今回のチーム分けは、
これまでのように戦力を均等に割るのではなく、入賞を狙う青組、サポートを重視する
桃組、そしてどちらかといえば走りを重視する黄組の3チームに分けた。チームの編成
はアンケートをもとにおこなった。若干の調整はあったものの、過去の記録は殆ど無視。
各々の取組む姿勢でメンバーを分けた。私の所属したチームは桃組。入賞を狙う青組
はもちろん魅力的だが、今の自分の実力では、このチーム(青組)にとって決定力のある
戦力とはなり得ない。サムズ・アップ全体の事を考えれば、サポートチームに属した方が、
貢献度が高いのではないかと考え、桃組を選んだ。入賞狙いのチームで走るのは、周りか
ら必要だと言われるほどの実力がつくまでお預けにしようと思う。
という訳で、今回は桃組に関するレポート。。。

桃組は、アンケートで"サポートを引き受けてくれる"と応えてくれた人達の集団だ。
そんな事情もあってか女性が多い。男性5名、女性7名。出場3チームの中でこのチーム
だけが男女比率が逆転している。まずはメンバー紹介。リーダーは私。(誰に承認された
訳でもないが、勝手に決めてしまいました。)そしてチームのエース的存在がhiroさん,
常に冷静でペースを乱さず着実に周回を重ねるやまはさん,なすさんは、いつも何か出来
る仕事はないかと考えているようなサポートチームにとっては、必要不可欠な存在。
以上の4名が男性。女性は3年連続出場のヨー娘。さん 2年連続出場のこぶたさんに
かたむらさん。お二人とも看護士ということで、こちらもサポートチームにはピッタリ。
おがたさんは昨年は仕事の都合で無念の欠場、今年はそのうさ晴らし?
すーちゃんも2年連続でその快速ぶりは男性にとっても脅威? そしてチーフマネージャ
ーがK枝。3年連続の出場でコース以外も駈けまわる? 以上女性6名。残りの2名は、
遅れて合流。ちゃりだーさんは2年連続。夜中の登場で朝帰る。あかがわさんは、こぶた
さんらと同じ職場で早朝に登場する予定。

桃組の目標は、第一に他のチームのサポートを抜かりなく行う事。具体的には、弁当の調
達やテント内の整理。ゴミの分別など。他のチームが走りに専念できるよう、雑用をこな
す。これをこなした上で第二の目標が存在する。第二の目標は、サムズ・アップとして、
初めて出場した時の走行距離(269km)を越える事。そして今だから明かす第三の目標は、
闘争心を燃やさずに密かに黄組に勝つ事だった。しかし実際のところは、三番目の目標が
最もモチベーションを高める原動力となった事は言うまでもない?

そして作戦。これは過去2年の経験を活かし、まず第一にスタートからの6時間は全員が
均等に疲れるような状態にする事。初参加の年は要領がわからずいきなり1時間走なんて
事をやってしまったので、初めて走ったのが夕方なんて人もいた。疲れてからの休憩は、
有効だが、疲れてないのに休憩していては、却って疲れてきてしまう。そういう訳で、
スタートから夕食時までは一人一周の限定でぐるぐる廻す。夕食時になったら、チームを
2つのグループに分けて、交替で夕食を取る。そしてこの後(PM10時過ぎ)から、
どうするか? これが各チーム頭を悩ませるところだ。青組のように戦力が高く、また目
標も高くて、ハイペースを維持しなければならないチームは、当然一人一周を守るだろう。
ハイペースを維持するにはこうするしかない。しかし桃組は1周を5分台で走る人から10
分近く掛かる人まで様々だ。黄組に勝つためには、どうするか色々考えた。
そして出た結論は、エースのhiroさんに出来るだけ多く走ってもらい、それでいて
尚且つ休憩時間を多くとって貰う事だった。具体的には、夕食終了時からhiroさんに
1時間連続で走ってもらう。hiroさんの実力からすれば、1時間連続で走っても、黄組
の襷リレーに負ける事はない。次に私も1時間連続で走る。あとは、その時の疲れ具合を
見て、1度に長く走れる人から順に走って貰う事にした。それは、朝方からのスクランブル
体制までに各々が(特に男性人が)できるだけ多くの休憩時間を確保できるようにするた
めだった。スクランブル体制に入った時、黄組と小差で、休養充分の男性が復活してくれ
ば、勝てる!という予想を立てた。

スタート時間は昨年同様、正午。それまでにテントの設営を行い、弁当の注文やテント内
の整理などをこなして行く。(ゼッケン配布,ゴミ箱の作成,掲示板の設置,などなど)
今年はテント区画が、大会本部に近かったこともあり、荷物の搬入、テント設営はスムー
ズに進んだようだ。(遅刻してくる車は相変わらずあったが…)

そして迎えた、8月3日(土)12:00。サムズ・アップにとって3回目となる富士北
麓24時間リレーが始まった。桃組のスタートランナーはhiroさん。5分10秒とい
う好タイムで、やはまさんへと襷を繋いだ。この時の天候は晴れ。暑さはあったが、風が
吹いていたので、日陰に入ると涼しかった。少し心配だったのは、遥か遠くの空に黒い雲
が、見えていた事。雷にならなければ良いが… この点が唯一気掛かりだった。

午後2時30分頃。心配していた事が現実になり始めた。遠くで雷が轟き始めたのだ。
大会本部からの発表で、観測所から雷注意報が発令されたと言う事を知らされ、この後、
注意報が警報に変わったら、レースを一時中断するという連絡が会場内に放送された。
そして、約30分後。突然、雨が強く降りだし、雷の音が近づいてきた。
午後3時過ぎ。不安が的中し、レースは中断された。テントの下は危険と言う事で、
車の中や、本部の下に避難した。この時点で入賞を狙う青組は、10位まであと少しと
言うところをキープ。桃組と黄組の差は、約1周差で桃組がリードといった展開だった。
ここまでの桃組の状況は、男性陣が固まって走っている時に黄組に差をつけ、女性陣の走
行中にやや差を詰められるというパターンだった。しかしながら、桃組の女性陣は想像以上
の走力を発揮していたので、差はそれほど詰まらない。hiroさんを除いた桃組と黄組が
互角の闘いと言った感じだったので、hiroさんが5分台のラップを刻む度に徐々に
差が広がっていくという桃組にとっては、理想的な展開となっていた。

中断の時間は約1時間30分。この間に激しい雨が地面を叩き、雷が直ぐ近くで、鳴り響
いた。また強風が吹き荒れ、いくつかのテントは吹き飛んでしまった。それでもそんな
ひどい状況は長くは続かず、数十分もすると、日が差し始めた。レースの再開は午後4時
30分というアナウンスがされ、参加者はテントに戻り、吹きこんだ雨により濡れてしま
ったテント内の整備に取りかかった。

午後4時30分。再スタートが切られた。再スタート後、一時黄組に差を詰められたが、
男性陣の走りでまた差を取り戻した。そして午後6時。弁当の調達に取りかかった後に、
桃組は、夕食用のローテーションに入る。私,なすさん,K枝,こぶたさん,かたむら
さんの5名が先に休憩に入り、その間、hiroさん,やまはさん,おがたさん、ヨー娘。
さん,すーちゃんの5名が襷を繋ぐ。男性は1度に3周、女性は2周というやや長めの
ランニングを行った。1時間30分後、グループ単位で交替。夕食時のローテーションが
終わったのは、午後10時30分。ここから本当の夜間走行(兼 休憩タイム)に入る。

走行順は、作戦通りhiroさんが先頭で1時間走る。私が2番手で同じく1時間。
やまはさんは3番手で5周(約45分)。そのあと、ヨー娘。さん、おがたさん、かたむら
さん、こぶたさんの4名で2時間。さらになすさん、K枝、すーちゃんの3名で1時間30
分という計画を立てた。あとはちゃりだーさんが合流すれば、朝5時30分くらいまでは、
襷が繋がる。そこから先は復活した者から順に走り、スクランブル体制へと移行。
唯一の気掛かりは、朝5時30分の時点で果たして何名が復活できるかであった。男性3名
は大丈夫だとして、女性が何名復活できるか? もし復活できなければ男性3名で廻せる
だけ廻さなければいけない。あかがわさんの合流を願った。

夜間走行の先頭ランナーhiroさんは1周約8分のラップで周回を重ねる。この時間帯
は速く走ることではなく、いかに身体を休めるかに重点を置いていたので、サポートは誰
も付かず、hiroさんだけが働いた。交替の時間になったら次走者がリレーゾーンで待
機するという体制を取ったので1度に9名が完全休養できた。そして待ちに待ったチャリ
ダーさんが合流。hiroさんと私の間で2周。私とやまはさんの間で3周走って貰う事
にした。

午後11時30分。ちゃりだーさんとリレーゾーンへ行き、hiroさんの到着を待つが、
それまでの周回を見ていなかったので、どの辺りを走っているのか全く想像がつかない。
電光掲示板だけを頼りにしていたが、その電光掲示板にも10分以上チーム名が出てこない。
『まずいなー!』ちゃりだーさんと顔を見合わせた。そして交替予定時間を5分以上過ぎ
た時、リレ−ゾーンの選手待機場所に入ってきたhiroさんとようやく再開。
コースから外れた場所で襷渡しが行われた。サポート無し単独走の問題点が現れてしまっ
た。ちゃりだーさんは2周走ということだったので、私はそのままリレーゾーンで待機。
チャリダーさんから襷を受け取る時には、記録用紙をコース脇に置いておくので、自分で
記入するよう約束しておいた。本来なら次の走者が記録をつけるのだが、休養優先作戦な
んで、出来るだけ少人数で済むように心掛けた。(もし仮に記録をつける為に次走者の
やまはさんがリレーゾーンで待機するとしたら、hiroさんの走っている1時間と、
私が走る1時間の間に起きて来なければならなくなり、仮眠なんて出来なくなってしまう
のだ。)

ちゃりだーさんは到着早々2周を走り、私が襷を受け取った。ちゃりだーさんは約束の
通り、走り終わったあと、タイムをチェックして自分で記録表に記入。記録用紙を持って
1度テントに戻り、50分後、リレーゾーンへ登場し私からの襷を受け取る事になっていた。
私は、黙々と周回を重ねる。『チームメイトを休ませる為に…』これは過去2年の富士北麓
で何度も経験してきた事だった。ただしこれまでは、休む側だった。今度は休ませる側に
まわり、チームメイトの応援が無いコースをひたすら走る。1周限定走のように速くは、
走れない。ジョギングのようなスピードではあったが、暗いコースを走っているせいか、
スピード感はそれなりにあった。またチームメイトの応援はなかったが、他チームの
人達が、ゼッケン番号を読み上げて応援してくれた。これが結構、嬉しかった。
また、何周目かは忘れたが、hiroさんにも声を掛けてもらった。1時間という時間
をあまり長く感じず、心地良い風を感じながら走りきることができた。

ちゃりだーさんとの襷リレーは、襷と交換に記録表を受け取るという究極の?リレーと
なった。走り終わった者と走り始めるもの、突き詰めて行けば、コース付近には、2名
いれば、リレーは成立する。もちろんチームメイトの走りを応援したい気持ちはあるし、
走っている側は、応援されれば心強い。しかし、効率良く休みを取る為には、出来る限り
無駄を省かなくてはいけないのだ。この時間帯は休む時間。そう割りきってリレーを行っ
た。ちゃりだーさんへ襷を渡した時、黄組との差は1周強。これなら朝目覚めた時、まだ
リードしているかもしれない。そんな希望を持って休憩に入った。

私が休憩に入ってから、ちゃりだーさんが3周、やまはさんが5周の周回を重ねた。
記録表を見比べてみると、やまはさんの5周が終わった時点で13分のリードがあった。
その後、女性4人のリレーが終わった時に5分差に縮まり、なすさんの4周走で、
黄組に逆転を許し、K枝の3周走で差は8分に広がった。すーちゃんの3周では、
差を7分に縮めて、深夜〜早朝に渡った、休養ローテーションが終了した。結果的には、
黄組に逆転を許したが、女性陣とちゃりだーさん,なすさんの頑張りで、hiroさん、
私、やまはさんは充分に休む事が出来た。黄組との差は約1周。なすさんを除く男性陣は
これによって休養充分の状態。これなら再逆転の可能性は高まる。そして朝6時前にあか
がわさんが合流し、桃組の反撃体制は整った。

午前6時(ゴールまで残り6時間)、あかがわさんの2周走を皮きりにスクランブル体制
が始まった。特にローテーションは定めず、走れる状態が整ったら次々に出走して行く。
状態の良いランナーは出走の回数が増え、回復に手間取っているランナーは出走間隔が
広がって行く。hiroさんは復活後いきなり5分29秒というこの時間帯では脅威的な
タイムで黄組との差をイッキに詰める。続く私も、6分18秒で続き、黄組の逆転に成功。
スクランブル体制に入って僅か3名(あかがわさん、hiroさん、私)で主導権を
取り返した。その後も徐々に差を広げる。心配された女性陣も割りと早い時間帯から復活
したので(特にこぶたさん、かたむらさんの復活は早かった)、順位も急上昇。
疲労の色濃い、他のチームを尻目に、休養充分の男性陣が順位を持ち上げる。そして、
連続した長い休憩は取れていない女性陣もそれほどタイムを落さずに粘る。単なる繋ぎ役
ではなく、順位を着実に守り、時には順位を上げて、男性陣へ繋いだ。
そして順位は夜明け時には、80位台だったのが60位台に届こうかと言うところまで前進
した。さらに快進撃は続き、ついに60位台に突入。周回数で遅れを取っていたチームを、
次々にとらえて行った。そして気になる入賞狙いの青組は、夜明け間近の時間帯に10位の
チームをとらえると、その後も限界を越えた走りを続け、1周差、2周差、3周差と着実に
リードを広げていった。もう確実。そう思っておめでとうの声を掛けたが、リーダーの
MAMORUさんからは、『まだまだ!』の返事。このチームの強さをあらためて実感した。

桃組の走りはここまで予想通り。いや予想以上の快走だった。しかし走るだけでは
無い。これまでに夕食、夜食、朝食、肉マン、アイス、パスタの調達を3チーム分
まとめて行い、さらにマネージャーミーティングにも3チームを代表して出席した。
ゴミ箱の整理、ゴミの分別や、散らかったテント内の整理、精算なども空いた時間を
見つけてはおこなってきた。また写真、ビデオの撮影も重要な桃組の役目で、桃組
の選手の多くは、カメラを持ってきて、撮影を行ってきた。他の2チームが走りに
専念できるように、サポートを行う。24時間のゴールを前に、この第一目標は
既に達成できたようだ。

午後10時。残り2時間ともなると各チームはアンカーを誰にするか、考え始める。
桃組は、もちろんhiroさん。今回の走りに関する大黒柱は誰が何と言おうと
hiroさんだった。チーム全員の一致した意見となり、決定した。
あとは1人1回づつ走れば、ゴールとなる。黄組との差は2周以上ついていた。
油断・アクシデントさえなければ、第三の目標も達成できる。桃組の選手一人一人
が終わりゆく24時間リレーを噛み締めながら、最後の周回を走っていく。

私が出走したのは10時47分。ここまで目一杯走った周回は1度も無かったし、
最後の1周ということもあったので、5分台を目指して思いっきり、突っ走った。
しかしながら、やはり疲労はアチコチに出始めており、思ったほどのスピードには
のれなかった。それでも今大会の自己ベストラップ6分6秒を最後に出して締め括る
ことが出来た。(レース終盤のタイムとしては上出来?)今回はサポートが第一目標
ということもあり、走りに関しては、目一杯自分を追い込むところまでは行かなかっ
たが、青組の入賞争い、黄組とのデッドヒート。などこれまであまり味わえなかった
大会の雰囲気を味わえたような気がする。(最初の年はドタバタだったし、去年は人数
が少なかった上、故障者続出で襷を繋ぐ事だけで精一杯だった。)

午後11時39分55秒。桃組最後のランナーhiroさんに襷が渡った。
(青組はMAMORUさん、黄組はさるさん)この時間帯になると、どのチームもソワソワ
し始める。レースが終了するという喜びもあるし、またもう直ぐ終わるという事もあって
ランナーの走りにもより一層気合が入ってくる。また応援者もコース脇に集まって、盛り
あがりをみせる。応援者がコース両サイドに陣取るので、コース幅が狭まる。そんな中を
猛スピードで走りぬけるランナー、笑顔を振り撒いて手を振りながら走るランナー、
最後の最後まで仮装をしつづけるランナーなど様々だが、どのランナーも迫り来るエンデ
ィングを前にワクワクしているように見えた。

11時53分くらい、hiroさんは2周目を終えようとしていた。残り7分程度。
もう1周廻れるかどうか微妙な感じ。黄組との抗争?には決着がついていたので、スピー
ドを緩めてウイニングランに入っても良いところだが、応援団の前を通過した時のスピー
ドはそんな雰囲気ではなかった。そして11時59分、三たびhiroさんが通過してい
く。残り時間あと1分。アンカーとして襷を受け取ってから3周を消化した。そしてその
僅か数十秒後にカウントダウンが始まり、24時間という長いレースに終止符が打たれた。

アンカー以外の選手もコースに入り、ゴール目指して走り出す。チームのわけ隔てなく、
声援を送る。ハイタッチもする。24時間という長い時間を同じ空間で過ごした者同士が
健闘を称え合う。満面の笑顔を振り撒く人もいれば、感動のあまり思わず涙を流す人も
いる。そしてサムズ・アップ注目の青組は、11位のチームに2周の差をつけて、見事に
入賞を果たした。入賞という目標を立てた時には、この結果を何人の人が想像しただろう?
目標を立てた私自身ですら、本当に入賞してしまうとは思わなかった。でも時間が経つに
つれて青組の選手の顔つきが変わっていった。スタートした時は、どこまでやれるのか
半信半疑だった顔が、1時間、2時間と時間が経過し、10位のチームに離されず食らい
ついているのが分かると、行けるんじゃないか!という希望の表情に変わり、早朝10位
に食込むと、ここまで来たら逃してなるものかという鬼気迫る顔になった。10位を奪取
してからゴールまでの時間は、本当にしんどかったんじゃないかと思う。この頃の青組は
近寄りがたい雰囲気さえあった。

そして私達、桃組はマネージャーの仕事をこなしながら、立派に襷を繋いだ。密かに立て
ていた目標(打倒!黄組)は、黄組のライバル心に触発され、密かではなくなってしまっ
たが、達成する事が出来た。 (それだけ負けず嫌いな人が多いって事?) 桃組の走行
距離は、272km。目標の270kmを2km超えたので、3つの目標を全て達成した事になる。
また、今回走破した距離876.8km(3チーム合計)は、1時間30分の中断があったにも関
わらず、去年の記録を越えた。さらに3チームの平均順位52位(昨年は64位)。これも過
去最高。

青組のアンカー、黄組のアンカーが応援場所に戻り、あとは桃組のアンカーを待つだけと
なった。しばらく時間が経ち、殆どのチームが通過していき、少し静かになったコース上
にhiroさんが現れた。最後のおまけの1周は、ゆっくりと味わいながら走ってきたよ
うだ。これで全員揃った。ここからは、3チーム全員でゴールゲートを目指して走る。
長かった24時間を振り返りながら、ゆっくりとゴールを目指した。思い通りの走りが出
来た者、練習不足を痛感した者、様々だが、24時間襷を休ませずに走りつづけたという
点においては、皆が満足しているようだった。一度、下げられてしまったゴールゲートを
上げてもらい、ゴールラインを超えた。 この瞬間に2002年富士北麓24時間リレー
は、青組の10位入賞という大きな成果を残して完結した。

表彰式では、やれることを全て行い、自信に満ち溢れた青組の選手が輝いていた。
私自身も桃組として、青組のサポートを行ってきたし、同じサムズ・アップのチームと
いう事もあり、青組の入賞は本当に嬉しかった。でも、輝かしい場所に立っている選手
たちが少しだけ羨ましくもあった。あの場所に立つに相応しい実力を身につけて、
いつかは。。。 そんな思いが残った24時間リレーだった。


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