2002サロマ湖100kmウルトラマラソン              ケソ

●サロマへ向けて
 100キロへの挑戦は、去年に続いて二回目である。去年の結果は、63キロ地点でリタイア。42.195キロの通過が4時間23分とまずまずのペースでまとめていたものの、60キロ過ぎで突如、頭痛・吐き気・悪寒に襲われ、力が入らなくなってしまう。歩いたり走ったりを繰り返しながら63キロ付近のエイドステーションにたどり着いたが、そこでへたりこんでしまうともう起き上がる気力はわかなかった。気温が30度を越えていたので、熱中症ではないかと本気で疑い(実際には、1時間ほど寝たらすっかり回復)、リタイアを決断した。スタート後暑さで食欲がまったく湧かず、何も食べなかったことでガス欠を起こしてしまったことも、リタイアの一因になったと思う。
 友人に誘われて軽い気持ちで走ってみたサロマだったが、このように評判どおりの過酷なレースだった。しかも、猛暑のせいで完走率が大会史上最低の年に初挑戦をするというめぐり合わせの悪さ。リタイアした炎天下のエイドでもう走るものかと思ったのに、なぜか今年もエントリーしてしまった。
 フルマラソンなら、距離感覚が身についているので、対策も立てやすい。ところが、走ったこともない100キロという距離のレースに、どのような練習をしてのぞめばよいのか、どのくらいのレースペースが適当なのか、さっぱり見当がつかない。ならばふだんの練習の中で一度100キロを走ってみればよいのだが、そうするのも相当な覚悟が要る。これまで走った最長距離は、去年のサロマの63キロ。普段の練習コースで最長は47キロ。この距離なら、ある程度気温があがっても心拍数の平均が145前後、キロ6分のペースでさほどの負担感なく走りきることができる。このペースで前半50キロを走っても、まだあと数十キロは走りきるスタミナはありそうだ。
 さしあたり前半50キロを5時間でまとめることができれば、あとの50キロで8時間かかっても制限時間に間に合う。前半でペースを抑える努力をせずにリタイアしてしまうと、きっと後悔してしまうだろう。というわけで、最初はキロ6分という無理のないペースで走れるところまで走って、あとはなるようになる、といういたっていい加減なペース配分の予定を立てる。ところが、どの人の話を聞いても、80キロ以降は地獄のような苦しみを味わうらしい。ということは、前半どれだけペースを抑えたとしても、結局は無駄なのかもしれない。100キロという未踏の距離に不安ばかりが募る。
 ただ、去年の反省点だけは生かさなければならない。47キロのLSDは日差しが出て気温が上がったときに行うことにした。走る途中で、ポーチのボトルから少しずつ水分を取る練習や、おにぎりやパンを食べる練習も組み入れた。
 4月のかすみがうらマラソンを終えてようやく、サロマを意識してLSDを練習の中心にすえた。しかし、5月は何かと忙しく、だらだらとジョグをするだけで月間200キロくらいしか走れなかった。6月に入り、一週間おきに47、35、47キロのレースペース走をこなしたが、これではレース直前に距離に不安を感じて練習量を増やすといういかにも素人っぽい回路である。これで故障したり体調を崩したりすれば完璧なのだが、案の定やってしまった。レース2、3日前からある症状に悩まされる。レース前日、北海道まで乗り込んできて、腹部に痛みすら感じるようになった。網走の薬局ですすめてもらった薬を飲みながら、症状が悪化しないことを祈る。宿泊は網走のビジネスホテル。前日は20時就寝。走行距離は0キロ。
●起床〜スタート
 スタート3時間半前の1時半起床。タモリ倶楽部を見ながら、砂糖ドーナツ三つ・おにぎり二つ・バナナ二本(前日にセブンイレブンで購入)の朝食。2時過ぎにレンタカーでホテルを発ち、常呂町のゴール地点へ。3時にスタート地点への送迎バスに乗り、4時過ぎに到着。アップはストレッチだけ。晴れそうだが、雲も多く風も涼しい。すでに暑かった去年の異常さがあらためて思い出される。ちなみに先週の日曜日は雨で、最高気温が10度に達しなかったそうだ。
 ウエアは、上はジップアップの白いTシャツに、下は黒い半タイツ。股ずれするので、ランニングパンツは長い距離では履けない。シューズはアシックスのサロマ100。靴下は5本の指が分かれているやつを使う。幸いなことにマメはめったにできないので、その対策はしなくてよい。ポラールの心拍計も装着。胸につける発信機が皮膚を傷めないよう、ディクトンを胸に塗っておく。ウエストポーチには、500cc入るボトルにくわえて、アミノバイタルの粉末二袋と前日に買った薬二回分を忍ばせる。
●スタート〜20キロ
 5時スタート。湧別の市街地を抜けた6〜7キロ地点あたりで、目の前にサロマ湖が広がる。ここからは25キロ地点のあたりまでは、竜宮台という岬の先で折り返すコース。小さな漁村を抜けていく。
 ペースは心拍数が140を超えない程度に抑える。この心拍数ならばキロ6分で走ることができるはずなのに、キロ6分半はかかっている。走りはじめであれば、この程度のペースなら130以下でも可能なはずだ。練習よりも高めに心拍数が出てしまうのは、気温が高いからか、寝不足だからのか、それとも例の症状のせいか。朝起きてからというものの、かの症状にいまだ悩まされる。ひどくなれば撤退も考えなければならない。
 竜宮台の折り返しでは、ほとんどのランナーとすれ違える。トップはたかだかキロ4分程度のペースと思われるが、異様に速く見える。私は、どうも下からおそらく5分の1くらいの位置で折り返したようだ。かなり出遅れたが、心拍計のほうを信じてあせらずにペースを維持する。
●〜40キロ
 25キロ地点を過ぎると、延々と広がる畑作地帯の中を往復するコースに入る。周辺の光景のイメージとしてはつくばマラソンコースの中間点あたり。振り返ると筑波山がありそうな錯覚がする。もちろん、牧草を丸めた塊が転がっていたりして、いかにも北海道的な雰囲気ではあるのだが、どこまで行っても麦・いもの畑と牧草地が続く退屈な区間である。こういうコースでは、とかくペースが上がりやすくなる。心拍計をにらみながら必死でペースをセーブする。
 30キロ手前で、今まで来た道と平行に走る道を折り返す。このあたりで空腹感を感じて、少し安心をする。去年は暑くて暑くて、まったく食欲が湧かなかった。30キロ地点のエイドで、バナナ1本とオレンジひとかけらとレモンを食べる。以後、ほとんどのエイドで何か口にするように心がけた。とくに、梅干とレモンは、塩分補給と食欲亢進のためにつとめて食べるようにした。エイド通過の直後、心拍数が10ほど跳ね上がる。日もだいぶ高くなったし、そもそもすでに30キロも走っているのだからしょうがないのだが、レース前に計算していたよりも心拍数の上がりが早い。このあたりで、例の症状がだいぶ治まってきたことに気づいた。ようやく体がレースに慣れたようだ。
 折り返して以後も、同じ光景が続く単調な道が続く。8時を過ぎたので日もだいぶ高くなったが、さえぎるものはまったくない。途中の交差点ではるか先に森があるのが目に入る。そこまで行けば木陰もあり、目先も変わって気分も変わるのだが、なかなか近づかない。目に見えるのになかなか近づけない目標があることほど、精神的に厳しいものはない。このあたりがレース最初の山場だと思う。
 単調な往復コースがようやく終わり、木陰に入ってほっとできるのもつかの間、35キロ地点のあたりで交通規制のされていない国道の路側帯を走ることになる。アップダウンがあるので多少気がまぎれる。上り坂でついついがんばってしまわないように、適度に遅いランナーの背中にぴったりとついて、のんびりと足を運ぶようこころがける。しかし、上り坂を走る負担は当然大きく、平均心拍数はさらに10ほど上がる。40キロ手前で芭露(ばろう)の市街地にはいる。町外れにあるエイドで、バナナ一本とあんぱんを食べる。
●〜60キロ
 芭露を過ぎてしばらく行くと、左折して国道を離れ、月見ケ浜海岸へ向かう。左折するときに、前方にぱっとサロマ湖が広がる。海岸の途中に42.195キロ地点があり、4時間30分で通過する。去年が4時間23分。フルの持ち時間は去年より30分早くなっているのに、通過は7分も遅れている。どれだけ慎重に行っているかがよくわかる。
 サロマ湖岸を離れて再び国道に合流すると、志撫子(しぶし)、計呂地(けろち)と小さな市街地が続く。まだまだレース中盤、このあたりは沿道の応援も多いので、手をふったり、ハイタッチに応じたり、礼を言ったりしてリラックスをこころがけ、オーバーペースにならないよう気をつける。このあたりは景色の変化も大きくて、精神的には楽に走ることができる。
 富武士(ふっぷし)のあたりで中間点。上り坂の途中にある。中間点前後はアップダウンが激しい。しかも、52キロ手前のあたりまでエイドがない。中間点前後が、コース中第二の山場だと思う。中間点過ぎの峠をこえて佐呂間町に入ると、青いサロマ湖が眼下に一気に開けてきて、多少気分も楽になる。下り坂になれば体も楽になるはずだが、すでに50キロを走ってきた足には、上りよりむしろ下りのほうが足に負担がかかる。下りきって湖岸に出るのもつかの間、すぐにふたたび国道は湖を離れて、コース中最も激しいアップダウンが続く。そろそろ、歩く人が目立つようになる。
 55キロ地点の緑館で、スタート地点で預けておいた荷物を受け取る。あらかじめウエアやシューズを預けておけば、着替えてリフレッシュして再スタートできる。しかし、私は「スタートしたときの格好で帰ってくるのが筋や」という一緒に走った友人Kのことばにいたく賛同し、預けたのは日焼け止めとディクトンだけだった。ここでは、おにぎり、バナナ、オレンジ、チョコレートなどなど、用意されていたすべての種類の食べ物をおなかにおさめ、日焼け止めとディクトンを塗りなおした。そのせいで、7分ものんびり休んでしまった。再び走り始めると、足が固まってしまっていて、スムーズに歩を進めることができない。ここまで順調に来ていたのだから、ここで周りの雰囲気に乗せられてのんびりしてしまう必要はなかった。と、走りながら後悔する。
●〜70キロ
 60キロ地点の手前で再び左折して、湖岸に向かう下り坂に入る。35キロ地点のあたりから小刻みに続くアップダウンは、これで一段落。去年はこのあたりでぱったりと体が動かなくなった。今年はまだまだ元気だ。去年リタイアした63キロあたりのエイドステーションを通過すると、いよいよ未知の距離に足を踏み入れることになる。
 ほどなく、道は林の中へ入っていく。頭上を木の枝が覆っているので、陽もさえぎられて森林浴気分の快適なコースとなる。ちなみに、35キロ地点すぎでわずかに木陰があって以後、ここまで炎天下を走り続けなければならない。そもそも、ほかに陰があるといえば、80キロ過ぎだけ。翌日の新聞で、佐呂間町では28.7度まで気温が上がったことを知った。しかし、去年ほどの厳しさは感じないのは、湿度が低いからだろう。
 このあたりまで来ると、前後のランナーの数も減り、ペースも安定してくる。ここまで、おおむね前を行くランナーを少しずつ抜きながらレースをすすめてきたが、ここでは前との差がなかなか詰まらないし、後ろから抜かれることもほとんどない。周りのペースと自分のペースがつりあった状態である。この状態になって以降が、いよいよレース終盤の勝負どころとなる。65キロを過ぎてから95キロまで、私を抜いていったのは一人だけだった。ハーフマラソン以上の距離のレースでイーブンペースを守ることができれば、後半はごぼう抜きできる。前を走る(歩く)ランナーを一人ずつ抜いていきながら走れれば、レース終盤で精神的に切れずに粘ることができる。逆に、前半と比べてペースを大きく落としてしまい、一人また一人と抜かれていく立場になってしまうと、精神的につらい。それから、エイドでは極力足を止める時間を短くした。そうすることで、かなりの人数を一気に抜き去ることができて、気分がよい。
 つかの間の森林浴に別れを告げると、浜佐呂間の市街地に出る。このあたりは私設のエイドが多いので、水分の取りすぎに注意する。去年は、40キロ地点以降でとった水分が、まったく吸収されていなかった。熱中症を防ぐためには水分を十分に取らねばならないが、短い時間で吸収する力には限界があるのだろう。胃の中にたまった水を揺らしながら走っていると、気分が悪くなるのも当然だ。というわけで、今年は、エイドで取る水分はコップ一杯にとどめ、あとはコース上でボトルから少しずつ摂るようこころがけた。
●〜90キロ
 70キロのエイドでアミノバイタルを飲んで、終盤に備える。もっとも、粉末は水の上に乗っかってしまってなかなか溶けず、無理やり飲もうとして気管に入りむせてしまった。そろそろ、今のペースを保つことに精一杯となって、精神的な余裕がなくなってきていることに気がつく。ここまではオーバーペースにならないように抑えて走ってきたが、そんな状況ではなくなってきた。50キロ以降は1キロごとに距離表示があるが、距離表示と距離表示の間が妙に長く感じるようになる。実際に1キロ6分半もかかっているわけだから長く感じて当然ではあるが、なおさらそう感じるようになる。74キロ地点のエイドには名物のお汁粉もあるが、水を一杯飲むだけでまったく足を止めずに走り去る。エイドで足を止めることがとてつもなくもったいなく感じるようになる。
 80キロ地点手前のエイドでおにぎりを二つ食べると、いよいよワッカ原生花園に入る。ここはサロマウルトラマラソンコースの代名詞とも言うべきところ。一番美しいところだが、一番苦しい思いをするところである。80キロの関門が、スタート10時間後の15時。この関門を通過しさえすれば、あとの20キロに3時間かかっても制限時間内にゴールできる。とりあえずここまでたどり着くことが、ほとんどのランナーにとって完走する前段階の大きな目標の一つだろう。私が実際に通過したのは13時54分。まだ前半のペースを維持できている。完走への手ごたえを得たようにも思えたが、ここから先に魔物が住んでいるのかもしれない。去年の体調の悪化も、ほとんど何の兆しもなく襲ってきた。80キロ地点をすぎるとまもなく、松林が途切れて眼前にオホーツク海が広がる。ふと、残りのキロ数が10キロ台に入ったことに気づき、なんとなく気が楽になる。
 左手にサロマ湖、右手にオホーツク海をのぞみ、エゾスカシユリが咲き乱れる風光明媚なコースのはずである。しかし、もはや周りの景色に注意を払う余裕はほとんどない。いわゆる「ランナーズ・ハイ」になったのかどうかわからないが、ひたすら前へ前へと進むことしか考えられなくなる。その結果か、80〜90キロのラップが1時間3分38秒と、こころもちペースアップしていた。こうして、レース終盤で無理なく意識せずにペースを上げられれば理想的な展開である。90キロの通過時刻は14時57分。残る10キロもほぼ同じペースで行けば、11時間をぎりぎり切ることができる。
 今思えば、余計な計算をせずにそのままのペースで走りきればよかった、としみじみ思う。35キロ過ぎのアップダウンが始まったあたりからここまで、心拍数が160を越えないように走ってきたが、ここで一気に180まで許容して大幅にペースアップ。最後10キロのラップが一番速いとかっこいい、あと10キロならば何とかもつだろう、と思って下らぬ欲を出してしまった。
 途中までは、おそらくキロ6分を切るペースで快調に飛ばしていた。しかし、95キロ地点をすぎたあたりで、突然足の動きが鈍くなる。心拍数も150台前半から上がらないという絶望的な状況に陥ってしまう。頭ではまだまだ追い込めると思っているのに、足がついてきてくれないのである。ここまで抜かしてきたはずのランナーに、次々と抜き返される。おそらく、かろうじて残っていたグリコーゲンが切れたのだろう。よく考えてみれば、すでに90キロも走っているのだから、そうなってもおかしくはない。自分の判断ミスをただ悔やむしかない。ただ、幸いもっと早い段階でこういう状態にならなかったことを慰めにして、重い足を運ぶ。
 足は依然として動かず、呼吸も浅くなる。せめて90キロ地点でペースをキープしようと思っておけば、と後悔したが後の祭り。あまりに苦しいので、歩きたくなる。残り5キロで制限時間まで2時間半あるから、歩いてもまだ大丈夫であることには違いない。でも、歩いてしまえば「完走」にはならない。動かない足を無理やり動かしながらゴールを目指す。ようやく、ウルトラマラソンらしくなってきたといえば、その通り。残り3キロ地点のあたりでワッカに別れを告げ、車道に入る。3キロという距離をこれほど長く感じたことはない。最後の最後に来てはじめて腕振りを意識しながらペースを上げ、11時間2分33秒で文字通りの完走を果たすことができた。最後10キロのラップも、前半の貯金が利いたのか、感じたほどペースは落ちていなかったのか、さほど見劣りのしないタイムでまとめることができて一安心した。
●ゴール後
 当然ながら、3日後まで引きずるほどの半端でない筋肉痛。幸いなことに、痛めたところはなかった。筋肉痛がひどくなることはある程度予想はしていたが、それ以上に内臓が疲れていることを実感した。ゴールの後のビールはさぞかしうまいだろう、と思っていたのだが、飲んでみるとむしろ苦く感じる。夜も網走の居酒屋で海の幸に舌鼓、の予定だったが、箸が進まない。酒もうまくない。それどころか、おりしもワールドカップの決勝戦をテレビで流していたのに、ほとんど見る気がしない。内臓ももちろんのこと、脳のほうも負けず劣らず疲れてしまったようだ。
 とりあえず、100キロレースに取り組むために最低限必要な経験則(=完走1回)を得ることができた。これを生かすためにも、きっとまたエントリーするだろう。ただ、次の重要なレースである11月末のつくばマラソンにむけて、このレースの結果をどう計算に入れたらよいのかわからない。とにかく、100キロをキロ6分半のほぼイーブンペースで走る力がフルマラソンでどう生きるのか、今度のつくばマラソンで確かめることが次の課題である。

ラップ表 (カッコ内は平均心拍数と部門別通過順位)
〜10  1:07:54(132、1409位)
〜20  1:02:50(140、1242位)
〜30  1:03:01(149、1090位)
〜40  1:04:38(158、 922位)
〜50  1:06:43(158、 814位)
〜60  1:15:16(158、 628位)
〜70  1:06:24(159、 521位)
〜80  1:07:03(159、 405位)
〜90  1:03:38(160、 330位)
〜ゴール 1:05:06(158、 300位)
計   11:02:33(153)



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