2002年 小笠・掛川マラソン
                           T.K

2002年4月21日(日)

2002年になってから出場したレースは、全てサロマ湖マラソンの為!ということで
大きなダメージを負わないことに重点を置き、どのレースも抑え目に入り、終盤になっても、
余裕を持って走れるくらいのペースで走ってきた。そんな事もあって、終盤になっても極端な
ペースダウンをすることは無く常に気持ちの良い感じで、ゴールしていた。
こういった感じで走っていると、凄く楽しい。後半になるとペースダウンするランナーをごぼう
抜きできるし、苦しみながら走る距離も短い。レース後の回復も早いから、次の日からでも
軽いジョギングを開始できる。しかし、記録を狙うとなると、やはり前半からソコソコのペース
で突っ込んで貯金を作り、後半徐々にペースダウンしながら貯金を死守して、ゴールというの
が有効なのだろう。

今回の小笠・掛川マラソンは、マラソンシーズンの最後ということで、記録狙いのレースに
した。サロマ湖が終わったわけではないので、ダメージを残すのは恐いが、ホノルルマラソン
からこれまでの4ヶ月でどれくらいパワーアップしているかを図って見たかったというのもあるし
ここで、良いタイムを出しといて、下半期に新たな目標設定をできれば、という考えもあった。
目標タイムは3.5時間を切る事。出きればグロスで、まあネットでも良い。と言った感じ。

小笠・掛川マラソンの会場は、ヤマハリゾートつま恋。掛川駅から車(バス)で10分以内。
今回は遠方での大会だったので、前日入りした。宿泊したのは、掛川ビジネスホテル駅南。
室内は割りと綺麗だが、ちょっと狭い。値段はダブルで9600円?でもツインではないので注意。
(ベッドはひとつ。しかも海外ではシングルのサイズなんで2人で寝るには窮屈です。)
系列ホテルの掛川ビジネスホテル駅南INのほうは、出来たばっかりで新しく、綺麗だった様子。
こちらはシングルルームのみ。今回サムズ・アップからの参加者は7名。フルマラソンに5名、
10kmに2名。往きは、東海道線をゆっくりと乗り継いで約3時間くらいかけて到着。小田原から
先は空いているから駅弁でも買ってゆっくりと。。。という思惑は外れ、半分くらいは立つ羽目に。
静岡をなめていた???

前日の夕食は掛川グランドホテル1階にあるバイキングレストランで食べた。料金は2800円。
陳列されている料理のほかに、注文でパスタやそば、ビビンバ、ステーキなども注文できるので
割りとお徳だとは思うが、さすがにマラソン前日いうことで、そんなに無茶苦茶食べるわけにも
いかず、でも他に良さそうな店は無かったし、まあまあかな?
それよりも心配なのは、翌日の天気。天気予報では、午前中40%、午後70%の予報。
雨が降るのは確定的だが、いつ降り出すか? せめてスタートしてからにして。。。の願いを
込めて、就寝したのは、午後10時。早っ!!

朝方目を醒ましたのは、窓に吹きつける雨の音だった。朝から降っている。しかも風が強い。
穏やかなイメージを持っていた小笠・掛川が音を立てて崩れ去った。でもまだこの時は、
レースで苦しむことになる、強風の凄さに気付いてはいなかったし、意外と明るかった事もあり
午後には止むんじゃないか? なんて根拠の無い希望を持っていたりもした。

スタートは午前10時。ホテルを8時30分に出発し、掛川駅からタクシーに乗って会場には、
9時前に到着。雨風を凌げるような場所は殆ど占拠されていて、荷物の置き場所を探すのに
一苦労。ようやくのことで軒下に辛うじて雨を防げる場所を確保。それにしても4月だというのに
寒い。前週の長野マラソンは4月だとまだ寒いのでは…と思って敬遠し、暖かそうな小笠を
選んだのに、前週の長野マラソンはポカポカ陽気で、小笠はブルブル陽気(陰気?)
前の日にランナーズのブースで買ったノースリーブとビニール袋を着込み、おニューのasics
のスピードマスターIGSを履いて準備完了。下はチタンロングスパッツ。それにしても、3.5時間
を切るぞ!という意気込みに水をさされたような感じで、イマイチ気分がのらない。

今回の作戦は、ミズノRCのペースアドバイザー(3.5時間)に最後までついて行く、それだけ。
しかしこれが容易では無かった。
レースは定刻通り、10時ちょうどにスタート。頭に風船をつけたペースアドバイザーを数メートル
先に見る感じでスタートする。アドバイザーの話しでは、スタートから暫らくの間は、混雑して、
なかなか5分/kmペースに乗せる事ができないので、我慢して行き、空いてきたら徐々にペース
アップして、中盤までに序盤の遅れを取り戻すとの事。自分にとって誤算だったのは、ペース
アドバイザーに着いて行くランナーが多い事。しかも上がったり下がったり、右に移動したり、
左に移動したり、せわしない動きをするランナーが多くて、何度かつまずきそうになった。
これでは余計な体力と精神力を使ってしまいそうだったので、ペースアドバイザーの前に出ることに
した。カーブなどでペースアドバイザーの位置を確認しながら、付かれ過ぎず、離しすぎず
ペース配分に気をつけて走った。最初の10kmは、51分48秒で通過。約2分の借金。
次の5kmは、ペースアドバイザーがペースを上げてきた事もあり、後ろから突っつかれるような感じ
で23分。この時点で、サブ3.5ペースになった。あとは5分/kmペースを守っていけば良いわけだが
後から突っつかれたせいで自分のペースに火がついてしまい、続く5kmも23分台で入り、20kmの
通過タイムは、1時間38分41秒。(1分強の貯金) ペースアドバイザーの集団を離してしまった。

まだまだペースは伸びそうな感じだったが、20km手前付近から風が向かい始めた。しかもかなり
強い。その為に雨ツブが顔に当って痛い。そんなことあり、ペースは風に抑えられた格好になった。
それでも、頭を下げて必死になって風の中に飛び込んで行き、5分/kmを少し切るくらいのペース
を維持して、20-25kmが24分28秒。25-30kmが24分52秒。30km地点通過が、2時間28分02秒。
(2分弱の貯金)

しかし30km手前あたりから田んぼの中の一本道に入ると、風の激しさはさらに増して、またここまでの
風との戦いがボディーブローのように効いてきて疲労が蓄積し、走っても走っても前に進んでいない
のでは?という錯覚に陥る。実際のところこのあたりから徐々にペースダウンが始まっていた。右前方
から来る強風に煽られ、ふらつき、思い通りのコース取りを出来ず、水溜りに足を落し、胸のゼッケンに
ついている抽選券は吹き飛ばされ、雨風をまともに受けて、鼻水をたらして、もがきながら走った。

そして30−35kmが26分に落ち込むと、今までずっと後にいた筈のペースアドバイザーに追いつか
れた。ここで、この集団を風除けに使い、何とかついていけば、サブ3.5は達成できるが、この5kmの
間に消耗したエネルギーは予想以上に大きく、ついて行けるだけのエネルギーは残っていなかった。

ペースアドバイザーの風船が徐々に小さくなっていく、一度離されてから何度か食いつこうと必死に
粘ってはみたが、少しづつ、少しづつ離れて行く。それは、グロス3.5時間の目標が離れていくことを
意味していた。もう追いつけない、これは目標を諦めるのと同じ事。
40km通過は、3時間21分5秒。この時点でグロス3.5時間は絶望的に…

しかし、まだネット3.5時間の可能性は僅かだが、残されている。スタートまでのロスタイムが2分近く
あったので、残りの2.195kmをもう一度、5分/kmペースに戻せれば… その僅かな望みに賭けて、
ペースアップをはかる。最後のエイドステーションでキュウイを一掴み取り、それを切っ掛けにして、
疲れた身体に鞭を打ち、ラストスパートをかけた。40−41kmは、5分ギリギリにペースアップ。しかし
それもここまで。残り1.195kmは、上り坂の斜度が徐々にきつくなる。特につま恋園内に入ってからの
斜度は、疲れ切った身体にラストスパートを許してくれるほど甘くは無かった。40−41kmで無理した
ツケがここで、廻ってきた。太股の表裏、ふくらはぎが動かなくなり、無理すれば攣ってしまうほどの
状況に陥る。もう無理はできない、ネット3.5時間も諦め、超スロージョグで坂を何とか上り、やっとの
事で完走。完走タイムは、グロスで3時間34分13秒。ネットで3時間32分27秒。最後の1.195kmに
8分以上かかってしまった事になる。 久しぶり地獄を味わった感じ。。。

結果からすると、グロスはおろか、ネットでも3.5時間を切ることはできなかった。風が強かったからと
言えば、そうかもしれないが、まだ確実に3.5時間を切れるほどの実力ではないという事は確かだ。
現時点での、自分の実力は確認できた。今回の状況は、ホノルルの時と似ている?(こんなに風は
強くなかったが…) あの時は、3時間52分(ネット)だったのが、今回は3時間32分(ネット)。
少なくとも、20分はパワーアップしている。これからさらに2ヶ月間、ウルトラマラソンのトレーニングを
積んで持久力を養成し、秋からは、フルマラソンにターゲットを絞ってキロ4分台のペースを身につけ
ていけば、少々厳しい条件でも、3.5時間は切れようになるだろう。そして今年のホノルルマラソンの
目標タイムは? まあそれはまたにするとしてとりあえず、自己ベストは更新したし、それなりに収穫
の多いレースとなった。

レース後は園内にある入浴施設(森林の湯)で、疲れを落とし(そう簡単には落ちない!)、帰りは、
新幹線(こだま)に乗って、駅弁食べて、ビールを飲んで、小田原経由で帰宅。帰りは2時間弱で
家に着いた。雨は藤沢でも降り続いていた。今週はお天気運が無かったようだ。。。

そう言えば、自分の事に夢中になって、書き忘れていたが、この大会を支えてくれていたボランティア
の方々には頭が下がる。動いていても寒さを感じる強風の中、じっと立って、コース案内をしている人
や、エイドステーションで大きな声を張り上げて飲み物や果物を振舞ってくれていた子供達。それに
雨に濡れながら、膝に毛布をかけ、車椅子に乗って応援してくれたお年寄り。応援の人数こそ多くは
無かったが、どれもこれも、風にめげて走るのを辞めてしまいそうになる自分の背中を強く後押しして
くれた。そんな声援があったからこそ、収容車に駈けこまず、最後まで走りぬけたんだと思う。
それに、フルーツステーションのイチゴ、オレンジ、バナナ、メロン、トマト、キュウイ 全部食べたが、
みんな美味しかった。フルーツを食べると少しの間は元気が戻る気がした。

今回は悪条件と記録狙いという条件が重なり、久々に地獄を味わい、レース終了直後はあまり良い
印象は残らなかったが、あとになって苦しさを忘れ始めると共に、ジワジワと感動がこみ上げてきている。
またいつか! 今度は天気の良い日に! そんな思いの残る大会となった。

追記:サムズ・アップで10kmの部に出場したひろみさんは、40分を切り、4位入賞。
荒川市民マラソン、焼津ハーフに続き、3戦連続表彰台。もう珍しい事ではなくなってしまいました。ネ!


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