2001年北海道マラソン体験記
 8月26日、北海道マラソンに参加してきた。2年ぶり5回目となる。わざわざ、北海道まで同じ大会に5回も参加しているのにも理由がある。一つ目は言うまでもなくテレビ中継があり、実業団選手も出る華やかな大会。そして、市民マラソンでは最も沿道の観衆の応援が多い。参加人数(今年は3000人程度)が適度。スタートからゴールが下り気味で走りやすい。さらに、フェアウエルパーティーを考えると参加費もお得。などなど首都圏の市民マラソンとは雲泥の差である。6年前に比べると大会の規模は縮小傾向にあるが、暑さのハンデを除けば、他の市民マラソンよりもずっと走り甲斐のある大会であることは確かである。サブフォーランナーにはぜひお勧めの大会である。
 さて、私の方であるが、フルマラソンは2月に別大マラソン35キロで関門にかかり、途中棄権、その前は1999年11月の福知山マラソンが最後のフル完走の記録である。しかも、近年左膝痛に悩まされ、福知山マラソンでも15キロから30キロまで膝の激痛と戦い歯をくいしばり、脚を引きずりながら、痛みの感覚が麻痺するのを待ち、それで3時間を切って完走するという地獄のマラソンを経験し、痛みなく完走できたマラソンは1997年のつくばマラソンまでさかのぼる。こうした状況の中、膝の対処法を探し求め世界中駆け回り、自分なりに工夫を重ね、久しぶりの42,195キロ挑戦ということになった。もちろんこの間、練習での40キロ走は一度もない。
 レース当日はここまで調整をせず、初めから記録にはこだわっていなかったので、かなりリラックスはしていた。それが災いしたのか、スタート5時間前の7時起床の予定をはるかにオーバーし目が覚めたのは8時50分であった。9時に朝食をとり終わる予定であったので、慌てて朝食をとりにいった。会場入りしたのは11時過ぎである。12時10分スタートを考えるとかなり慌ただしい時を過ごさなければならない。11時45分までに荷物を預け、コールをし、整列をしなければいけない。その前に、アップや着替え、トイレ、サプリメント摂取などしなければならず、心のゆとりは全くない。案の定、レース30分前に飲むはずの脂肪燃焼を促すアミノ酸飲料を飲むのをすっかり忘れていたことをレースが始まってから気づかされることになる。
 とにもかくにも、スタート地点に立つことができ、良い位置に並ぶことができたので朝のごたごたは帳消し、気温も前日の予報で25度くらいと聞いていたので、自信を持ってスタートした。当初の自己分析では5キロを20分30秒で走れば、楽しく、快適に走れると計算していた。しかし、スタートした時、作戦は変更された。このままイーブンペースでそこそこの記録を残すよりも、思い切って前の方へでて、テレビに移れる位置までがんばろう。そう思ってしまったのだ。私はできるだけ女子の先頭集団に近づこうとスタートから無謀にもダッシュを開始した。前を追っていくと、過去この大会優勝経験のある田中千尋選手を発見した。しかも、その横を報道車が伴走している。カメラもこちらを向いている。もしかしたら、テレビに映るかもと思い、カメラ視線を意識して走った。前方をみると女子の先頭の前を走る計時車の時計が目に入る。こんな位置でマラソンを走れるなんてと感慨に浸りながら、5キロ地点を通過。18分15秒。楽ではあるが、別大マラソンは19分で通過したのに比べれば、かなりのオーバーペース。後でつけがまわると判断し、深追いをやめ、ペースを落とすことにした。ここからが自分のマラソンなのだ。
 ペースを落としたものの次の5キロから10キロが19分台でまだ、予定より早い。後続ランナーに抜かれていくが、もっと落とさなければ。次の5キロで20分20秒くらいに落とすことができ、ようやく予定のペースで走れるようになった。とても楽だし、無理な力も入っていない。これならいけるかもという期待が膨らんだ。25キロまで順調にいった。だが、次の5キロ21分とペースが落ち、余裕もなくなっていくのを感じた。なんだか、脚のバネが利かなくなって、30キロ以降ペースを落とした別大マラソンのことが頭に浮かんだ。練習は30キロまででそこから先は未知の世界であった。キロ5分に落ちていた。35キロ通過後、完全にバネがなくなったことを実感した。交互に脚を前に置くだけ。気力は衰えていないのにバネが利かない。ここで今年かなり取り組んできた登山マラソンの教訓が頭に浮かぶ。無理して速く走ろうとするとかえって遅くなるというものだ。キロ6分であったがマイペースでリラックスして走る。これが一番の対処法だった。歩きたいという誘惑もあったが、今回はなんとしても完走しておきたかった。しかも、痛みなく走れるだけで幸せという気もした。幸い走り込みのお陰で、気持ちで距離が長いとは思わなくなっていたので、それほど苦しまず、40キロまでたどり着いた。最後は大通公園の横を通り、ゴールの中島公園へ向かって一直線の札幌メインストリートを駆け抜けるだけ。ここは最も観衆が多く、最後のフィナーレを迎えるには最高の場所だ。最後くらい風のようにかっこよく駆け抜けたい。ペースアップしてみる。すると左足後ろのハムストリングが攣りそうになった。期待に反して気温は30度を超え、前半の無理が脱水症状となって現れたのが原因であろう。それに右にはチタンテープを貼っていたのに左は大丈夫と思って貼らなかったのがいけなかったのか。ペースアップはあきらめ、マイペースでゴールを目指した。中島公園を入って残り700m。例年に比べ、ゴールの位置を公園の奥に移動したためとても長く感じた。ついにゴールのゲートが目にはいる。2年ぶりのフル完走!タイムは3時間10分42秒。決して良くはなかったが、今までできなかったレース展開で完走できたことは、新しい世界に足を踏み入れたことを意味し今後に期待をいだかせる結果であった。
 後日、ビデオで北海道マラソンをチェックすると、ほんの一瞬自分の姿が映っているのを確認できた。走った本人にしかわからない映像であったけれど。今から、来年は5キロ17分台でつっこもうと密かに闘志をもやした。