2001富士北麓24時間リレーマラソン 
 〜サムズ・アップうさぎ組の場合〜
                                 
金子尊博

2001年7月28日(土)曇り、7月29日(日)晴れ

昨年に続き2年連続の出場となった富士北麓24時間リレーマラソン。今年は3チーム
でのエントリーとなった。さるさんをリーダーとするさる組。ネクタイマンさん(鶴ちゃん)
をリーダとするつる組。そして私が所属したのはうさぎさんがリーダーを務めるうさぎ組
だった。各チームのメンバー数はさる12名。つる12名。うさぎ10名。合計で34名。
昨年に比べると、3倍増となる。出来る事なら、全チームの状況を書きたいところだが
色々事情があり、自分のチーム状況を把握するのが精一杯で他2チームが健闘して
いる様子は殆ど把握できなかった。ということで、今回はうさぎ組限定レポートとさせて
頂きたいと思う。他のチームの方々のレポートお待ちしています!!

大会のスタート時間は、正午。ということで、現地の集合時間は9時になった。普通の
大会なら、スタートの3時間前集合はちょっと早すぎるのでは?と思うかもしれないが、
この大会は何しろ24時間という長丁場で戦うわけで、その為の準備(テント設営、食事
の注文他色々)がたくさんあり、3時間では足りないくらい?な感じがする。
また車で現地入りする為、道路状況などもあり、時間どうりに集まるのは非常に困難?
と言うわけで今年も昨年の教訓はあまり生かされず、バタバタのスタートとなった。

というのは、3チーム全体の状況だが、うさぎチームにとっては、こんな事は全く問題に
ならないくらい大きなハプニングが起きていた。午前7時過ぎ、東名高速厚木ICへ向か
う車の中で携帯電話が鳴った。助手席で話しているK枝の話しぶりからしてあまり良い
知らせでは無いな!と感じてはいたが、それがうさぎ組を直撃する悲劇?になろうとは
思っていなかった。電話を終えたK枝の話しによるとうさぎ組のメンバーの一人が仕事
の都合で出場できなくなったと言うのだ。もともと、うさぎチームは10名ということで他の
2チームより人数が少ない。これは上級ランナーを2名抱えているからだが、そのうちの
一人は夜から合流することになっていた。さらにメンバーの2名が夜中から合流という事
になり、7名で夜までつながなくてはいけないという状況だったのが、これによりさらに1名
減ってしまった。ということは、6名で夜10時頃までリレーしなければいけない。
これは厳しい!と直感的に思ったが、まだこの時は『何とかなるさ!』の気持ちが勝って
いた。それよりも高いエントリー費を支払ったのに仕事の都合で出場できなくなって
しまったO型さんを思うと非常に残念という気持ちの方が先走っていた。これに対して
この大会に向けてとっても追い風が吹いていたチームがある。それはさる組だ。
チーム編成をしたとき、このチームに所属する、A子さん、うはうはさんは夜から合流。
すーちゃんは夜で退場ということになっており、最も危ぶまれていたチームだった。
ところが大会が近づくにつれ、追い風が吹き始める。まずA子さんが仕事状況が好転?
してフル参加OKとなり、続いてうはうはさんが仕事が忙しいながらも何とか折り合いが
つきフル参加。さらにすーちゃんもフル参加となり、12名が最初から最後までフル稼働
できるという万全の体制になった。そしてこの状況がレース後半のうさぎ組とさる組の
猛烈なデッドヒートを演出する。

テント設営作業は10時頃から始まった。今回初参加のはんざわさんを中心に割りと
手際良くテント設営が進む。去年は屋根を貼らずに立ち上げてしまい、失敗したが、
今年は大丈夫! 11時前にはテント内への荷物の搬入も済んだ。しかしここからが
慌しい。11時からマネージャー会議。続いて弁当の注文やら何やらをしていると、あっと
言う間にスタート10分前。Tシャツにゼッケンつけて、チップをシューズに取り付けて
2分前。2番目の出走予定を3番目に変更してもらい、ようやく間に合った。

我らがうさぎチームの取り敢えずの作戦は、日中(夕食の準備ができるまで)は一人
1周でまわし暑さによる疲労を最小限に抑え、その後涼しくなってきたらグループ単位
でまとまった時間の休憩を確保し、翌朝からスクランブル体制に入るというものだったが
6名しかいない現状ではグループのつくりようが無い。今いるメンバーで襷リレーを行い
夜合流のバーモンスさんや、ながおか夫妻登場に打開策を見出すしかないという状況
だった。ここで、うさぎチームのメンバー紹介。

1)リーダーはうさぎさん、走力は抜群、経験も豊富。うさぎチームの命運はこの人に...?
2)マネージャーその@がサムズ・アップのキャプテンR555さん。
3)マネージャーそのAが私。
4)ヒザを痛めていてちょっと心配な、たまきさん、
5)マイペースでいつもニコニコ、りっちゃん、
6)野球仲間のくろだくんは、いつも冷静で確実に距離を稼ぐ
7)夜合流予定のバーモンスさんは、うさぎさん同様、超上級者ランナー
8)深夜に帰国早々駈けつけてくれる、ながおか夫。運動不足と時差ぼけ?が心配?
9)そしてその奥様のながおか妻は、期待できそう?

という以上9名でこの大会を乗りきる事になった。

2001年7月28日正午12時、第7回富士北麓24時間リレーマラソンのスタートが切られた。
うさぎチームのスタートランナーは、うさぎさん。その名の通り?網タイツをはいたちょっと
過激なバニーガールの格好で競技場を走り去って行く。ファーストラップは6分53秒!
2番手はたまきさん、ヒザを痛めながらも9分13秒。3番手の私は8分52秒。4番手のR555
さんは、8分27秒。5番手くろだくんは9分34秒。6番手りっちゃんは、11分24秒で1セット目
を終える。2セット目に入ると、うさぎさんより『余裕がある人は2周』という指示が出る。うさぎ
さんR555さんは2周、他は1周づつ周回を重ねる。3セット目に入り、私も2周に加わる。
この体制で4セット,5セットと順調に周回を重ねて行き、夕方の6時を迎えた。

ここで、うさぎさんより『うさぎさん、私、R555さんが30分づつ、その後うさぎさんが90分
続けて走るのでここで出来る3時間の間に、たまきさん、くろだくん、りっチャンの3名が休憩
を(食事)取るように』との指示が出る。さらに『うさぎさん90分走の後、たまきさん、くろだくん、
りっチャンの3名で90分間を繋ぐ間に私とR555さんが休憩を取るように』の指示が出る。
しかし、ここからが問題! その後を誰が走るか? これが決まらない。 というか決めようが
無い。バーモンスさんの登場を祈るのみ!?

予定通りうさぎさんが30分で4周。私が30分で3周。R555さんは頑張って40分で4周。
そしてうさぎさんの90分走に入る。うさぎさんは、走り出す前に『私(うさぎさん)が走って
いる間はここ(応援ポイント)にいなくてもいいので休んでください。90分経ったら、次の
走者を待機する様に手配してください』この言葉に早くも1度目のジーーンというのが来た。
90分間一人で走りつづけてその間に他のメンバーを休ませる。1度で言いからこんな事
言ってみたいもんだ。そしてこの言葉をすんなりと受け入れ、私とR555さんは休憩に入る。
走っている人を一人コースに残して、休憩するのは申し訳無いような気がする。それは、
R555さんも同じことを思っていた。でもここで自分たちが休まなければ、うさぎさんを
休ませてあげる事ができなくなる。ここはしっかりと休憩を取って、身体の回復に努めて
その後、うさぎさんが走り終わった後にお返しをするしかない。これしか選択肢は無かった。

休憩に入ったのは、午後9時を少し過ぎた頃だった。しばらく休憩していたら、R555さん
の携帯電話が鳴った。バーモンスさん到着を告げる、幸運の電話だった。『これで何とか
なる!』バーモンスさんには、たまきさん、くろだくん、りっチャンのグループに加わって
もらい、5周を2セット。さらに10周を1セット走ってもらう事になった。これで、深夜2時まで
は襷が繋がる。

うさぎさんが90分走を終えて戻ってきたのは、10時少し前だった。さすがのうさぎさんにも
疲労の様子が伺える。この90分を一人で走りぬいてくれた事、それからバーモンスさんが
到着早々、ロングランに挑んでくれる事で、私は6時間近くの休憩をとる事ができる。
ここから先は、私とR555さんで頑張って、うさぎさん、バーモンスさんの頑張りに応えな
ければ...の思いを強くした。それから、たまきさん、くろだくん、りっチャンの3人組も1周
づつではあるが着実に周回数を重ねて行く。特にたまきさんは、ヒザを痛めており周回を
重ねるごとにラップが落ちてきていた。前半は9分台で走っていたのが、0時頃には、
14分台にまで落ち込んでいたのだ。去年初参加した、たまきさんは、その後練習を積み
重ね、徐々に走行距離を伸ばして今年の大会に挑む事になっていたのが、その練習の
最中にヒザを痛めてしまったらしい。急な下り坂のあるこのコースは痛めているヒザには
相当堪える筈。足を引きずるように走るその姿に2度目のジーーンが来た。

そんな中で常に笑顔を絶やさず、ニコニコしている女性がいた。それがりっチャンだ。
1周を12分くらいのマイペースで黙々と走りつづける。そして走り終わると、また笑顔。
深夜になって疲れているだろう、眠いのだろうに、常に笑顔でその場の雰囲気を和ませる。
りっチャンは、3月の昭和記念公園リレーマラソンでサムズ・アップに初参加した。そして
その翌周の荒川市民マラソン(フル)に出ると聞いた時は正直、完走は無理じゃないかと
思った。それが、蓋を明けてみれば風邪で体調を崩した私がリタイヤし、りっチャンは、
6時間ちょっとで見事に完走。この時も笑顔だったのだから本当に凄い!?

そしてもう一人、くろだくんは、私の野球仲間で、サムズ・アップが24時間リレーに3チーム
体制で望もうとした時、人数が不足気味だったので所属している野球チームに声を掛けた
所、唯一参加を決意してくれた勇者だった。彼は常に冷静! 決して自分のペースを壊さ
ない。しかも大会初出場という初心者でありながら、1周10分前後のペースをスタートした
時からゴールまで正確に守りつづけるという素晴らしいセルフコントロールの技を持っている。
私自身は、周りのペースにつられて最後に失速するという事が多いので本当に彼には
敬意を表する。本人は個人のマラソンレースは...? などと言っているが、彼こそマラソン
向きの正確であるような気がしてならない。力をつけていったら、サロマ湖の100kmマラソン
でも最初から最後まで全く同じペースで走ってしまうのではないか、いう気がする。

この3名が、うさぎチームのツインバズーカ砲の一人、バーモンスさんに繋げる。バーモンス
さんはフルマラソンを2時間30分台で走ってしまうくらいの実力者で、チームの順位をグイグイ
引き上げる。そして引き上げた順位をこの3名が必至に守る。そうこうしているうちに前半戦
では、70位台だった順位が、深夜の時間帯には40位台にまで上昇した。

午前0時過ぎ。私の携帯電話が鳴った。ながおか夫妻到着を知らせる2本目の幸運の電話
だった。これで、2時以降も私とR555さん、ながおか夫妻の4名で3時間を稼ぎ、早朝5時
までは引っ張れる。これで、うさぎさんは回復出来そうだと言う。
私、R555さん、ながおか夫妻の4名グループは、私とR555さんが2周(約20分)。ながおか
夫妻が1周づつ(約10分)の計1時間を3セット消化して、3時間を稼ぐ。しかし私にとっては、
この3時間が最も辛かった。6時間の休憩をもらってはいたが、殆ど眠れなかった。そのツケ
がこの時間帯にやってきたようで、身体全体が重く、出走待ちの間にも眠ってしまう。
1周目は何とか走れるのだが、2周目に入るとガクッと力が無くなる。タイムもじりじりと下がり
気味で、1周10分を切るのがやっとの状態になってしまった。それでも何とか襷を繋ぐ。

ながおか夫妻も貴重な繋ぎ役として、頑張った。もしこの二人がいなかったらと思うとゾッと
する。何しろ、3人組はそれまでの時間で相当体力を消耗しているし、バーモンスさんも
到着早々20周も走っていて、翌朝からのことを考えれば、ここで休まないと走れなくなって
しまう。うさぎさんも体力回復中で、無理は出来ない。とすると私とR555さんの二人で3時間?
出来なくは無いだろうが、これをやったら、この後はもう走れないかもしれない。
そう言った意味では、ながおか夫妻が稼ぐ20分(1セット)のインターバルは貴重だった。
一人の選手が走っていれば、それ以外の選手は休む事が出来る。うさぎチームで言えば、
一人の選手が10分走る事で、残りの8人分(延べ80分)の休憩時間を作り出す事が出来る
わけだ。だったら、ゆっくり歩いてでも周回すれば、いくらでも時間は稼げるという考え方も
あるが、襷をかけてしまうとなかなか手抜きはできない。ながおか夫妻も例外では無かった。

ながおか夫さんはこの3セット+1の4周を9分前半のラップで走りぬけたが、その代償として
ヒザを痛めてしまった。ながおか妻さんも11分前後のラップで3セットを走りきった。私も
下り坂でヒザに痛みを感じるようになっていた。そして夜が明け始めた午前5時12分。
うさぎさんの復活と共にこの4名はコースを後にして休憩に入った。ここまでの私の周回数は
17周。昨年の記録をもう既に3周超えていた。

その後、バーモンスさんと3人組が次ぎ次ぎに復活して行く。私はその2時間くらいの間に
仮眠をとる事が出来た。これが朝からのスクランブル体制に大きく影響した。
私が目覚めたのは、午前7時過ぎ。会場内に流れるDJの放送で目が覚めた。そのとき、
R555さんの姿はもう無かった。『まずい、寝すぎたかな?』の思いを胸に、髭剃りと歯ブラシ
をもってリレーゾーンの横を通り過ぎ様とすると、うさぎさんから『次の次に走って!』と声を
掛けられる。『ここからスクランブル体制で順位を上げるから!』と続く。そう、この時、サムズ
アップさる組とうさぎ組はデッドヒートを繰り広げていた。抜きつ抜かれつの大接戦を演じて
、全体の順位も40位台前半にまで上っていた。

私は慌てて、ひげを剃り、歯を磨いて、走る仕度を整えてリレーゾーンに向かった。
リレーゾーンに到着すると、すぐに前走者のくろだくんが走ってくる。襷を受け取りアップを
兼ねて走り出す。楽に走ったつもりだったがラップは9分4秒。悪くない。前夜の不調を
思えば、かなり回復している事を実感した。そして走り終えた後、うさぎさんから次の指令
が飛んだ。『8時から2時間くらいの間で勝負に出る。さる組に1周差をつけるため、走れる
メンバーを選抜して行く』というものだった。太陽が完全に昇り、これまで姿を消していた
富士山が姿を現し、強い陽射しが差し込んで、暑い暑い24時間リレーが戻ってきた時
だった。そして、ここから猛烈な追いこみが始まる。私も頭の中でカチッという音がして、
スイッチが入ったような気がした。

まず、うさぎさん7分10秒,R555さん9分6秒,くろだくん9分47秒,うさぎさん7分24秒,
私8分13秒(ちなみにベストラップ),バーモンスさん7分20秒,うさぎさん7分23秒,R555
さん9分5秒,私8分25秒,バーモンスさん7分47秒,うさぎさん7分33秒。と怒涛の追いこみ
を掛け、予定通りさる組に1周差をつけた。これで勝負あり。あとは一人1回づつ走って
残りの時間は適当に繋ぎ、最後はバーモンスさんが締めるという事になった。

そして午前9時39分、一人1周づつのラストランが始まる。まずは、ながおか妻さんが走る。
夫の海外出張の帰国が土曜日になった為、途中出場を余儀なくされたが一番手薄な
時間に滑りこみ、貴重なつなぎ役として立派に役目を果たした。また記録係も長い時間
引きうけてくれて、後半戦走りに集中できたメンバーも多かった事だと思う。最後の残った
力を振り絞り、11分05秒のラップでラストを飾った。

2番手はくろだくん、24時間リレー出場を決めてから、地道に練習を重ねてきた成果を、
発揮し、最後までペースを落さずに走りつづけてきた。

3番手はR555さん、サムズ・アップのキャプテンとして常に責任感を持ち、少しでも長く
走ろうとするその姿勢には脱帽。夜が明けて気温が上昇してからは、本当に辛そうで、
『もう頑張れないかも』という言葉を何度か聞いたが、それでも次の出番には同じような
ラップを刻んでくる。走り終え、辛そうにしているR555さんを見て、何度もこみ上げてくる
ものを感じた。それでも気の利いた事ひとつ掛けてあげられない自分に苛立ちを感じ、
その苛立ちを気合をいれることで解消した。R555さんが走ってくると応援は、一層盛り
あがる。

4番手はバーモンスさん、バーモンスさんはこの後アンカーでもう1度登場する。今回、
アンカーをつとめる事になったのも、夜登場して、いきなり20周もの周回を重ね、チーム
の危機を救ったことをリーダーのうさぎさんが評価しての事だと思う。うさぎ組のメンバー
は当初、アンカーはうさぎさんと思っていたが、バーモンスさんの活躍を全員見ているし、
そのうえでうさぎさんが決めた事だったので、全く異論無し。本当にバーモンスさん有り難う!

5番手はりっちゃん、この24時間という長丁場、顔を合わせれば常に笑顔で受け答えして
くれた。最初に会ったときから比べたら、走りも軽やかになってきたし、何しろ楽しそうに
走っている。私が辛くて、何て苦しい大会なんだ!と思っているときにその笑顔で、何て
楽しい大会なの!と考え方を変えてくれた。

6番手は私、この大会に向けて(ホノルルマラソンに向けてでもあるが...)7月1日から
走りこみを開始し、この大会までに走りこんだ距離は150km。とにかく富士北麓の暑さに
負けない身体を作ろう、暑さになれようと、エアコンの無い部屋で寝起きをし、暑い中での
走りこみをしてきた。その効果があったのか、去年よりも多くの周回を重ねているが、
まだ走れる。残りの力を振り絞って走った。

7番手はうさぎさん、言わずと知れたサムズ・アップのエース!!この大会でサムズ・アップ
3チームが取った、日中1周限定走の作戦はうさぎさんの考案。ランナーの走力を冷静に
分析して作戦を考え、また自らチームを引っ張る快走を見せ、また派手な仮装で観ている
人を引きつけた。それでいて、途中ビールを一杯やっちゃうんだから凄いの一言に尽きる。

8番手はたまきさん、去年のこの大会に出場して、ちょっとだけ走る事に目覚め、ジョギング
を開始して、今年はパワーアップして登場。のはずが練習で膝を痛めて、自分の実力を
発揮できず悔しそうな顔を何度もしていた。『休んでていいですよ』と言えないチーム状況
を察して、痛みを堪えて走ってくれた。私はその姿を何度も見て、頑張らなければ!の思い
を強くしたのだった。お疲れ様!

9番手はながおか夫さん、海外出張から帰り、即会場入りして、チームがピンチで順位や
タイムなんてどうでもいいから襷をつなごうという雰囲気の中で、9分前半のラップを叩き出し
順位を下げるどころか逆に引き上げる原動力になった。その代償は大きく、ヒザを痛めて
スクランブル体制に入ったときには加わる事ができなかったが、チームには十分貢献した。
応援団の前を、顔をしかめて足を引きずりながら走っている姿は多くの人の泪を誘っていた。

さあこれで一通り終了。しかしまだ時間は47分ある。リレーゾーンのクローズが11時45分なの
で、32分以内で3名走ることになった。先頭はR555さん、続いて、くろだくん、そしてアンカー
へ繋ぐのが私。

と言う事で、もう1度登場R555さん。体力の限界に達しながらも必至に走る。
朝も私より一足早く起きて、レースに加わる。本当にご苦労様! 最後の1周はなりふり構わ
ず突っ走るの宣言通り、限界を超えた中で、8分42秒の好ラップ。もう面と向かって話せない。
それくらい感動した。あふれ出る泪を汗でごまかすのも、もう限界だった。
そして襷は、くろだくんへ

くろだくんが、1周1周確実に積み上げていった周回数は13周。24時間の間に13回も襷を
受け継いだことになる。そして、最後の応援席前を通過して、リレーゾーンへ姿を現した時は
これまでの冷静なくろだくんではなく、持ってる力を精一杯振り絞り、フォームを崩しながらも
前へ前へと必至に突っ込む、感動的な走りを見せた。余計な事は語らない、ただ結果を
残すだけだ!そんな意気込みが伝わってきた。そして一言、『お疲れ様、良く頑張った!』
の声を掛けてその襷を私が受け取る。

リレーゾーンのクローズまで、あと13分。何かアクシデントが無い限り、アンカーのバーモンス
さんに襷は繋げられる。転ばないように慎重に競技場を出ようと思った瞬間、左足ふくらはぎ
に強い張りがきた。まずい!ここで足を攣ってしまったら、13分では戻れない。そのときの
順位は39位。30位台をキープする為に出きるだけ早くアンカーに襷を渡したかったが、まだ
上り坂もあるし、下り坂もある。足が痙攣した時の走れなさは、何度か経験している。順位より
も襷を渡す事が優先だ!ペースを落とし、左足をかばうようにゆっくりと坂を登る。足の張り
具合は一層増してきた。頼む!モッテくれー!と願いながら走る。そしてやっとの思いで坂を
昇りきり、平坦なコースで息を整える。さあ、あとは坂を下って、みんなが待ってる応援席の
前を通過すれば、ゴールだ。

応援席では、ラストランを終えたメンバーが集まり、旗を振り、笛をならし、拍手と大歓声で、
ランナーを迎えていた。もう、嬉しくて応援席のほうを見ることができない。感動で胸一杯
サムズ・アップという僅か5名で発足した小さなチームのもとに今、30名以上のランナーが
集まってくれている。友人知人で集まってくれた人も、ホームページを見て参加してくれた
人もみんな良い人ばかりで、本当にこのチームは恵まれていると思う。感謝!!

と、その時、うさぎさんがコースに現れ私の背中を強く押す。そして言う事を聞かない足が
ついていかなくなりそうになった瞬間、すぐ横を暑い風が走り去っていった。
さる組のラスト前ランナーの晴れ男さんだった。ついていきたい気持ちはあったがもう、足が
どうにも動かない。さる組とは1周差あるからいいや!と思っていた。しかしこれが誤算。
うさぎチームが一人1周のラストランで感動に浸っている間にさる組は、猛烈な追い上げを
見せていつのまにか、うさぎ組に追いついていたのだった。
しかし、うさぎ組のメンバーはそれに気づかなかった...?

そして私の2001年富士北麓24時間リレーマラソンのラストラップ(22周目)が9分2秒で終了し、
24時間、9名の汗と熱い思いがズッシリと染みこんだ襷が、最後のランナー、バーモンスさん
に渡った。バーモンスさんへは、これまでも何度か襷を渡してきたが、いつもニッコリと微笑ん
で襷を受け取ってくれる。最後は、巨大なアフロヘアーに髭面メイクの仮装で笑みを浮かべ、
軽くうなずくように襷を受け取った。

バーモンスさんは巨大なアフロヘアーとポーズで盛り上げる。さる組のアンカーはリーダー
のさるさん。つる組のアンカーはネクタイマンさんが襷を受けて走り出していた。
応援席の前を一番最初に通過したのはさるさん。軽快な足取りに衰えは感じられないが、
気持ちで動かしていたのかもしれない。次に現れたのは、バーモンスさん。大きな声援と
大爆笑で迎えられる。そして暫らくあいて、ネクタイマンさん。もう応援席は押さえが聞かない
ほどに盛りあがっていた。サムズ・アップ以外のチームにも拍手を送り、チアホーンを
鳴り響かせ、大声援を送る。なかには感極まって泣き出しそうになるランナーもいた。
そして、アンカーはもう1度周回を重ね、コース上でレース終了を継げるカウントダウンを
聞く事になる。会場には映画『炎のランナー』のテーマソングが流され、興奮と感動の
エンディングを演出する。そしてついに、11時59分50秒、カウントダウンが始まった。
10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0 コース上のあらゆる所から大歓声が沸き、今年の24
時間リレーマラソンの終了が告げられる。あとは、サムズ・アップ3チームのアンカーが到着
するのを待ち全員でビクトリーランに移る。

うさぎ組のアンカー、バーモンスさんはちょっとした手違い?で既に応援隊に合流。
しばらく時間があいてから、さるさんが襷を振りまわし、満面の笑みを浮かべながら応援隊
の前に姿を現す。続いてネクタイマンさん登場。もう待ちきれないと言った感じで応援隊が
コースに乱入。ここからはチーム全員の大行進だ。うはうは応援団長の指揮のもと、
サムーズ・アップ、パパンパ、パンパンのエールに合わせて声を張り上げ、ゴールを目指す。

アンカーを待っているチームや既にゴールしているチームも一緒になってエールに加わる。
そして最後のリレーゾーンを抜けてゴール!! リーダーと握手をする人、ハイタッチを
する人、抱き合って喜ぶ人、表現方法は様々だが、心は一つ。やり遂げたという満足感だ
これは、走った者にしか分からない感動だと思う。自分が苦しい思いをしているから、他の
メンバーの苦しみも分かち合える。同じ思いで走ってきて自分が感動しているのだから、
他のメンバーも感動している。24時間リレーマラソンは、大人になって忘れかけていた事、
あきらめかけていた事を思い出させてくれる、究極のレクリェーションかもしれない。

最終結果は、最後に差し切ったさる組が155周で36位。うさぎ組もさる組には差された
ものの同じく155周で目標の30位台をキープ!38位。つる組は134周で117位となった。
3チーム合計で444周、距離にすると843.6kmになる。これは、東京から名古屋,大坂,
を越え、広島にまで到達するという距離に匹敵する。

さあ、次のビッグイベントは、ホノルルマラソン。富士北麓24時間リレーが終わったからと
言ってホッとしている場合ではない。今年のホノルルは私にとって特別大きな挑戦となる。
さあ8月からも走るぞー! それから2001年の富士北麓24時間リレーは終わったが、
2002年の富士北麓への挑戦は、今始まったばかりだ!!

最後に...
この大会が終わってから、数日の間に参加したメンバーの方々から、数多くのメールを
もらった。『楽しかった!』、『感動した!』、『貴重な経験だった!』などなど。今回微力ながら
とりまとめ役を務めさせていただき、大した働きはできなかったが、こういったメールを受け取る
度に、やってみて本当によかったと思う。今年の反省を活かし、また来年も頑張りますので、
よろしくお願いします。それから年末に行う忘年会では参加された全員の方と、またお会い
できるのを楽しみにしています。

さる組のさるさん、晴れ男さん、うはうはさん、Q太郎さん、おおさかさん、セロニアンさん、
みーたん、はんざわさん、すーちゃん、ひろみさん、A子さん、K枝

つる組のネクチャン、ながたまさん、マッキーさん、おざきさん、こぶたさん、かたむらさん、
ちゃりだーさん、かじたにさん、チャンプさん、Kルさん、ヨー娘。さん

うさぎ組のうさぎさん、バーモンスさん、くろだくん、たまきさん、りっちゃん、ながおか夫さん
ながおか妻さん、R555さん

応援に駈けつけてくれた、あさばさん、おおもりくん、いとうくん

本当に有り難うございました。


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