荒川市民マラソン
                                 
金子尊博

2000年3月26日(日)晴れ、微風

会場となっている荒川河川敷グランドへはスタートの20分前に到着した。
早朝、京浜東北線で事故があった影響で東海道線が止まってしまい、そのせいで
メンバーとの集合時間に30分近くも遅れてしまった。予定では会場に到着してから軽い食事を摂り
ゆっくりと準備をして、トイレを済ませ、アップをしてからスタート地点に着くつもりだった。
しかし、もう20分しかない。ゼッケンを着け靴を履いていると、『スタート地点につくように!』という
アナウンスが流れ始める。準備が終わった時点でスタート5分前。まだトイレにも行っていない。
トイレを諦めてスタートすることも考えたが、トイレの列はそれほどできていなかったので用を済ませて
何とか、スタート地点に着く事が出来た。 『それにしても慌しいナ』 ホノルルマラソンの時はスタート
の号砲が待ち遠しくて仕方なかったのに...(これはいい訳にならないか?)

今回の目標タイムは5時間を切る事。その為に考えた作戦はキャプテンについて行けるところまで
ついていき、最後は根性で何とかカバーしようというものだった。キャプテンのホノルルマラソンのタイム
は4時間39分。『キャプテンがこのくらいで今回も完走するなら、30kmまでついていければ、何とか5時間
を切れるだろう』 そう思っていた。(この考えが甘かった。)

スタート地点につくと間もなく、スタートのピストル音が鳴り響いた。
スタートゲートをくぐるまでは、歩くようなペースで5分くらい、掛かったいたと思う。
その後ゆっくりと列が流れ始めると、キャプテンは人の間を縫うように走り始めた。見失わないよう必至に
ついて行く。徐々に列がばらけはじめるとキャプテンのペースは、徐々に上がって行く。
それでも、『ついていけば5時間を切れる。キャプテンも4時間30分位のタイムだろうから、どこかでペースが
落ち着いてくれるだろう』そう思ってついて行った。それほど厳しいペースではなく呼吸に乱れもなかったし
足も軽快に動いているように感じていた。(この時はまだ...)

5kmを過ぎたところから、2.5km毎に給水所が現れた。(給食所もあった。)
給水所の手前からキャプテンは歩き始めるが、水分を取るとすぐに走り始める。その為、給水所を過ぎると
少し離れ見失いかけるので、ペースをあげて追いつく。給水所の度にこれを繰り返した。私のほうが飲む量
が多いのか、コップを貰う要領が悪いのか、いつも給水所では遅れていた。
キャプテンのペースが自分にとって速すぎると感じたのは10km地点。グロスタイムで58分。
ということは、スタートゲートをくぐってから53分位で10kmを走った事になる。最初に出場した湘南マラソン
(10km)の完走タイムは52分。そのときと同じ位のペースでフルマラソンの最初の10kmを走ってしまったことに
なる。『速すぎる』 しかし、それは今思えばの事で、あの時は、天気も良く、体調も悪くなかったので走っていて
気持ち良かった。その後もキャプテンについて行った。ハイペースによる疲労が自分の身体の中に少しづつ
溜まっていっているのに気づかないまま...

15km過ぎの給水所でキャプテンの姿をまたも見失った。この時にちょっと身体がだるような気がした。
キャプテンのたくましい(?)背中を見たのはこの給水所が最後だった。それまでのようにペースを上げて追い
つこうという元気が湧いてこなくなっていた。『まあ、自分のペースで走っていれば追いつくかもしれない』と
この時は思っていた。(しかし、この考えは甘かった。身のほど知らずだった。)
これから先、長く、辛く、孤独なフルマラソンが待っていようとは...
20km通過が1時間58分。10kmから20kmの区間を1時間近くかけて走った。もっとペースを落したように思って
いたが、それほど落ちていなかったようだ。20km地点では、まだ歩こうなどという考えは全く無かった。
足も異常なく動いていた。気持ちも良かった。給水(食)所のピーナツパンもおいしかった(関係無いか?)

しかし、それから30分後...
突然、右足の太ももに異変が起きた。なんか力が抜けてしまったような違和感があるなーと思っていたら、
ピクピクと痙攣が起き始めた。それでも足は動くので走りつづけていると突然何かに挟まれたような激しい
痛みが...我慢できず、立ち止まって足を覗きこむと右足の少し内側の筋肉が盛り上がっているというか
へこんでいるというか、奇妙な形に変形していた。ふくらはぎはよく寝ているときに攣るが、こんな場所が攣る
なんて始めての経験だった。揉み解す事で痛みは和らいだが張りは残った。それでもしばらく歩きつづけると、
張りが徐々に解消されてくるのでまた走り始めてみる。
しかし1kmも走らないうちにまた痙攣が起きる。この後は、走る→立ち止まる→歩く→食べる(飲む)の繰り返し。

痙攣が起きる度に何度か棄権を考えた。でも、『痙攣がおさまってくれれば、5時間を切る可能性は残ってる。』
そう自分に言い聞かせてまた走り始める。30km通過が3時間26分。残り12kmを1時間30分で行くには、走る距離
を伸ばさなければと思うが、身体がついていかない。『情けない!』と自分の身体(足)を責め、必至に奮い
立たせるが、状態は良くならない。32km付近、スタート地点に戻った時には、5時間を切るのは絶望的な状態
になっていた。いつ飯野さんや亀ちゃんに追いつかれるのか、それだけを気にしていた。

35km付近。キャプテンとすれ違った。キャプテンはゴールまであとわずか。この時始めて、自分のたてた作戦
が無謀であったことを知る。時計を見るとまだ4時間を切っていた。ということは、多少のペースダウンはあった
ものの、前半、自分にとってハイペースだと感じていたペースでキャプテンはここまで走りきってしまったのだ。
『そりゃー痙攣しても仕方ないなー』といまさら後悔してもあとの...
自分の実力以上のハイペースで走っておきながら、痙攣した足を責めてるなんて...

ここから、気持ちを入れ替えた。
ホノルルマラソンでの完走タイムは6時間を越えていたので、このままゆっくり歩いてもベスト更新にはなる。
完走する価値はある。今まで責めつづけていた自分の身体をいたわって、『よく動いてるゾ。いい調子だ。』
と励ましつづけ、歩く速さとそれほど変わらないスピードで走りつづける。そうしてみると、足の痙攣はおさまり、
ゆっくりではあるが、何とか走りつづけることができるようになった。身体は疲れきっていて、足も引きずるように
しか動かないが何とか前に進んでいた。確実にゴールは近づいていた。

そして遠くに、ゴールゲートらしきものが見えてきた。(近くへ行ってみるとスタート
ゲートだったが...) 待ちに待ったゴールまで残り1km。
『もうタイムはどうでもいい。今、自分にできるのはゆっくりと走りつづけることだ。』
この重い身体を支え、無茶なペースに付き合ってくれた両足に感謝しながらゆっくり
とゴールへ向って進む。ホノルルマラソンの時のような感動はなかったが、充実感は
あった。スタートからゴールまで自分の持てる力は出しきれた。内容的には…だが。ゴールゲート直前、サムズアップの仲間たちの声が聞こえた。
手を振る余裕はなかったが、精一杯笑顔?を作って親指を上に向けて立てた。
そして次の瞬間、ゴールラインを超えた。辛く、苦しく、長いマラソンだったが、いい
経験になったと思う。靴の紐をほどくのも辛いくらい疲れていた。
それでも、もう次の大会のことを考えていた。
口では、『キャプテンについていって、自滅した』なんて言いながら

次もキャプテンについて行こう! できるだけ長く... 
なんちゃって?
  ゴール直前の筆者

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