『ホノルルマラソン 完走?挫折?再挑戦!! 』
                                 
金子尊博

12月12日(日) 雨のち曇り 微風

 この日は朝から慌しかった。まず朝食を摂り(おにぎり)、足に靴擦れ防止用のテープを張る。
かかと、親指の付け根。指先にもテープを巻き指どおしが擦れないようにした。ここまでは練習の時
に起きていたアクシデントを防止するために行ったのだが、前日の説明で雨が予想されるので、
「ワセリンを多めに塗っておいたほうがよい」と言う忠告にしたがい、乳首、脇、太もも内側、足、靴
にワセリンを塗りこんだ。これだけ塗ればもう大丈夫と思い、ワセリンは持っていかなかった。これが...
さらにテーピングもいつもより念入りに行ったので持っていかなかった。これも...
何はともあれ一応の支度が整い、いざ出発。ウエストポーチの中には、ブドウ糖タブレット20粒、
ウィダーインゼリー1個、バンテリンクリーム、使い捨てレインコート、カメラを入れた。
ロビーに降りて記念写真などを撮っていると迎えのバスが来たので乗りこむ。外は雨。かなり降っている。
とにかく少しでも小降りになってくれと祈るのみ。しかし願いは通じず...

 ホノルルマラソン出場を決めたのは10月1日、エンソル杯ゴルフコンペの日だった。
以前から興味をもっていたものの、体力(特に持久力)には、それほど自信がなかった為、見合わせて
いたのだが、30歳を迎え、ここで何かひとつ大きな目標を持とうと、思いきって出場を決めた。
それからの2ヶ月間は、大好きだったビールを断ち、間食を控え、時間の許す範囲内で走りこみを行い
なんとか体重を9kg落とすことに成功した。(それでもまだまだ重いとは思うが...)
走行距離も湘南マラソンでは10km、練習では17kmまで伸ばし「なんとか完走くらいはできるんじゃないか?」
という程度の自信を持った。

 スタート地点のアラモアナ公園に着いても以前として雨。しかも雨は、強くなっていた。
レインコートを着こみ、エイエイオーイベントの集合場所へ。しばらくすると我らが(チームぴあ)リーダーの寛平
ちゃん登場。一気に盛り上がってきた。が、以前として雨は強く降っている。どうせ汗かいてびしょ濡れになるん
だからとも思ったが、やはりこの雨はちょっと気になる。エイエイオーが終了したのでスタート前にトイレに行くこと
にする。以前、湘南マラソンのときはトイレに行かず、途中でトイレに行きたくなってしまいえらい目にあっていた
ので今回はその経験を生かす。それにしても強い雨だ。雨の中でトイレが空くのを待つのは妙にわびしい。

 トイレが済むとスタート前20分。あの雨の中、トイレ待ちに要した時間は30分。なんか悲しい。
みんな(私以外は女性)と合流しスタート地点へ。4時間から5時間あたりの列に紛れ込む。最初の10kmを歩く
作戦にしていたのでもっと後ろでもよかったが、少しでも歩く距離が短くなるにこしたことはない。それにスタート
の瞬間くらい仲間と一緒にいたかった。時折外人が歓声(奇声)を上げていたが理由は良くわからない。
ただ自分もちょっとずつ興奮(緊張)していったような気がする。

 そしてスタート。4人で手を重ね合わせお互いの健闘を誓い合う。覚悟はできた。たくさんの花火が打ち上げ
られ歓声とともにスタートが切られた。といってもまだ列は動かない...
数分間、立ち止まって花火を見ていたような気がする。ようやくゆっくりと列が動き出し、本当のスタート地点に
到達。ここからが本当のスタートだ。走り出したい気持ちはあったが、完走に対する不安が強かったので、予定
通り最初の10kmは歩くことにした。周りの景色を楽しみ、写真を撮り奇妙な格好で走る人達を笑いながら...
それにしても1マイルって距離はなんて長いんだろう。
それに景色を見ながら歩いているせいか、タイムが遅い。遅すぎる。5km通過に1時間以上。最初の計画では、
最初の10kmを1時間40分。その後、1km7分のペースで走りきれば5時間30分前後でゴールできると計算したの
にこのままだと10km通過に2時間以上かかってしまう。少しあせっていた。それでも最初に立てた計画を守ろうと
10kmまでは歩くことにした。最終目標は完走だったので...

 そして、4マイル付近でお助けマンに早くも追いつかれた。チームぴあでは現在ビリから2番目だそうだ。
後ろには初参加のおじさんが最後尾の襷をかけているので、もし抜かれたら引き継いでほしいと言われた。
そんなバカな。これから走り出そうと思っているのに...

 しばらくすると宿泊しているホテルの前に来た。ここまでで約10km。カピオラニ公園に入り、10km地点の看板
が見えた。走りたくてうずうずしていたのでこの看板が待ち遠しかった。妻と分かれ、お互いのペースで走り出し
た。走りたくて仕方なかったのでペースが自然と上がる。それを何とか押さえて走ったつもりだったが、思った
ほど落ちてなかったようだ。ダイアモンドヘッドの登り坂ではお助けマンを追い越し、さらに前へ進む。このあたり
では抜くことばかりで抜かれることはなかった。

 絶好調!! センターライン沿いを一気に走り抜ける。センターのテープを持っている外人と手を叩きあわせ
ながら...いつのまにか夜が明けていた。(といっても太陽が見えたわけではないが...)
20km通過が3時間くらい。この10kmを1時間で走っていた。この後ハイウエイに入るが以前として調子は良く、
チームぴあのメンバーを抜く度に「がんばりましょう!!」と声をかけた。

 この後、キャプテンとすれ違う。彼女はもう30kmを通過していた。やはり速い。まだ元気そうだった。このあたり
で第一の異変が... 右の乳首がちくちくと痛み始めていた。気になったので見てみるとユニフォームが血で
にじんでいる。右乳首から右腰にかけて血が流れていた。出血の量はたいしたことはなかったんだろうが、雨で
ぬれたために広がっていたようだ。原因はゼッケンをとめていた安全ピン。あれほど真剣につけたのにちょうど
当たってしまっていたようだ。ユニフォームを少し右にずらして回避した。それでも足のほうは元気でペースは
落ちていなかった。しかし第2のアクシデント。股ずれ発生。練習では長めの短パンでトレーニングしていたの
だが、本番のユニフォームは短かったのが原因のようだ。スタート前にワセリンは塗っていたが雨と汗で流れて
しまったのかもしれない。だんだんと気になり始めた。走り方もぎこちなくなっていった。「ワセリンを持ってくれば
良かった。」 それでも30km通過は、4時間くらい。残り10kmを1時間30分で行ければ5時間30分の目標をクリア
できる。まだ余裕があった。

 30km地点の手前でトイレを済ませて(立ち???)いたので後は目一杯走れる。と思っていたら、左足人差し指
の爪が急に痛くなり始めた。最初はくつにひっかかるような感じだったのが、徐々に痛みに変わってきた。走るの
が辛くなってきたので歩き始めた。それでも痛い。さらに左足をかばっていたら今度は右足の人差し指も同じよう
な現象に...さらに爪だけではなく指全体が痛み始めた。歩くペースも落ちて行く。人差し指を着くと痛いので
無意識のうちに浮かせ始めていた。そのうちに今度は中指、親指が痛くなってゆく。さらに足の裏にマメができた
ようで足の裏が痛いと言うより熱い。21マイル地点。ついに立ち止まってしまった。靴を脱ぎ足の状態をみようとし
たが、もし爪がはがれ血でも流れていたら、リタイヤしてしまいそうだったので再び歩き始める。1マイルが長い。
もうタイムはどうでもいいから、せめて完走を...

 その頃、往路のハイウエイを車椅子の子供が通過した。しばらくすると義足で松葉杖を着いた子供が...
彼らはまだ20km地点にも到達していない。それでも必至に走ろうとしていた。彼らにとってここで走るのを辞めて
しまうということは、『これから先の長い人生を諦めてしまうことになる』とでも考えているかのように必至に、歯を食い
しばって一歩づつ前へ進んでいる。彼らの置かれている立場に比べたら自分は足もある、動かす事もできる。
それに残り10kmというところまで来ている。彼らはここまでの時間(人生)、自分の何倍もの苦労をしてきている筈だ。
それなのにまだ前へ前へ進んでいる。こんなことで止めるわけにはいかないと自分を奮い立たせ、走り始めるが
長くは続かない。足が気になって仕方がない。自分の体重が恨めしい。
こんな筈じゃあ... どんどん追い詰められていった。

 そんなときに一人の黒いTシャツを着た背の高い外人が声をかけてきた。多分「調子はどうだ?」みたいなことを
言っていたような気がする。「good!」と強がって応えたら、ついて来いというようなしぐさをした。行けるところまで
この人に付いていこうと決めた。そんなにペースは速くない。この後、2マイルほどは並走(歩)した。その後見失
ったが、おかげで24マイル(38.4km)残り2マイルまで来た。ここからが最後の難関。ダイヤモンドヘッド越え。時間
は5時間30分。残り3.6kmを30分で行ければ6時間以内だったがもうペースを上げる余力がない。ただひたすら
歩くのみ。

 ダイヤモンドヘッドの頂上付近で残り1マイル(1.6km)。時間は5時間50分。
これから先は下り坂。これがまた爪に堪える。激痛が走る。といっても半分感覚はないようなもので痺れていた。
足の裏は熱い。この頃になると、足首、ふくらはぎ、太もも、膝の裏。すべてが痛いというより重い。下り坂を終わる
とカピオラニ公園の入り口。残り1km。日本人のボランティアから声を掛けられるが、「有難う」と応えるのが
精一杯。走り出せない。本当はこっちが泣きたいのにボランティアの女性が感動して涙を流していた。

 そして「SMILE」のたれ幕。残り800m。大歓声があがっていた。こんな大きな声援を受けて何かをするといった
ことは今まで無かった。自分ひとりに声援が贈られている訳ではないが、走らないわけには行かなくなった。
最後の力を振り絞って走り出した。周りからは走っているように見えなかったかもしれないが、自分的には、
精一杯走っていた。長い長いフルマラソンのゴールが近づいている。ゴールゲートがだんだん大きくなっていく。
歓声もさらに大きくなっていく 
気がした。

 そしてゴール!! カメラマンがシャッターを切り続けていたのは分かっていたが、疲れ果てて何のポーズを取る
事もできなかった。この時はまだ完走したという実感は沸いてこなかった。それより必死でチームテントへ向って
進む。とにかく一刻も早く休みたかった。なんどもよろけた。

 チームぴあのテントへ辿り着くと、赤い絨毯が敷かれていた。そしてその先には寛平ちゃんが...
この時は本当に感動した。涙は出なかったが素直に嬉しかった。寛平ちゃんと握手をした。
「おめでとう。ご苦労さん。」と声を掛けられ、ようやくゴールした実感が沸いてきた。そこへキャプテンが現れ、
「お疲れ様」の声を掛けられる。そういえばダイヤモンドヘッドの登り降りのときメンバーお揃いのお守りを何度も
見た。自分だけ脱落するわけにはいかないと思い、歩きつづけた。キャプテンやA子さんは走り終わり疲れて
いる筈なのに(?)、おにぎりや飲み物を運んでくれた。動きがとれない状態だったので本当に助かった。
タイムはともかく、ゴールできて良かった。

 と、感動に浸っていたがふと我に返ると、まだ妻が戻ってきていない。ハイウェイですれ違わなかったんで
そんなに遅れてはいないと思うが、膝に古傷がある為、ちょっと気にはなった。寛平ちゃんが待っている間に
ゴールできたらいいなーと思いながら...

 そういえば感動に浸り、忘れていたがもうひとつ。自分の靴の中、これを見てみなければ...
そっーと靴を脱いで見ると、右中指の先が血で赤く滲んでいた他、両足の親指、人差し指、中指は黒爪が
起きていた。さらに両足小指の裏には大きなマメが出来て水ぶくれ状態。マメは全部で6つほど出来ていた。
乳首のキズは見た目には分からないが、このあとシャワーを浴びた時に激痛が走った。股ずれは両足の太もも
内側の毛がきれいに抜け落ち、赤く腫れ上がっていた。以上がこのマラソンの爪あと。

 7時間近くになったころようやく妻が戻ってきた。目には涙が浮かんでいたように思う。真っ先に掛けつけた
かったが足が動かなかった。「よかったね。寛平ちゃんが待っていてくれて」心の中で思っていたと思う。
これで4人全員が完走を果たした。今回のメンバーの中で、もしリタイヤする人がいるとしたら自分か妻だなと
思っていたので、完走できて本当に良かった。とこの時は思った。

 ところが、時間が経つにつれて悔しさが沸いてきた。最初の10kmを歩いたのは残り30kmを走り切る為。
それなのに最後の10kmは殆ど歩いてしまった。これが悔しさの素だと思う。爪が、足が、...色々言い訳
はできるが、今思えば、もっと走れたような気がする。そんなことを思っているうちに、これは来年も挑戦しな
ければ...という気持ちが沸いてきた。ただ感動したからじゃなく、遣り残したことがあるから来年も挑戦する。
あの車椅子の子供や、松葉杖をついていた子供達の走りを思い出すと、もっと頑張れなければという気持ちになる。
今度は本当の意味での完走を目指して。来年は今よりもさらに体重を落し、国内のフルマラソンにも挑戦して、
必ずここに戻ってくる。

 今回フルマラソンを経験し、走ることの楽しさを知った。マラソンは辛いだけのスポーツだと思っていたし、
タイムと順位を争うだけのつまらないスポーツだと考えていたが、そうではなかった。マラソンに参加する人
にはそれぞれ違った楽しみや意味があると思う。自分にとってのマラソンは、「サウナのようなもの」かな?
走っている間は、辛い時の方が多いけど走りきった後は、妙にすがすがしい。身体は疲れきっているのに
気分がいい。同じレースを走った人と話しをしている時間が楽しい。走っているときは笑い事じゃ済まないような
辛い事も、終わってしまえば笑い話になってしまう。レースが終わってホッとしているのにまた次のレースをもとめて
しまう。しばらくはこのスポーツにハマりそうだ。


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