シンガポール5
 シンガポール編5 









 その朝、八樹はトレーニングをさぼってベッドの中にいました。
「ねぇ、半屋君。今日はずっとこうしてていい?」
 そう言いながら八樹は半屋の髪に口づけてきます。
 今日は朝からこんな感じで、しかもこの調子で起こされたので、半屋の機嫌は最悪です。顔をしかめて追い払おうとしても、体をがっちり押さえ込まれて自由になりません。
「どけ」
「やだよ」
 八樹は半屋の体を両腕で拘束しながら、半屋君と旅行できて本当に嬉しいとか、こうやっていると幸せだとか、フツーなら歯が浮くだろうというセリフをまるで本気のように(本気なのですが)言い続けています。
 不自由な体勢から身をよじり、背後から拘束する八樹を見ると、彼は見ている方が気恥ずかしくなるような、幸せそうな顔で半屋を見ていました。

 八樹の瞳は綺麗な深い色をしています。だから互いに吸い寄せられるように口づけを交わしました。半屋の機嫌が悪いことはさっきから全身で八樹に伝えています。八樹がそのことさえきちんとわかっているならば、あとは別にどうでもいいのです。


 しばらくそうしていた後、八樹はあることに気づきました。
「半屋君、買い物頼まれてるって言ってなかったっけ?」
 八樹はあの半屋が大学の先輩に買い物を頼まれるようになったのかと嬉しいような『俺だけの半屋君』じゃなくなって寂しいような複雑な思いを抱いていたので、そのことをよく覚えていたのです。
「今、何時だ?」
「一時」
 すると半屋はのびをし、一瞬の隙をついて八樹の腕からするりと抜け出して、呆気にとられている八樹を後目にさっさと支度を始めました。その半屋の様子にはさっきまでの甘々な時間(八樹側から見て)の名残などどこにも残っていません。
 しかも。
「五時には帰る」
 それだけ言って出ていこうとしています。
「え? …待って、俺も行く」
「ア?」
「…行かない方がいいなら行かないけど…」
「単なる買い物だ」
「うん。でもそういう普通のことの方がいろいろ見えるかもしれない―――って昨日思った」
 半屋はベッドに腰をかけ、タバコを一本取り出しました。そして八樹に視線を流してきます。その意味に気づいた八樹はあわてて支度を始めました。


 地下鉄ブギス駅は西友とつながっています。日本で西友と言えばスーパーですが、こちらではデパートです。ついでに隣はパルコになっていて、インターコンチネンタルホテルとつながっているという西武系の一大拠点です。
 もちろん半屋がそんなことを気にするわけもなく、先輩に渡されたらしい手書きの地図を片手にずんずん歩いていきます。
「何買うの?」
「こっちだ」
 …どうも答えてくれる気はないようです。
 一応『若者の街』風になっている西武系の建物群の向かい側に、いかにもアジア的な騒々しい一角があります。細い路地にひもが縦横にかけられ、そこに偽ポケモンTシャツやら洋服やらが掛けられています。両側ではパチ物っぽいライターや外国人観光客用の漢字シールが売られています。

 ちょっと歩くだけで人とぶつかるようなこういう路地が八樹はものすごく苦手なのです。半屋は器用に人混みをすり抜けていきますが、その半屋について行こうとすると、人にぶつかりまくります。しかもなんだか妙な匂いがしてきます。すえたような重い匂いです。
「なんか匂うよね」
 昨日で『外国だ』という気負いはあらかた抜けたと思ったのですが、なぜかこの匂いは耐えられません。
 半屋はそれには返事をせず、ほんのちょっとだけ八樹を見上げてきました。
(…? もしかして面白がってる?)
 半屋の表情の動きは微妙でとてもわかりにくいのですが、たぶん今のは八樹が参っているのを見て楽しんでいるという感じです。

 細い路地の中で人混みにおされ、しかも人間がたくさん集まっているときの匂いを濃くしたような、かなりイヤな匂いが流れてきます。できればこの路地から抜けたいのですが、ここが半屋の目的地かもしれないので仕方なくついていきます。

 するといきなり道が開けました。そしてそこには巨大な果物市場が広がっていました。そして…。
「ああ! ―――半屋君、知ってたんだね」
 目の前で人々がボール大の果物に鼻をつけて匂いをかいでいました。人々が群がっているその果物は、『地獄の匂いと天国の味』と称される果物の王様、ドリアンです。
(…たしかにこれは臭い)
 さっきから流れていた耐えられない匂いはドリアンのものだったのでした。
「食うか?」
 日本の高級果物店で一個八千円で売られているドリアンは、こちらでは三個で620円などという値段で売られています。
「…ダメ。ちょっと耐えられない」
 半屋は軽く笑うと、さっさとそのドリアン地帯を抜けていきました。

 ようやくドリアンの匂いがしなくなった頃、街の景色がまた変化しました。さっきまではまさに下町じみていたのですが、そこを抜けると急にオフィス街めいた場所が広がっています。
 半屋は地図を確認すると、目の前にそびえていたどっしりとした大きなビルに入っていきました。
「ここ?」
「ああ」
 そのビルの中は一階が催し物会場になっていて、その上が吹き抜けになっているという、ショッピングセンターのような造りになっていました。
 今、催し物会場で売られているのはマッサージ椅子、まわりの店舗ではゲームソフトやステレオなどを売っています。どうも電化製品を扱うショッピングセンターのようです。

 半屋はわき目もふらずエスカレーターに向かいます。
 一階、二階は普通の電化製品や部品などを売っている店が並んでいました。ところが…。
「半屋君、俺は反対だよ」
 かなりきつい声で制止しているにも関わらず、半屋はちらっと八樹に視線を流したっきりで商品を選ぶ手を止めようとはしません。
「半屋君!」
「でけぇ声だすんじゃねぇ」
「そんな知らないような人のために半屋君が犯罪者になるなんて絶対ダメだ」
 そうです。このビルは二階まではごく普通の電化製品を売っているのですが、三階は違法コピーのCD-ROMが山のように売られているエリアになっているのです。
「ハンザイシャぁ? ンなんじゃねーだろ」
「ダメだ」
 しかし半屋は次々とCD-ROMを選んでゆきます。八樹は半屋が手にしている先輩とやらが書いたメモを取り上げようとしたのですが、軽々とかわされてしまいました。
 別に半屋がそれを買いたいならかまわないのです。ただ、半屋が他人のために違法行為をするというのが我慢できません。
「半屋君!」
「るせーな。闇討ちヤローは黙ってろ」
 誰だかわからない大学の先輩のためにそこまで言うか、と八樹は思いました。確かに自分にはハンザイシャがどうのと言える資格はないのかもしれませんが、それでもいやな物はいやです。
「ダメだ。棚に戻そう」
 狭い店内には所狭しとCD-ROMが並んでいます。ゲーム、アプリケーション、教育ソフトなどありとあらゆる種類があり、ゲームセレクションや十大アプリケーション集、昨年度シングルベスト100MP3集などいかにも違法っぽいものも並んでいます。
 堂々と営業はしていますが、一応は違法な店なので、何事かもめている日本人二人はかなり目立っていますし、店の人も迷惑そうにしています。
 半屋はムッとしたまま、もうメモも見ずに、手当たり次第といった感じで選びだしました。


「半屋君!」
 八樹はかなり真剣な表情をしていました。自分なんかのことに真剣になっている八樹を見ると、なんだか居心地が悪くなってきます。
「…頼まれた分じゃねぇ」
「え?」
「ならいいんだろ」
 半屋は八樹に反対されるなんて思ってもいませんでした。違法と言っても単なるコピー商品です。頼まれた分を適当に買って、それですませるつもりでした。
「でも頼まれた分も入ってるんだよね?」
「…」
「じゃあ俺も買う。それでいいね」
 八樹は有無を言わさぬ勢いでアドビソフトセレクションや百科事典、新作ゲームのCD-ROMを手に取り、さっさとお金を払ってしまいました。

 結局半屋はその店で頼まれていたソフトと自分用のソフトを買い、次の店に移りました。メモに書かれている中でまだ見つけていないCD-ROMがあるのです。そう言うとかなり八樹は不機嫌になりましたが、一応ついてきました。
「…これじゃない…?」
 八樹はいかにもしぶしぶとでそのCD-ROMを出してきました。
「しかし半屋君にこんなことを頼むとはねぇ…」
 八樹の声はかなり怖いです。
「今度その先輩に会わせてくれるかな?」
 そう言って八樹はキレイに笑いました。本気じゃないらしいのですが、半屋は少しだけ不安になりました。

 「あ、プレステのソフトもある。これやりたかったんだよね。買おうかな」
 半屋が他人の物を買おうとすると嫌がるくせに、八樹本人は気にもせずにコピーCDを買っています。
「動かねぇよ」
「どうして?海外のだから?」
「本体改造しとかねーと動かねぇ」
「へぇ。そういうもんなんだ。半屋君、改造できる?」
「多分な」
「やってもらおうかなぁ」
 八樹の善悪の基準はかなりめちゃくちゃです。そーいえば改造すりゃあいいだけだよなぁと思って、半屋がプレステのコピーCDに手を伸ばすと、八樹が止めてきました。半屋のプレステを改造するのはダメなのだそうです。
 結局、頼まれていた分より半屋が自分で買った方が多く、それよりさらに八樹が買った方が多いという結果に落ち着きました。八樹はそれでどうにか納得したようでした。

 地図を見てみると、このビルから五分くらい歩くともうインド人街だということがわかりました。イギリスの植民地政策のためにシンガポールの人口の十パーセント近くはインド人です。
 インド人用の日常生活用品が並び、行き交う人もインド人しかいない街を歩き、南インド風のものすごく辛いカレーを食べて、早めに部屋に戻りました。

「あと一日だよね…」
 飛行機はあさってですが、朝発の便なので実質あしたでこの旅行は終わりです。
「帰りたくないなぁ…」
 八樹は背後から半屋を抱き込み、半屋の肩に頭を乗せて、すがりつくように話し続けているのですが、もちろん半屋は返事をするつもりはありません。
「こうやってずっと二人っきりでいれたらいいのに…」
「るせぇんだよ」
 半屋は自分の肩にのりかかっている八樹の頭をぺしっとたたきました。

 そして五日目の夜が更けてゆきました。   




 この場所がどこかなんてわからないしー、買ったことなんかもないですー(笑)
 香港・タイ・日本・シンガポールと売っているのを(何を?)見かけましたが、シンガポールが一番堂々としていますね。タイも堂々としているんだけどプレステしかなかったんだよなぁ。
 というわけでシンガポールも後一日です。シンガポール編というより単なる甘々編のような気がしますが(笑)後一回のおつきあいをお願いしますー。  





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