シンガポール3
 シンガポール編3 









 三日目 バードパーク・動物園
 
ホテルの朝

 シンガポールの朝は遅いです。比喩的な意味ではなくて具体的に遅いです。なぜなら本当の太陽の動きを無視して上海と香港の時間にあわせた時刻を設定しているからです。だから朝が遅く、夜も八時ぐらいまで日が射しています。

 三日目の朝、八樹はホテルのジムでマシントレーニングをした後、プールで泳いでいました。プールは三メートルの深さがあり、深いプールでゆっくり泳ぐのが好きな八樹はとても機嫌良く泳ぎました。他にプールで泳いでいる人はいません。半屋はまだ部屋で寝ています。
 深いプールの冷たさと、抵抗なくすっと動きが吸い込まれていく感じが気持ちいいです。誰も泳いでいないプールを堪能した後、部屋に帰りました。
「んー」
「あ、起こしちゃった?ごめんね。まだ寝てていいよ」
「…起きる」
 半屋は眼球を傷つけそうな勢いでごしごしとこすりながら、なにかうめいていました。彼はとても寝起きが悪いのです。
「おはよう」
 八樹は目をこすり続ける半屋の腕を止めて、彼の額に軽い口づけを落としました。
「てめェ…」
 半屋は寝起きに機嫌がとても悪いのですが、物事に抵抗する気力すらないので、八樹はつい小さないたずらを仕掛けてしまいます。
 ベッドの中で半屋はしばらく八樹をにらみつけて憮然としていましたが、やがてシャワーをあびに起きあがりました。
 かすかに漏れてくるシャワーの音を聞きながら、八樹はテレビのリモコンをもてあそんでいました。NHKの海外放送が入っているので日本語のニュースなども放送しているのですが、海外まで来て日本語のテレビを見ているのもなんだか負けた感じがします。
 新聞を(日本の新聞の衛星版です)をざっとみたところ、大したニュースもないようなので、八樹はチャンネルをどんどん変えながら中国語の時代劇や英語のアニメ、マレー語のダンスなどをながめました。

 そうこうしている間に、大きなバスタオルで体を拭きながら半屋が浴室から出てきます。
「半屋君…」
「ンだよ」
「おなかすいた」
「そういうことは早く言え、バカ」
 そう言いながら半屋は八樹の頭を軽く殴りました。



 八樹が口に出して言うぐらいだから、相当の空腹なのだろうと半屋は思いました。考えてみれば八樹は早めに起きているうえにトレーニングまでしているのです。
(…ったく)
 自分のことなどほっといてさっさと食べてくれればいいのに、と半屋は思いました。半屋はそういう気の使われ方は居心地が悪くて好きではありません―――と本人は思っています。
 とりあえず半屋は八樹に気づかれない程度に素早く支度をすることにしました。
 
 もう十一時半を回っています。この近辺に食べるところがあるようには見えないので、ホテルのランチビュッフェですますことにしました。
 シンガポールのランチビュッフェは全体的にレベルが高めです。もともと一般的なランチの値段の五倍以上の値段なので、食べ放題のお得感はまるでなく、その分一品一品がまともな料理としてリキの入った物になっています。ついでにケーキが高級ケーキショップの手作りケーキレベルでケーキバイキングと同じぐらいの種類がそろっています。
 
 料理はおいしいのですが、少し量が多いと半屋は思いました。ビュッフェではあるのですがメイン料理のサテー(マレー風串焼き)はシェフが焼いてくれます。何の気なしに頼んだら十種類のサテーがきれいに盛りつけられて、付け合わせ付きで出てきました。それを食べ終わった半屋は食欲を失ってしまいました。
「半屋君、もうちょっと食べて?」
「ンでだよ」
 別に満腹ではないのですが食べる事への興味は無くなっています。ビュッフェなのでどれだけ食べようとこちらの勝手です。
「今日行くところのそばに店が無いと思うから」
「どこいくんだ?」
「バードパークと動物園。あと行けたらナイトサファリ」
 そのめちゃくちゃな組み合わせは何なんだと思いつつも、半屋はだまって新しい料理を取りに行きました。


 一回席を立つごとにナイフとフォークは新しい物に取り替えられ、ナプキンはたたまれます。半屋はそんなことどうでもいいと思っていたのですが、八樹はそれに気づいてからさりげなく取る量を増やして席を立つ回数を減らしました。
(…むだなヤツ)
 半屋から見ると八樹という人間は『むだに性格がいい』人間です。
 一般的に八樹は性格が良いと思われているようですが、それは作り物です。だからと言って素の性格が悪いのかと言えばそうではありません。確かにたまにとんでもないことはあるのですが、それを無視すればましな部類にはいるのではないでしょうか。しかしどうも本人はそれに気づいておらず、すぐ仮面をかぶろうとします。かなりムダだと半屋は思います。
 しかも―――本人に言うつもりはまったくないのですが―――はっきりいって「とっくの昔に手に入っている」半屋に対してかなり気を使います。これもかなりムダだと半屋はいつもあきれています。



 一方八樹は、半屋が大きな瞳でじっと自分を見ているので、少しどきどきしていました。
「このケーキおいしいよ。少し食べる?」
「…ん」
 八樹はちょっとあがってしまい、手元がおかしいのをなだめるのに必死です。せめて何であがっているのか気づいてくれるような人だったら、あがることもないのになー、などと意味不明なことを考えていました。


ジュロンバードパーク

 半屋にしてはたくさん食べた上でタクシーに揺られたので、彼は軽い咳をして微妙に気持ち悪そうにしていました。
「大丈夫?少し休もうか」
 八樹がそう言うと、何か言いたげな瞳で見上げてきて「別にいい」と歩き出しました。
(気持ち悪そうなのに…)
「…にしてんだ、早く来い」
 半屋がすたすたと行ってしまったので八樹はあわてて追いかけました。

 ここバードパークは数多くの鳥を集めた世界有数の野鳥園です。緑に囲まれた園内には色とりどりの鳥が生息しています。
 ゴミ一つ落ちていない清潔な園内にはモノレールが走り、暑い日中でも(といっても日本の夏ほど暑くはありません)快適に見学ができるよう工夫されています。
 水辺にたたずむフラミンゴの群、エミューやダチョウの群などを眺めているとモノレールはウォーターフォール・エイビアリー駅に到着します。
「これはすごいね…」
 さすがの八樹も目を軽く見開きました。半屋は別に驚いた様子は見せませんでしたが、軽く周囲を見回しました。
 ここではジャングルを一つかごで覆った中に、鳥がほぼ自然に近い形で放し飼いにされています。このモノレールの駅自体もその巨大鳥かごの中にあるのです。それだけではありません。世界最大の人口滝がこの巨大鳥かごの中に入っているのです。鳥かごの面積は二万平方メートル。内部に遊歩道があり自由に歩けるようになっています。

 八樹たちの目の前を青や黄色の南国の鳥たちが自由気ままに飛んでゆきます。
 にび色の空に鳥かごの色が溶けてしまって、まるで色とりどりの鳥が飛び交うジャングルの奥地に迷い込んだかのようです。
(こんなところに半屋君と二人でいるなんて、ホント楽園みたいだよなー)
 などと八樹はかなりお気楽なことを考えていましたが、それを半屋に言ったらなにを言われるかわかりません。でもやっぱり言いたくなって口を開きかけたとき、何かが八樹の頭を蹴ってゆきました。
 平然と飛び去っていった鳥はきれいな青色の鳥でしたが、痛いものは痛いです。しかも鳥に頭を蹴られる、というのは、八樹にとってあまり嬉しいことではありません。
 横を見ると半屋が少し悪戯っぽい瞳をして唇の端を歪めていました。
 それを見れただけでラッキーかな、と八樹が自分を納得させたとき、また何かが頭を蹴ってゆきました。
「好かれてるじゃねーか」
 今度は黄色と赤の混じった大きな鳥でした。蹴られた衝撃も大きいです。
 でも半屋の声に楽しそうな響きが混じっているので、ぐっとがまんをしました。
「…そうだね」
 周りでは極彩色の鳥が水浴びをしたり、高い木の上で巣作りをしていたりと自然そのものの姿を見せています。それなのに。
「…」
 また蹴られました。何事もなかったように飛び去っていく鳥を、殺意を込めてにらみつけます。
 そのとき、半屋がついに声をたてて笑い始めました。
(…かなりラッキーかも)
 八樹は鳥への殺意を忘れ、すぐ笑いやんだのですが表情が穏やかになった半屋と、ゆっくりと遊歩道を歩きました。それ以上蹴られることはありませんでした。



国立動物園

 バードパークで鳥が自転車の乗ったり歌ったりするショーや夜行性の鳥を集めた施設などを見たあと、二人は動物園に移動しました。

 動物園はマレーシアの近くのジャングルを切り開いて作られた、世界最大級のオープンズーです。園内には適度にジャングルが残されていて、また広々とした通路にはあいかわらずゴミ一つ落ちていません。

「ねぇ、半屋君。檻がないよ」
 そうなのです。この動物園には檻がありません。一見すると低い灌木などで区切られているだけで、なぜ動物たちが逃げ出さないのか不思議なくらいです。
 半屋は無言でその低い柵に近寄りました。
「…なるほどな」
「どうしたの?」
 ただちょっと深く掘って水が流れているだけですが、動物の大きさから考えれば登るのが不可能な深さに見えました。
「計算してんだろ」
 たぶん、それぞれの動物の種類に合わせて「絶対見物客側には渡ってこれないけど、すぐ自分の場所には帰れる障害」を作ってあるのだろう、と半屋は思いました。そしてそれを見物人にさとられないような工夫も随所にされているようです。
「ガラパゴスみたいだね」
 八樹は半屋の足りない言葉をいつもきれいにくみ取ってくれます。
「ガラパゴス?」
「うん。あそこはね、流れ着くのはそんなに難しくないけれど、絶対に出れないんだ。簡単に出れそうに見えるのに、絶対にほかの場所に移ることが出来ない。見えない檻に閉じこめられているんだよ。だからあの中で進化するか―――絶滅するかしかない」
 八樹の瞳の色が少しかげりを帯びていました。八樹がその知識を得たのがいつなのか、そのとき何を思っていたのか、半屋は知りませんし知るつもりもありません。ただその色をさせてはいけないことは知っていました。
「バカ」
「ん」
「くだんねーこと考えてンじゃねーよ。行くぞ」
 半屋はずかずかと歩き出し、二人分のチケットを買って園内一周のトラムカーに乗り込みました。
「半屋君、待ってよー」
 八樹があわててやってきます。その瞳はいつものように明るい色をしていて、半屋は少しほっとしました。


 ライオンや虎、ハイエナなどは日本の動物園にもいますが、ジャングルに囲まれた自然の中に暮らしているところを見るとまた違った魅力があります。解説付きのトラムカーにのってそれらを眺めていると、この動物園のウリの一つであるコモドドラゴンのコーナーにつきました。
「…主人公がちょっと混乱して、目の前に見えたコモドドラゴンを化け物だと思うっていう小説があったんだけど…」
「ムリだな」
「…俺もそう思う」
 コモドドラゴンは確かに大きいのですが、どうみても単に大きなイグアナかトカゲで、異常なものやそれこそ「ドラゴン」のようには見えません。

 また、別の場所にはサルがいました。
「半屋君、ほら、サルだよ! サル」
 半屋は「こいつふざけてるのか…?」と機嫌を損ねかけましたが、どうも半屋をからかおうという意図ではないようです。
 八樹によるとそのサルは孫悟空のモデルでもあるとても貴重なサルなのだそうです。全身を金色の毛でおおわれたそのサルは確かに貴重そうな外見をしていました。
「…でもこのサルって半屋君にどっか似てるよね」
 半屋は遠慮なく回し蹴りを入れました。

 八樹がぎゃーぎゃーうるさいので、仕方なく二人で動物と写真を撮ったり、貴重な動物を見たり、蝶の放し飼いコーナー(バードパークの鳥かごの小さいバージョン)を散策したりしているうちにあっと言う間に時間が過ぎていきました。

「…ハラへったのかよ」
 なんとなく八樹の様子がおかしいので訊いてみると、彼はすぐバレるごまかし笑いを浮かべました。
 半屋のお腹が減っていないため、遠慮しているようなのです。
(…ったく)
 どーしてこいつはこーなんだ、と思いつつ半屋はそれなりに楽しんだ動物園を後にしました。

 昼間八樹が言っていたとおり動物園の周りには何もなく、唯一マクドナルドがあるだけでした。
 確かに半屋はお腹が空いていなかったのですが、別にもうお腹いっぱいというわけではありません。
 仕方がないのでそのマクドナルドに八樹を引っ張っていきました。
「ここでもキティちゃんのセットがあるんだね」
 結局八樹はビッグマック二つとポテトを食べています。半屋はそれほどお腹が空いていないので、ナゲットを適当につまみながら、八樹のポテトにも手を出していました。
「あ?」
「キティちゃんとダニエルくんのセット、ここでも売ってるんだね」
 実はシンガポールではマックのプレゼントのキティちゃんぬいぐるみがあまりに大人気過ぎて、国から禁止されたことまであったのですが、二人ともそれは知りません。
 半屋は「なんで男のキティの名前まで知ってるんだ、こいつは」と思いつつ、世界中どこに行っても変わらぬ味のポテトをつまんでいました。

「ナイトサファリどうする?」
 ナイトサファリは世界唯一の夜だけにオープンする動物園で、この国立動物園の隣にあります。もう七時なのでオープンはしているのですが、まだまだ外は明るく、夜行性の動物を見学するナイトサファリに適した時間ではありません。
「別にいい」
 どうでも良さそうにライトコークを飲んでいた半屋が、どうでも良さそうに答えました。
「そうだね」
 今日はとても楽しかったのです。だから八樹はここで二時間近く時間をつぶしてナイトサファリを見るよりも、楽しい気分のままホテルに戻りたいような気持ちでした。
 それに―――いくら楽しくてもテーマパーク三連発はなんだかなぁという気がします。
 たぶん、きっとナイトサファリも楽しいのでしょう。でもそれよりホテルでゆっくりしたい気分でした。


 ホテルの部屋で、八樹は半屋にじゃれていました。眉間にしわを寄せて邪険にあしらわれながらも、本気で嫌がられていないことはわかっていたので、楽しくじゃれていました。
「なぁ」
 それまで黙っていた半屋が急に口を開いたので、八樹は軽く驚きました。
「明日どーすんだ?」
「一応、セントーサ島に行こうと思ってるけど…」
 でもなんとなくどうしようかなぁ、と思っていました。
 セントーサ島はシンガポール観光の目玉で、島が丸ごとテーマパークになっていて観光地盛りだくさん!という場所なのですが、なんとなく似たようなとこに連続でいくのもなぁという感じだったのです。
「それ、別な日にできねぇ?」
「全然かまわないけど…どうするの? あ、なんか買い物頼まれてるって言ってたよね?」
「…」
 どうもそれではないようです。
(もしかして…?)
 これははじめての半屋からのデートのお誘いなのでは?と八樹は思いました。付き合いだしてそれなりに時間が経っているのですが、きちんと誘いを受けたことがありません。
 普通、旅行中の計画をデートとは言わないのでしょうが、八樹には関係ありません。
(半屋君からのデートの誘い…!)
 嬉しくてぎゅーっと抱きしめると、半屋は冷たく「どけ」と言いました。

 そうして三日目の夜が更けていきました。   




なぜこのシリーズは一回あたりがながくなるのでしょう…? シンガポールだからかしら…?
 さて、シンガポール観光の目玉の一つ、バードパークと国立動物園です。これとナイトサファリとセントーサは何も言わずにぜひどうぞ!というスポットですね。
 個人的にはバードパークが好きですねー。やっぱ鳥かごは良いです。ナイトサファリは…たまたまコンタクトを忘れてしまったため、なんも見えなかったです…。だって夜に光る動物の目、って言われても…目が悪いと見えないんだもん…。行かれる方は万全の準備をどーぞ(笑)  





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