シンガポール2
 シンガポール編2 









 二日目。市内観光。
 
 今日の半屋は朝からずーっと機嫌が悪いままでした。理由は明白です。ケンカをしたからです。
『アァ? 市内観光だ?』
 支度と朝食があるので、7時に起こした時も機嫌が悪かったのですが、八樹が予定を言ったとたん、半屋の機嫌は最悪なものになりました。誰がそんなもんに行くか。寝る。ふざけんな。一人で行って来い。などなど様々な悪態がぽんぽんと出てきます。

 八樹は半屋が団体行動をいやがるのをよくわかっていたのですが、なにせ初めての海外旅行ですし、やっぱり一週間自由時間を過ごすにしても、はじめにきちんとしたガイドさんから説明を聞いてシンガポールの枠組みを把握してからのほうがより楽しめるような気がしたのです。

 八樹はすでに日本から予約を入れていたので、迎えのバスが8時にホテルの前につきます。機嫌の悪い半屋をなだめすかしてホテルのモーニングビュッフェに行き(とても、とてもおいしかったのですが、八樹はそれどころではありませんでした)眉間に深くしわが刻まれた半屋とともに、今、シンガポール市内観光(日本語ガイド付き)のバスに乗っているのです。

 八樹はつきあう以前から、半屋に話しかけていいときと悪いときの読みを間違えたことがありません。それは密かな誇りだったのですが、逆に今、話しかけてはいけないということがものすごくわかってしまって悲しいです。バスの窓からは外国らしい様々なものが見えます。それを半屋に伝えたくても、半屋は話しかけられる状態ではありません。

 日本人ガイドさんはシンガポールの人口、国の仕組み、文化などについてなれた様子で話しています。女子大生、主婦、そしてアジア放浪旅を続けているのであろう人々で構成されている市内観光バスの中で、ガイドの話を聞いている人間はあまりいません。
でも「やっぱ現地にいながら、そういう話を聞くと興味のわき方も違うな」と思いながら八樹はガイドの話を聞いていました。もちろん半屋がガイドの話を聞いているわけもありません。別に眠りもせずにただじっと窓の外を見ています。

(相当機嫌悪いなぁ…)
 確かにこの海外旅行でうきうきしたムードが漂うバスの中で、半屋の存在は浮き上がっています。銀髪にピアスという高校時代から変わらぬ外見だけでなく、まとっている人を寄せ付けない雰囲気が、団体行動のバスの中では異色すぎるのです。

 バスは両側に南国の大木を配した大通りを走っていきます。そうしている間に半屋の機嫌は少しずつ直ってきたようでした。本来それほど後に引くタイプではありません。しかし八樹は話しかけるタイミングをつかめないまま、最初の目的地であるヒンズー教寺院に到着しました。

 生まれて始めてみるヒンズー教寺院は、やはり不思議なものでした。
 様々な神像やゾウなどを彫り込んだ極彩色の高い門があります。門だけでなく塀の上にもそういうものが配置されています。たぶんそれぞれに意味があるのでしょうが、あまりよくわかりません。
「ほら、半屋君、あの象ヘンなかっこしてる」
 八樹は勢いをつけ、がんばって半屋に話しかけました。すると半屋はそちらに目を走らせたばかりでなく、
「そうだな」
と、珍しく返事までしてくれました。
 半屋はすぐそっぽを向いてしまいましたが、八樹はうれしくて半屋を抱きしめたくてたまらなくなりました。でも人目がありますし、ここは神聖な寺院の中です。八樹は盛り上がった気持ちをぐっとこらえました。
 
 南国らしい植物を集め、しかも原生林も残されている国立植物園や、英国統治下の面影の残る建物群、世界三大がっかり名所と名高いマーライオン公園などを観光した後、マウントフェーバーという丘にやってきました。
 ここはシンガポール市街が一望できる上に、全島がアミューズメントパークのようになっているセントーサ島や大型タンカーが行き交う海の見えるシンガポールの絶景スポットです。
 
(どれもこれも確かに面白いんだけど…)
 セントーサ島行きのロープウェイを眺めながら、八樹はぼーっと物思いに耽ってました。半屋はお手洗いに行っています。
(でも、ヒンズー教寺院とか…イギリス式の建物とか…。確かに日本にはないんだけど…うーん)
 もしかしたら自分一人で市内観光に回った方がよかったかな、そうしたら後で半屋君にゆっくりガイドできたよな、それもかなりナイスだったかも…でも、せっかくだから離れたくないよね…などと呑気なことを考えていたときのことでした。
「あのー」
 同じツアーに参加している女子大生とおぼしき二人組が声をかけてきました。
「はい」
 八樹は団体行動の和を乱すのが嫌いです。人から疎外されたくないという思いはもう本能レベルにまで深くしみこんでいて、つい八方美人な反応をしてしまいます。
「どちらからいらっしゃったんですか?」
「東京です」
「東京ですかー。私たち静岡なんですよ」
 その後もいつまでいるのか、いつきたのかなどのごく当たり障りのない会話が続きます。彼女たちの目的の予想はつくですが、同じ団体の旅行者として一般的な会話である限り、八方美人な八樹には会話のやめ方がわかりません。
(もうすぐ半屋君が帰ってくるのに…)
 こういうところを半屋に見られたくありません。それに半屋は極端に走る傾向にあります。嫉妬でもしてくれるならいいのですが―――
「シンガポールって街がきれいですよね」
 彼女たちはいっこうに一般的な会話をやめてくれません。

 彼女たちは彼女たちで、近寄りがたい半屋がいないスキにどうにかして八樹と仲良くなろう、そしてできれば一緒に行動しようと必死なのです。
 ちなみに一緒に行動する場合には、どんなに見た目が怖くても半屋とも一緒に行動しなくてはならないので、半屋が戻ってきてからどさくさまぎれて誘って半屋を納得させてしまおう、という計画です。

 なにせ八樹はこれまでお目にかかったことがないほどの上玉です。背はすらっと高く、スタイルも抜群で姿勢もいいです。しかも顔が妖艶ともいえるほどの美しさです。ついでに育ちも良さそうだし、性格も優しそうです。
 こんな上玉が今日一日一緒のバスであるばかりか、この後何日もこのシンガポールに滞在しているのです!それに男二人の旅行。こっちも女二人なのです!こんなチャンスがあっていいものでしょうか!

 そうこうしている間に半屋が帰ってきました。
 八樹はここをチャンスとばかりに彼女たちを振りきりにかかりました。
「じゃ、俺はこれで…」
 八樹がそれを言い終わらないうちに、あろうことか半屋が彼女たちに笑いかけました。
(わー!! 最悪…)
 八樹は天を仰ぎたい気分でした。
 一方彼女たちはというと、今までまったく見えていなかったのですが(雰囲気が怖かったので)、半屋の顔かたちがかなり整っていることに気づき、一気に色めき立ちました。正統派の美形すぎる八樹より、タレント的軽さを持った容姿の半屋の方が気後れせずにすみそうな気もします。
(すごいわ!二人とも大ヒットなんてー!!)
 しかも半屋は、
「何? 二人?」
 などと彼女たちに声をかけてきました。これはきっと脈ありです。バラ色のシンガポール旅行です!

 そんな彼女たちとはうらはらに八樹はかなりあわてていました。このままでは取り返しのつかないことになります。
「半屋君!ちょっとこっち来て」
 八樹は今にもナンパをしかねない半屋を人目に付かない場所に無理矢理引っ張っていきました。力任せに引っ張ったので、半屋の機嫌はまた下降線をたどっているようでした。しかしそんなことを気にしているわけにはいきません。
「ばかっ!!」
「アァ?」
 半屋が鋭い瞳でにらみつけてきました。
「俺は半屋君のものなんだよ。そんな当たり前のことをどうしていつも簡単に忘れちゃうんだ!」
 八樹が怒鳴ると、半屋は「ワケわかんねーこと言ってんじゃねぇ」と吐き捨てました。

 半屋の行動が、たとえば嫉妬からだとか、八樹に対するあてつけだったりしたら全然問題はないのです。それだったら、八樹は女子大生たちにやんわりと断りを入れて、内心ちょっとうれしく思って、それで終わりになったのです。でも全くそんなのではないことを八樹は知っていました。

 半屋は。八樹が「彼女たちと一緒に行動する」と言い出すのに備えて無意識に予防線を張ったのです。そんなありえもしないことを考えて先回りしようとしたのです。
「訳わからなくなんてないだろ!」
「わかんねーよ! ンなこと関係ねーだろ」
「関係ない?どこが?」
 話がずれてきているのに八樹は気づいていましたが、半屋は気づいていませんでした。
「だいたい、てめーが女とちゃらちゃらしてたんだろーが」
「俺は半屋君と二人で過ごしたいからここに来たんだよ? ちゃらちゃらなんてするわけないだろ!」
 たとえ憎まれ口のついでだったとはいえ、ようやく普通の嫉妬らしきものを言ってくれたことに安心して、八樹は半屋を引っ張ってバスに戻りました。集合時間が迫っていたのです。
 八樹たちを待っていた女子大生は、八樹が「ごめんね」とにっこりと笑うとそれ以上何も言ってきませんでした。


 昼食はローカル料理がそろうフードコートでの自由行動です。シンガポール人はやたら外食をするため、外食産業がとても発達しています。人口のかなりの部分が中華系の人々なので、おいしくて体にも良い食べ物が多いです。ついでにマレー人とインド人も多いのでそれらの食べ物も充実しています。とにかくたいていのものがおいしいです。
「ちょっと外に出てみようか」
 連れてこられたフードコートは体育館ぐらいの広さで、各種の飲食店がそろっているのですが、このままここにいたら絶対彼女たちがやってきます。そんなことになるまえに行動あるのみです。

 しかし一歩外に出ると、そこは当然、見知らぬ外国でした。
 …なんというか三歩歩いただけで迷子になってしまいそうな、そんな印象を受けます。
「ねぇな」
 しかも周りはビルだらけで見渡す限り手頃な食べ物屋はありません。
「…戻ろうか」
 とりあえず今の時間で彼女たちはまけたはずです。しかし八樹の意図を知らない半屋は不審そうな顔で八樹を見ていました。

 昼食の後は本日のメインイベント、というかシンガポールと言ったらここでしょう!というラッフルズホテルの見学です。ラッフルズは映画や小説の舞台にもなっているシンガポールを代表する、いえアジアのシティリゾートを代表する超一流ホテルです。

 どっしりとした造りの白亜の建物が、南国の木々に囲まれて建っているさまを見るだけでもインパクトがあるのですが、内部はさらに圧倒される造りになっています。
 中はかなりの高さの吹き抜けになっていて、明かり取りの窓から陽が差し込んでいます。床はすべて大理石で、その白い床にとても高い位置にあるシーリングファンの影がけだるく映っています。
「すごいね。これは」
 置かれている家具はすべてアンティークで、それぞれかなりどっしりとしたものなのですが、天井の高さのせいかその大きさを感じさせません。

 八樹は物珍しそうに上や下、横や奥をきょろきょろと見回しています。八樹はとても容姿が整っていて、それを本人も自覚して利用していたりすることもあるのですが、実は結構抜けていて、今みたいに自分がかっこいいという事実を忘れ果てて、ぼけた動作をしていることがよくあるのです。
「半屋君、あっち行ってみよう」
 八樹は奥にあるオークだかマホガニーだかで作られていると思われる大きな階段を指さしてはしゃいでいます。そちらに向かって歩き出しながら、半屋は気づかれないように小さく笑いました。

 市内観光のバスは最後の目的地であるDFS(デューティフリーショッパーズ)に到着しました。市内観光にはショッピングセンターがつきものなのです。ここで解散をし、それぞれのホテルまではDFSのバスで帰るということになっています。

 店内には数々のブランドショップ、土産物などが集まっていて、旅行者用の品々が数多く売られています。
「酒とタバコでも買うか」
「…パスポート見せなくちゃいけないんだよ?」
 この店は『免税店』という名前の割に免税店ではなく、普通の店と同じなので、免税にするためには数々の手続きが必要です。
「めんどくせぇ」
 そういう意味ではなく、パスポートの年齢こそが重要だったのですが、八樹はだまっていました。
「マンゴープリンセットにシンガポールスリングセットにマーライオンチョコか…いっぱいあるなぁ。どれ買おう」
「ンなもん買うんじゃねーだろうな?」
「え? 買おうと思ってるけど?」
 半屋は心底あきれました。
 まだ一日目です。しかも時間がたっぷりある自由旅行です。こんないかにも人をだましてそうな(←かなりの偏見です)きんきらきんのところでみやげを買ってどうするのでしょう。
 しかし八樹は海外旅行初心者です。そういえば修学旅行でも観光地ど真ん中のみやげ物屋でみやげを買っていました。
「だって結構安いよ?」
 だいたいみんな10ドル程度(=620円ぐらい)です。日本の感覚だとやすいです。
「いいからまだ買うな。なけりゃまたくればいいだろ」
「そっか。まだ時間あるもんね。いいよねー、半屋君と一週間もずっと一緒だなんて」
 バカはほっとくに限る、と半屋は思いました。

 ここには各種有名ブランドのショップがそろい、また化粧品が売っているのですが、八樹や半屋が興味を引かれるものはなく、少し疲れたこともあり、いったんホテルに引き上げることにしました。

 リージェントに向かうバスはあと15分後に出発です。熱帯のむしむしする気候の中、15分待つのは結構つらいなーと考えていたとき、例の女子大生たちがまたやってきました。
 彼女たちはここを逃したらあとがありません。本当はもっとゆっくりお買い物がしたかったのですが、それよりも大きな魚を逃がさないことが重要です。
「もう帰るんですかー?」
 とっておきの声を出して、不自然にならないように気を使いながら、バス乗り場に近づいていきました。

 一方、八樹はどうしたらいいのだろうと呆然としてました。リージェントに向かうバスは途中、彼女たちが泊まっているホテルを経由します。たぶんこのままだと同じバスにのることになります。しかもツアーバスと違い、ミニバスぐらいの大きさのバスです。逃げようがありません。

 そして半屋は、午前中自分が彼女たちをナンパしかけたことを忘れているだけでなく、彼女たちが誰なのかも覚えていませんでした。だから「なんだこの図々しい女は」と思っていました。

 その半屋の視線にビビりながらも、彼女たちは話をやめようとしません。このままバスがきてしまえばこっちのもんです。どうも彼らはそれほど積極的なタイプではなさそうです。一緒のバスに乗って、そのままの自然な流れで食事にでも誘おう、と思っていました。

 半屋はもうキレる寸前です。いっそのことキレてくれたらいいのに、と八樹は思いましたが、たぶん半屋はキレないでしょう。隣に八樹がいるからです。半屋はあまのじゃくなので、キレて彼女たちを追い払ったときに必然的に八樹を選んでしまうことになるのがイヤなのです。
 なんだかなぁという感じですが、これは半屋に人間として認識されている証拠でもあるので、八樹はそれほど気にしていません。 
 
 だんだんバスの到着する時間が近づいてきています。一回売場に戻った方がいいかも、でもそうしたら絶対ついてくるだろし…と悩んでいた八樹にいい考えが浮かびました。
(でも絶対半屋君怒るだろうな…)
 しかし、それはとても甘美な誘惑でした。
(半屋君、ごめん)
 八樹は心の中で半屋に謝ると、彼女たちに極上の笑みを向けました。彼女たちは、その八樹の笑みに魂を抜かれたようになりました。そのときです。
「ごめん。俺、恋人との旅行中だから、あんまり邪魔しないでくれるかな」
 八樹をのぞく三人はその場に凍り付きました。

 一番はじめに正気に戻ったのは半屋でした。
「…てめェ…!」
 それと同時に素早い拳が繰り出されます。
 八樹は「ごめんねー半屋君」などとあまり真剣味がなく言いながら、その拳を受け止めています。その光景を見ながら、女子大生たちはこれはマジだということに気づきました。
「えーと、あ…、えーと…。おじゃましてすいませんでした」
「あ! 私たちまだ買い物が残ってるので…」
 彼女たちはまだ呆然とした表情のまま、それでもちゃんと引いてくれました。結構いい人たちだったよなーと八樹は思いました。

 その夜、彼女たちは「やっぱカッコいい男にホモが多いってホントだったんだね」とか「東京は違うわ」とか大いに盛り上がりました。かなり残念だったのですが、これで静岡に帰ってからしばらくは土産話に困らないので、ま、よしとしなくてはいけません。

 さて。一方バス乗り場にいる半屋と八樹は。 
「だからごめんって。どーせ二度と会わないんだと思ったらつい…」
「ああ? オレには関係ねー話だし、謝られる覚えなんてこれっぽっちもねーな」
「半屋君ー。それはひどいよ」
 そこにバスが到着しました。
「てめーは向こう行け」
 と半屋はバスの奥の方を指さし、自分はさっさと前の方に座って寝てしまいました。八樹は言われたとおり奥の方に座りましたが、幸せな気分にひたってました。
(こうやって許してくれるからつけあがるんだよな、俺)
 半屋は寝てしまいました。別にアナウンスなど無いので、八樹が起こさないと半屋はきちんと降りることができません。すごくわかりにくいのですが、これはさっきのことを許してくれた、ということのなのです。

 オーチャードロード(シンガポールのメインストリート)まで出て、夕食をとり、だんだん我が家のようにおちつけるようになってきたホテルの部屋に戻りました。

 半屋はゆっくりとタバコを吸いながらテレビを見ていて、八樹は本を読んでいました。
「ねぇ、半屋君」
 ある程度まですすんだのでしょう。八樹はベッドの脇に本を伏せました。
「…今日はつかれた?」
 八樹の言葉はだいたいいろいろな意味を含んでいて、表層的な会話が苦手な半屋には逆にわかりやすいです。
「…別に」
「そう」
 八樹はたぶん半屋しか見たことがないと思える綺麗な笑みを浮かべて近づいてきました。だから半屋は目を閉じました。

 そうやって二日目の夜が更けていきました。




 シンガポールは見て楽しむ国ではないので、市内観光はやめれるなら行かない方がいいかも、です。それだったらご飯を食べてお買い物をしていた方が絶対楽しいわ!という感じです。とにかくご飯が美味しいので〜。
 でもラッフルズだけは行った方がいいですねー。やっぱすごいですよ。
 そういえば昔、大手のサークルさんがラッフルズをテーマに本を出していたことを思い出します。同人やっている人の中では一番メジャーなメディアで見かけることの多い方(アンアンとか)のところの本なのですが、まぁぶっとんでました(笑)
 





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