年の初めの例しとて
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恋人と過ごすお正月も、四回目になると、色々コツがわかってくる。
例えば、穴場の神社に出かけるよりも、こうして混んでいる神社に来た方が楽しいことが多いとか、半屋君は実はお正月は家族で過ごすもんだと思っていて、俺と会ってくれるのは初詣の時だけだとか。 初めて一緒に行った初詣の時は、人混みの嫌いな半屋君のために穴場の神社を選んだ。そうしたら、お参りするときには半屋君は列からはずれてどこかで煙草を吸っていて、俺はもう列から離れられなくて、一人虚しくお参りするハメになった。 やっぱり、恋人と初詣なんだから、二人並んでお参りしたい。 だから次の年には、お参りするのに一時間近く並ぶこの神社を選んだ。 ここならさすがに途中で列を離れることはできないし、そうしたら半屋君も、形だけっぽいけどお参りしてくれるし。 それに混雑の中、前に進むっていうのは、なかなか良い状況でもある。 「………だって、はぐれちゃうよ」 俺が手を伸ばしたら、半屋君は、ぱしっとその手をはたいてきた。 もう一度手を伸ばすと、またパシッとはたかれる。 半屋君ならではの的確さで、俺の手は何度もはたかれた。 結構強くはたかれているけれど、痛くはない。 こういうのっていいよなと思うんだけれど、半屋君自身は自分が手加減してはたいているとか、こっちは必ずはたき返されるのが楽しくてやってるんだよとか、まったく気づいていないみたいだ。 しかも最後には面倒になるみたいで、手を繋いでくれるし。こんな行列の中じゃ誰からも見られないし、万が一見られたとしても混んでるから仕方ないって……ことはないと思うけれど、半屋君はそう思っているみたいだから、それでいいことにしよう。 しばらくそうしてからようやく一番前に出た。お参りが終わったら帰らなくちゃいけないから、もっと並んでいても良かったんだけれど…―――来年はもっと混んでいる神社を探そう。 お賽銭の音が響き渡る中、俺は半屋君の幸せと、自分の健康を祈った。半屋君が何を祈ったのかは、さっぱりわからない。 混雑している神社を出て、俺達は近くのハンバーガー屋でお茶をした。 もう少し一緒にいたいけれど、半屋君はお正月を俺と過ごそうなんて思ってもいないらしいので、一緒にいられるのは初詣後のお茶までが限度だ。 去年の初詣の後は俺の部屋に誘ったんだけど、見事に断られた。まぁお正月だしね。半屋君も家族と過ごしたいだろうし。俺も本来は実家に帰らなくちゃいけないんだし。用事があるなら帰らなくてもいいんだけど、お正月に用事なんかないから。 俺が実家で分家の人なんかと挨拶している間、半屋君はちょっと照れながら、甥っ子や姪っ子にお年玉なんかあげているに違いない。 俺が仕出しのおせち料理を食べて、朝っぱらからどうでもいい宴会に巻き込まれている間、半屋君はお姉さんの手作りのおせち料理を食べて、こたつに入って蜜柑でも食べながら、のんきに箱根駅伝を見ているんだ。 「………なんだよ」 「そうだな、箱根駅伝見たいな、と思って」 別に見たいわけじゃないけど。 でも、半屋君とこたつで蜜柑で箱根駅伝で、温泉行きたいね、なんて言ったりするお正月っていうのには憧れる。 「見りゃあいいじゃないか」 「あんなの一人で見るもんじゃないだろ」 半屋君はわけのわからなそうな顔をしている。 俺は二日も三日も忙しくて、まともに箱根駅伝を見たことはないけれど、あまり感心がない場合、一人で六時間も見ているのはつらいと思う。 こたつに蜜柑に箱根駅伝か―――いいよね。 そりゃあ俺としては一度ぐらい、三が日中に×××っていうのも憧れだけど、それよりはこたつと蜜柑の方がいいかな。こっちは着物着て挨拶三昧だから。 しかも俺がいなければ挨拶は弟がするわけだけれど、その方が両親も弟も収まりがいいというか―――つまりまあそんなところだ。 本家の跡取りとして生まれた割には、発育が悪かったり、病弱だったり、内気だったりしたもんだから、当然両親や分家の人たちの期待は年子で丈夫で気も強い弟に集まった。 そこまではそれでよかった。俺は元から跡取りなんかにはまるで向かないし、今となってはこうして半屋君といれば幸せなんだから、結婚なんか絶対するわけもない。さっさと弟が跡をとって、家を継いでくれればいいと思っている。 ところが、いつの間にか俺と弟は逆転してしまった。 たぶん成長が止まっただろう今、比べてみれば、弟と俺とは二十センチも身長差があり―――そんなことより問題は剣道だ。俺が大会で優勝したりしたせいで、親戚やら分家筋の誰やら達は俺が跡取りだったことを思いだしてしまった。 本家の跡取りは文武両道、これでお家も安泰だということらしい。 普段は俺は一人暮らしだし、弟は実家で暮らしているから、何の問題もないのだが―――お正月はそうはいかない。 俺が明日のことを考えて、内心でため息をついていると、 「見に来るか?」 と聞こえたような気がした。 「今、見に来るかって言った?」 「言った」 それって、箱根駅伝を見に、半屋君の家に来るかってことだよね? 俺はしばらく固まってしまった。 「お年玉やんなきゃなんねぇけどな」 そう言いながら半屋君は唇を歪めた。 「あげるよ、お年玉。俺、あげたことないし、あげたい」 「なにワケわかんねぇこと言ってんだよ。あいつらガキの癖に、お年玉お年玉うるせぇんだよ」 「そんなことより、俺、行っていいの?」 「何遍も来てんだろ」 そりゃあそうだけど、それは誰もいないときで……本当にいいんだろうか。 「本当にいいの?」 半屋君は何も言わずに、少し苛ついた様子で煙草を吸い始めた。こういうときにしつこく確認すると逆効果だ。 「何時に行けばいい?」 「テキトー」 「駅伝って何時からだっけ?」 「八時くらいだろ」 さすがにそれは、人のお宅に伺うには早すぎる時間だと思う。 「初めから見たいなら、それくらいに来い」 どうしたんだ、半屋君。 しかしまさか箱根駅伝ごときで、半屋君とのお正月が手にはいるとは思ってもなかった。 明日は早いから、とりあえず年玉袋と手みやげを買って帰ろう。そういえば今日は一日だ。デパートも全部閉まってるし………どうしたらいいんだ? ☆ ☆ ☆ 駅伝を見に行くという大義名分で遊びに行くわけだから、八時ぐらいに行くと言っても、八時を過ぎたらなんかおかしい。本来は少し遅れて行きたいところだが、駅伝が始まったら五分遅れも二時間遅れも同じだし、それなら迷惑のかからない十時ぐらいに行った方がましだ。 俺は悩んだ結果、八時五分前くらいに半屋君の家に行くことにした。 少し早くついたので、駅前のコンビニで暇をつぶして、いざ半屋君の家の前に立ったはいいけれど、本当にインターホンを押しててもいいもんだろうか。 意を決してインターホンを押すと、 「いらっしゃい。たくみ君から話は聞いてるよ」 と、声がした。真木先生だろう。 「おじゃまします。こんな早くからすみません」 「早くあがっておいで。たくみ君待ってるよ」 中にはいると、リビングの床の上で半屋君がテレビを見ながら寝転がっていた。床暖房を入れてるらしい。 俺はその隣に座った。 テレビにはまさに走り出そうとしている選手達が映っている。 「おはよう」 半屋君の背中越しに声をかけると、 「おら、お年玉のおじさんがきたぞ」 半屋君は俺のことを振り返りもせずに、きちんと座って『あけましておめでとうございます』と言っている甥っ子に向かってそう言った。 照れ隠しだってわかってはいるけど、お年玉のおじさんっていうのはちょっとひどすぎじゃない? 「あけましておめでとう。はい、お年玉」 そうは思いながらも、俺はお年玉のおじさんに徹した。 「ありがとうございます」 この子は基本的には真木先生似なんだけれど、ちょっとたれた目とかにやっぱ半屋君と血がつながってるんだなーっていうところがある。 「ありがとうございます」 お兄さんの横にちょこんと座っていた半屋君の姪っ子も、たどたどしくお礼をいってくれた。この子は肌が半屋君色でかわいいんだよね。 そんなことをしている間に、いつの間にか選手達は走り出していた。 見覚えのある景色が流れていく中、うちのとは違うお雑煮をごちそうになったり、蜜柑を食べたりしていると、いつの間にか初めの区間が終わりそうになっていた。 一時間はたっているはずなのに、やたら時間が流れるのが早い。 「八樹君」 さっきまで子供を膝に乗せて駅伝を見ていた真木先生が、いつの間にかいなくなったなと思ったら、手に何かを持って部屋に帰ってきた。 「はい、お年玉」 「え? いえ、いいですよ」 「なに言ってるんだ。君はまだ大学生じゃないか」 でも、俺はお年玉を渡しに来たようなもんだし、どうしたらいいのかと半屋君を見たら、俺にはまったく関心なさそうにソファーにもたれて雑誌を読んでいる。たぶん知ってたな。 しかし一体どうしたらいいんだ? 「子供に世の中の決まりってもんを教えなきゃいけないからね」 これは半屋君のお姉さん。 「お年玉をもらったら、おかーさんはその人やその人の子供にお年玉をあげる。これが世の中の決まり」 「アァ?」 半屋君がお姉さんに抗議の声(だろう、たぶん)をあげた。 「あんたは関係ないの。この子達まだ外の人からお年玉もらったこと無いんだよね。だから八樹君よろしくね」 どうやらもらわなくてはいけないらしい。 俺はありがたくお年玉をいただいた。 そうこうしている間に、俺も名前だけは知っている花の二区になった。 ここは去年も走っていた選手が多いらしく、半屋君のお姉さんが去年はこうだったという話をする。するとそれに半屋君がつっこみを入れる。 半屋君ってこういうタイプの人には結構つっこみを入れるよね。こういう人って他に梧桐君しかいないけれど。 俺も来年、また半屋君と一緒に見れたら、今日の話ができるのかな。あの選手は去年もすごかったねとか、あのチーム監督替わってから急に強くなったねとか、そんな、毎年一緒に見ている人間だけができるような他愛もない話っていいよね。 こうやって見ていると、毎年見ていないとわからないことが多い。俺は昔はどこの大学が強かったのかとか、有名な選手の名前とかは知らないけれど、こういう風にほとんど見ないで寝ころんでいるたんだろう半屋君でも、そういうことは知っているみたいだ。 甥っ子が生まれてから、半屋君子煩悩になっちゃったからさ、お正月の間は自分の部屋にこもったりしないで、リビングにいたんだと思う。子煩悩って言っても、話したり遊んであげたりするんじゃなくて、ただここにいるだけだろうけどね。 この甥っ子は半屋君になついていて、さっきから「たくみ、あれなに?」とかさかんに話しかけている。半屋君の方はほとんど生返事。たくみだって。いいよな。俺だってそう呼んだことないのに。一回そう呼んだら蹴られたし。 ちなみにまだ幼稚園にも行っていない姪っ子の方は、半屋君にまったくなついていない。きっと怖いんだろう。 俺はいくつ目になるかわからない蜜柑を食べながら、ぼーっとテレビを見ていた。 床暖房は暖かくて、隣に半屋君がいて。テレビには単調に走り続ける選手達。なんだか頭に霞がかかったようにぼんやりとしているうちに、時間があっという間に過ぎてゆく。 こういうのが寝正月っていうんだろうな。別に寝転がってはないけど。だらーっとして、のどかで、疲れがとれてゆくような幸せ。 半屋君のお姉さんが作ったおせちをみんなでつつくころ、箱根駅伝名物の山登りに入った。 流れてゆく景色の中に、俺も行ったことのある場所が時々映る。確か、あそこは歩いてでも登れないほどきつい坂だったような気がする。 今度、半屋君とあの辺りの温泉に泊まって、「ここ駅伝で走ってたよね」とか言いながら歩いてみるっていうのはいいよな。 そういえば分家の人の別荘があのあたりにあったはずだけど、さすがにそれはね。春休みにバイトでもしてお金を貯めよう。 「そういえば明日、明稜出身の選手が走るんだよ」 明稜は一学年二千人ぐらいいるからね。陸上部もまあまあ強かったし、駅伝にでる人がいてもおかしくはない。 「八樹君知ってるんじゃないかな。××っていう子なんだけれど」 「知ってます」 陸上部の主将だったやつだ。運動部の連絡会で良く会った。たしかあまり速くなかったはずだけれど、すごいもんだな。 「体育科の先生たち、みんな喜んでたよ。もちろん僕らもだけどね」 そんな話をしている間に、箱根駅伝の一日目はクライマックスを迎えようとしていた。 もう俺はすっかりのんびりした気分だったのだが、これが終わったら帰らなくてはいけない。用事があると言ったから、実家には行かなくてすんだけれど、こんな昼間から一人で正月か………。今までが幸せだった分、落差が大きそうだ。 実力校の選手がゴールテープを切り、ライバル校もゴールし、下位の大学も次々とゴールしてゆく。優勝校のインタビューも終わり………この辺りが限度だろう。 「じゃあ俺はこの辺で………」 「え? 八樹君泊まっていくんじゃないの?」 半屋君のお姉さんが本当に意外そうに言った。 泊まってく? 横を見ると、半屋君が不機嫌そうな顔をしている。この顔はたぶん決まりが悪い顔。ということは、半屋君が俺が泊まるって言ったんだな。 「なんだ、泊まるんじゃないの」 たぶん、状況はこうだ。 俺は駅伝を見たいと言った。駅伝は二日間あるから、半屋君は俺が泊まりで半屋君と過ごしたいと言っているのだと思った。まぁいつもそんなこと言ってるしね。なんでだかわからないけど、妙に親切心を出した半屋君が俺を誘ってくれ、お姉さんに俺が駅伝を見に来ると言った、とまあそんな感じだろう。 「あ、泊まります」 それだったら泊まらなきゃ損だと思う。 隣で半屋君はムッとしている。俺が半屋君の間違いに気づいた上で、それに乗ったのがわかってるんだろう。それに俺が泊まりたいとまで思ってなかったのに、誤解しちゃったのがイヤなんだよね。 駅伝も終わったし、俺達は半屋君の部屋に移動した。半屋君の家族がいるときにこの部屋に入るのは始めてで、なんか妙な気分だ。 「帰るんなら帰れよ」 「泊まると思ってなかったからびっくりしたけど………、もっと長くいたいなって思っていたから嬉しかった」 ここは正直に言っておこう。ごまかしたらすべてがパーだ。 半屋君が何も言わないし、なんとなくそんなムードだったので、軽くキスをした。 「ぜってぇしねえぞ」 ただ嬉しくてキスしただけなんだけど、半屋君は過剰に反応する。 「俺にだってそれぐらいの分別はあるよ。あ、でもそういうのもスリルがあっていいかも」 「てめぇ帰れ」 「冗談だよ。でも、半屋君と一緒のベッドっていうのはちょっとつらいかも」 「帰れ」 半屋君は俺の足に蹴りをいれた。 「帰らないよ」 その蹴りはちゃんと加減されていて、半屋君が怒ってないことを伝えてくれる。 本人に聞いたら、すごく怒ってるって言うんだろうけどね。 その日の夜、狭い半屋君のベッドで二人で寝るのは大変で、俺はこのぬるま湯のように幸せな気分のついで(?)に半屋君を抱きしめて眠ることにした。 と俺が決めても、半屋君は嫌がる―――ポーズだけだと思いたいけど、とりあえず嫌がるわけで、とにかく逃げようともがく。 でも、このベッドは二人で普通に寝るには狭すぎるし。半屋君って寝るときに暖房入れないから寒いし。 結局、気がついたらすっかり寝ていたので、一瞬でも俺が半屋君を抱きしめて眠れたのかは不明だ。 起きたときには半屋君はできる限り俺と離れたところで、ほとんど壁の隙間にはまるようにして寝ていたし。確か半屋君からの反撃がなくなって、安心して寝たような気がするから、初めのうちはできてたんじゃないかと思うんだけど……… 起きてからまたテレビを見ながら蜜柑を食べて、ほとんど映らない元陸上部の主将が画面に映るたびに、それでも一応チェックしたりして、そんなことをしている間にあっという間に時間が過ぎてゆく。 このままずっと正月だったらいいのにと思うぐらいにのどかだ。 今頃、実家はいつも通りの正月なんだろう。 あんなに必死にならないで、一度くらいこうやってのんびり過ごしてみればいいのにね。あの人たちはあれが大事なんだからいいんだろうけど。 そういえば小学校の頃、もらいすぎたお年玉は使い切れなくて、結局すべてあいつらに脅し取られたけれど、あの中にも『世の中の決まり』がかなり含まれていたんだろうな。 とりあえずお正月が終わったら一度実家に戻ろう。どうせ一度は帰らなきゃいけないんだし、ここでゆっくりさせてもらったから、大丈夫のような気もするし。 前評判通りの実力校が優勝して駅伝は終わり、そのあともしばらく半屋君の甥っ子に素振りを教えたりしながらだらだらして、夕飯が始まる前に半屋君の家を出ることにした。 真木一家は今日も泊まるらしいから、半屋君が寂しがることもないだろう。まあ俺がいなくなったからって寂しがる半屋君じゃないだろうけど。 「半屋君ありがとう。今年もよろしくね」 帰るときには真木一家に挨拶しなきゃいけないから、半屋君ときちんと話せない。俺はタバコを吸いにリビングを出た半屋君を、手っ取り早く二人きりになれる脱衣所に誘った。 「礼を言われる筋合いはねぇよ」 「もちろん真木先生達にもあとでお礼を言うけどさ、やっぱりまずは半屋君にお礼を言いたいよ」 半屋君が嫌がるから言わないけど、本当に俺はいい恋人を持ったよね。 俺は半屋君を抱きしめて、髪にキスをした。 「やめろ、こんなとこで」 「誰も見ないよ」 今年もきっと、いい一年になるだろう。俺はもう一度半屋君を抱きしめた。 本当はもっと違う話になる予定だったのですが、正月で脳が溶けきってしまったのでこんな話に(笑) というわけで今年もよろしくお願いします。 |