a slight scratch
午後11時を回っていた。 『お前、このところちょっと練習しすぎじゃないか』 近頃、剣道部の友人達は八樹が練習をしてから帰ると言うたびに心配そうにそう言ってくる。 『そんなことないよ。少し一人で練習するだけだし』 そう言って笑うと、友人達は疑わしそうな顔をして『本当に少しだろうな』と念を押した。 初めは少しだけ一人で素振りをして帰ろうと思っていた。ただ、このところいつもその予定は崩れ、気がつくと11時を過ぎてしまう。 強くなりたい。 頭を占めるのはただそれだけ。 強く、少しでも強く。 既に疲れ切っていたが、まだ手や体が練習を欲している。八樹はもう一度壁に掛けられた時計を見た。11時15分。シャワーを浴びる時間を入れてもあと少しなら練習をすることが出来る。 少し何か食べてから練習を続けようと思い、八樹は道場の隣にある部室に荷物を取りに行くことにした。 「え………っ?」 誰もいないはずの部室に人がいる。しかもどうやら熟睡している。しかも――― 「半屋君?」 それは八樹の天敵(と回りからは言われている)の半屋だった。 「半屋君」 もう一度呼びかけても起きる気配がない。半屋が色々なところで寝てしまうのは知っていたが、こんなに熟睡しているのは初めて見た。 仕方がない。事情はよくわからないが、このまま放っておくしかないだろう。八樹はそう判断し自分のバッグを探したが、見つからなかった。 (まさか―――) ソファーに体を丸めるようにして寝入っている半屋の頭の下に見覚えのあるバッグがある。別に大したものは入れてないのでソファーの上に置いてあったのだ。 「半屋君!」 「………」 ようやく半屋は目を開けたが、まだ寝ぼけているようで、目の焦点が合っていない。 「半屋君、ごめんちょっと…そのバッグ、俺のなんだけど」 「ア?」 半屋は一瞬八樹を見て、そのまま寝返りを打ち、バッグを抱えこむように寝てしまった。 「は、半屋君………?」 半屋が起きる様子はない。 (仕方ない) しばらく待てばまた寝返りを打つかもしれない。もう練習を続けるような気分ではなくなっていたので、八樹はシャワーを浴びることにした。 しかしなんであんなところに半屋がいるのだろう。あの寝方からみて、今日はここに泊まるつもりなのだろうが、なんでここなんだろう。一目見て剣道部の部室だとわかりそうなものなのに。剣道部には八樹がいる。それぐらい知っているはずだ。 シャワーを終えて部室に戻ると、半屋はまだソファーに丸まっていたが、八樹のバッグは床に落ちていた。 (一応、俺の話を聞いてはいたのかな…?) 八樹は半屋の寝顔を見ながら、バッグの中で微妙につぶれていたパンを取り出して食べた。半屋が起き出す気配はない。 (俺だったら絶対こんなところで寝ないな) いくら梧桐が仲間だと言っているとはいえ、本来八樹と半屋は敵と言っていい間柄だ。それに、つい最近も全校生徒の前で二人で闘ったばかりだった。 二週間ほど前、この学校の理事長の孫に脅されて、梧桐と闘うことになった。不本意だったが、梧桐とは闘ってみたかった。しかし、いつの間にか半屋と闘うことになっていた。 途中で梧桐に止められたが、あの勝負は自分の勝ちだったと思う。半屋にならいつでも勝てる自信がある。ただ――― 「半屋君、風邪引くよ」 肩に手をかけて軽く揺すってみたが、起きる気配がない。 もう半屋とは闘いたくない。半屋と闘えば闘うだけ、何かがわからなくなる。 「半屋君」 梧桐を目標にしていれば、自分は確実に強くなれるはずだった。近頃それがおかしい。強くなる道が見えなくなってきている。がむしゃらに練習しても、何かが違う気がする。 「半屋君、起きて。もう俺帰るよ」 自分だったら絶対にこんなところで寝たりしない。 ただ空いている部屋があったから入ってきただけなのだろうが、それでも自分だったら、ここが自分の負けたことのある相手のテリトリーだとわかった時点で、わからないように引き返す。 「半屋君、ここで寝てたら風邪引くよ」 強めに揺すってみたが、寝返りを打っただけで半屋は起きない。 多分、自分は半屋とあまり会いたくないと思っているのだろう。 半屋のことが嫌いなわけでも、苦手なわけでもないが、半屋の行動を見ていると、必ずどこかにひっかかるものを覚える。梧桐のように目標と出来るわけでもなく、倒したいと思えるわけでもなく、それなのに自分の中のどこかを必ず変える相手。 他人の行動の意味をあれこれと考えるのは苦手なのに、自分の見える範囲で半屋が何かをしていると、どうしてもその意味を考えてしまう。例えば自分ならあんなことはしないとか、自分ならそんな風にしないだろうとか―――半屋の行動を自分と比較しても全く意味はないはずなのに。 「半屋君」 今だって、きっとここに八樹がいるのをわかってはいるのだと思う。普段だったら威嚇したり無視したりするのに、眠気ですべてどうでもよくなってるのだろうとか、自分だったら絶対そんなことしないのに、どうしてそうなんだろうとか、半屋を見ているだけで色々考える。 なんでそうやっていちいち自分とは違うのだと見せつけるのだろう。 どうして自分は半屋の行動を見せつけられていると感じるのだろう。 どんな種類のものであれ、他人に心を動かされるのは嫌いだ。梧桐のように自分の中で消化できるのならかまわないが―――半屋は見るだけで苛ついて、しかもそれが自分に返ってくる。 「半屋君、電気消すよ」 半屋はどうやっても起きそうにない。仕方がないので使っていない大きめのタオルを半屋にかけて、部室を出た。 次の日、早めに朝練に行くと既に半屋はおらず、八樹のタオルはソファーにかけてあった。 (いない、か………) 会いたくないのではないかと思っていた半屋なのに、いないと少し寂しい。どうして半屋はそんなに自由なんだろう―――そんなどうでもいいことを考える。 剣道着に着替え、誰もいない剣道場で竹刀を握ると、ここしばらくの強さへの渇望は消えていた。 (やっぱり半屋君とは会いたくない、かな) 半屋と関わると自分の感情の動きがつかめなくなる。半屋と闘って勝っていたはずなのに強くなりたいと切望したり、それがまた元に戻ったり―――自分でもよくわからない。 その日の放課後、八樹は学校の近くの店でクッションを買い、部室のソファーに置いた。 半屋とはあまり会いたくない。でも治りかけの傷を触りたくなるように、どうしても気にかかる。無視してしまえるほどの小さな傷。でも、自分に痛みを与えてくれるものはそれだけで、それをいつでも確かめたくなるように。 (別に来て欲しいわけじゃないんだけど) 八樹は昨日の半屋の姿を思い出し、クッションを置き直した。 なんだか急にSSが書きたくなって、近頃には珍しい早さで仕上げたSSです。 初めの半屋が寝ているシーンだけ思いついて、そこから八樹を勝手に走らせてみました。そういう書き方だったので、個人的にはとても楽しかったです。 しかし実はこんな話になるとは想像だにしていませんでした(笑) |