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約二ヶ月ぶりに訪れた明稜高校は、たった二ヶ月なのに、全身で八樹を拒絶していた。 (そんなもんだよね) 八樹はこの敷地に思い入れがあるわけではない。だからそんな拒絶はどうでも良かった。 まとわりつく違和感をものともせずに八樹は目的の場所に向かう。この高校の英語教師である半屋の義兄は快く半屋の新しい修業先を教えてくれた。もし八樹がふっきれていなかったら教えてはくれなかっただろう。優しげな教師ではあるが、そういう甘さはない人間だということを八樹は知っている。 敷地を出るとき、八樹は振り返ってもう一度明稜高校を眺める。 先ほどと変わらず自分を拒絶している校舎がそこにあった。 ―――もう大丈夫だと思えた。 「半屋君久しぶり」 あいかわらず静かな、誰もいない場所で、半屋は休憩を取っていた。半屋は突然の八樹の訪問に驚くことはなく 「来るなと言ったよな」 と、同じ事を言った。 しかし、口調は重くない。前と違って本気で言っていないことはすぐわかったので、許可を取ることなく半屋の隣に腰を下ろす。 「半屋君に相談したいことがあって」 「相談だぁ?」 「半屋君って人から相談受けるの初めてだったり……は、しないみたいだね。ちょっと残念かな」 「てめぇ……」 こういう風に半屋に対する言葉はいつも簡単に出てきて、他の人と対するのとはどこか違っている。 「俺ね、半屋君の見ている俺が一番好きだよ」 「はぁ?」 半屋は間の抜けた声を出した。 「性格悪くて、裏表があって、押しつけがましくて、わけわからないバカ」 「まんまじゃねーか」 八樹は声を出して笑った。 「だからそういう俺が好きなんだよ。……俺は今まで自分のことが嫌いだったから」 半屋と話していると、自分が自分になれるような開放感がある。それが心地好い。 「で」 半屋は苦虫をかみつぶしたようなこんがらがった表情をしたまま先を促した。一応、相談を聴いてくれるらしい。 「四天王に戻ってみようかと思って」 半屋がいぶかしげに八樹をにらみあげる。 「もちろん明稜に入り直すって意味じゃないよ。あの高校が大事なわけじゃないんだ。 でもあのころの俺の方がまともだったのは確かで、なんでかなって考えた。……半屋君は前に俺がハンパだって言ったよね?」 半屋はどうでもいいという態度を崩さない。でもちゃんと聞いてくれているのはわかっていた。 「環境が変わったら自分も変わらなきゃいけないと思ってた。もう高校は卒業したんだから、高校の事なんて忘れなきゃいけないってね。そう思って必死に回りにあわせていた。結局苦しくなって逃げ出して、君には迷惑をかけたけど……。 ―――でも忘れる必要なんてあるのかな、って思ったんだ」 「無理して合わせてさ、全然つまんなくて、梧桐君に会っても気後れしてさ……そんなことに意味があるのかな」 「あのバカに会ったのか」 「たまたまね。 だからそんなんじゃ、高校の時の全部が無駄になっちゃうかな、と思って。梧桐君を倒そうと努力してたこととか……君に迷惑かけたこととか」 半屋と話していると糸がほどけてゆくように自分の考えがつかめてくる。八樹はそれを実感しながら話し続けた。 「あの高校で俺が少しはまともだったのは……あの高校のせいでも梧桐君のせいでもなくて……自分のやりたいことをやってたからなんだよね。なんでそれを―――高校を卒業したぐらいでやめちゃったのかなって」 半屋はタバコに火をつけた。何回か吸い込んだだけですぐ消してしまう。 「『やりたいこと』がなんだかわかったのかよ」 そうやって何かで勢いをつけて、ようやく会話を続けることが出来るのだろう。彼はすごく不器用で、だから本当に話している気になれる。 「うん。とりあえず前と同じ事をやってみようと思う。俺はやりたくてやってたのに、それに気づいてなかったし……もう学校も違うんだからって勝手に思ってたしね。本当はやりたいことだったら学校なんて関係ないのにね」 しばらくしてから、 「いいんじゃねーの」 と、半屋が小さな声ではあったが言ってくれた。 「俺が何を言ってるかわかるの?」 「バカの手下に戻るんだろ。そういやぁてめェ嬉々として手伝ってたよな」 「手下ってねぇ……。まぁ、梧桐君のサポートをできるのは俺ぐらいしかいないかなって思ってさ。俺はやりたくて梧桐君を手伝ってたんだし……気づいてなかったけどね」 八樹がそう言うと、半屋はふてぶてしい顔で笑った。 「―――半屋君、俺が駄目なのには理由があるって言ってくれたよね。それって梧桐君のこと?」 半屋は八樹が言ってることがわからなかったらしく、大きな目が宙をさまよった。そうしてようやく思い当たったらしく、イヤそうに顔を背けた。 「俺、気づかなくってさ……ごめんね」 「くだんねぇことで謝るんじゃねェよ」 「うん」 半屋はしばらく黙り込んだ後、ぽつりと言った。 「バカのことじゃねェ」 「そうなの? もし良かったら教えてくれるかな?」 半屋は黙っている。 「ね? 教えてよ」 「るせーんだよ、てめェはいちいち。 ……ったく‥‥‥ …………てめェはやりてェことがねェとダメになんだよ!」 「?」 「だから! …………今はやりてェことができたんだろ?」 半屋は顔を赤くしながら怒鳴った。こういう話は苦手なのだろう。それでも言ってくれているのだ。 言われてみればその通りだった。高校時代、自分にはいつでも目標ややるべき事があった。 変わった環境に惑わされて、それを見失っていたのだ。 「でもそれならなんで言ってくれなかったんだよ」 つい口が滑るのは半屋に対する気安さからだろうか。それともこうやって顔を赤くしながらも話してくれる半屋を見ていたいからだろうか。 「言ったってしょうがねーだろ」 「なんで?」 「てめェ、いちいちうるせェって言ってんだろ! …………だから、やりたいことを探せって言われて見つけたもんなんて、てめェには意味ねぇだろうが!」 そう怒鳴ると半屋はついに横を向いてしまった。まだ顔が赤い。 「ああ、だから自分で気づくように―――遠回しに言ってくれてたんだ。半屋君、ホントに優しいよね」 多分、突き放そうとしていたのも根本は同じ。突き放されないままだったら、居心地が良くて何も気づけないままだった。 突き放されて、本当に自分を見失いそうになってようやく、自分で気づくことが出来た。 「そんなんじゃねーよ!」 ほとんど悲鳴だ。八樹はおかしくて嬉しくて声を上げて笑った。 半屋は優しい人間なのに、誰も半屋自身もそのことに気づいていないのが不思議だ。 (でも―――) 誰もそれに気づかないでいてくれたらいいのに、と思う身勝手な思いが湧いてくる。 (友達じゃないのにね‥‥‥) 半屋に対する気持ちは友情とは別の次元のもので、それがなんなのか八樹にはよくわからない。 「一緒に住もうよ」 そんなことを考えているうちに、気がつくとわけの分からない言葉が滑り落ちていた。 「アァ?」 「だから半屋君、一緒に暮らそうよ」 言葉は八樹の意図とは関係なく勝手に口から流れていく。それでも八樹は不思議と平静にそれを受け止めていた。そうだ、それが一番しっくりとくる今の自分の気持ちだ。 「ついに頭壊れたのか?」 悪態をつきながらも声は少し小さい。本気で八樹がおかしなことを言っていると思っているようだ。半屋は多分、自分と暮らしたがる人間がいるということが理解できないのだろう。 「俺、やっぱり半屋君に会いたいけど―――友達みたいに会いたくないんだよ。俺、半屋君と友達になりたくないんだ」 半屋の目の色が剣呑なものに変わる。 「そうじゃなくて。友情を続かせるのに気を使ってもらったり、気を使ったり、そういうふうにはなりたくないんだ。 もっとさ―――特別じゃなくて、日常の中で会いたい。ダメかな?」 「頭おかしいんじゃねぇの?」 半屋はどこか呆然とつぶやいた。 「そうかな。自分の思ったとおりに言ってるだけなんだけど。自分に正直になることにしたんだ、俺」 「いつもそうじゃねーかよ」 「そう思ってるの君だけだよ」 自分の行くべき道が見えた今でも、こうやって何の構えもなく話すことが出来るのはやはり半屋に対してだけだった。 友人のように会って楽しいとか話が合うとかそういう理由ではなく、ただ会いたいと思う。 「どうしてもダメ? イヤだったらすぐにやめてくれていいからさ」 半屋は何も答えない。 「半屋君がいてくれなかったら、俺、また変になるよ?」 「勝手になってろ」 にべもない。それでも八樹はめげずに続ける。 「俺は半屋君といると楽だし、半屋君だって俺とは話しやすいよね? 君に何言われても傷つかないから、俺」 「てめェとはダチじゃねぇ!」 「だからわかってるって。部屋は余ってるし、食費だけでいいよ」 「ぜってーヤだ!」 「そう? じゃあまた毎日来なきゃダメかな。もう休憩時間終わりだし、短すぎるよねぇ」 「さっさと消えろ」 「うん。じゃ、また明日」 わざとらしくため息をつきながら半屋が立ち上がる。 「半屋君、また明日ねー!」 そう言って八樹が手を振ると、半屋は眉間にしわを寄せて背を向けて―――ほんの少しだけ手を挙げた。 少し前までの自分が嘘のように充実している。進むべき道が見え、足場が固まっているのを感じる。 明日、梧桐に会いに行こう。彼は盛大に鼻を鳴らして、尊大な態度で八樹を迎えるだろう。そしてそれに八樹はやはりわずかな反発心を覚えるだろう。 梧桐に対する対抗心は、梧桐が梧桐である限り生涯消えないかもしれない。それでいいのだ、と八樹は思う。そういう梧桐を倒したいと思い、助けたいと思う自分を今は誇りに感じる。 (‥‥‥そうだ。部屋、片づけておかなきゃ) こうやって自分で自分の道を選べたのもあなたのおかげだから。そう言ったって半屋はきっと信用してくれないだろうけれど。 本当に自分は恵まれた高校時代を送っていた。それを思い出にしたくないのなら、自分の意志でつかみとろう。周りに流されないで、自分の気持ちに正直に。 静かな路地に雲の切れ間から一条の光が射し込んでいた。八樹は立ち上がると、その光に向かって歩き出した。 |
| どうも長い間おつきあいいただきありがとうございました。『ルミナス第一部』はこれにて終わりです。「八半」というより、八樹宗長グローイングアップ物語のようでしたが(笑) 八半的にはお話は『子供のクリスマス』に続きます。お気づきになった方、いらっしゃいましたでしょうか? ええとそれで、申し訳ないのですが『ルミナス第二部(恋愛編)』は同人誌で出します。HPに載せたくない内容(笑)なのと、この話は第一部だけでもいいかな、と思うので。 HP上での八半的解決を望んでいらっしゃった方々、すみません。えーと、なかなか恋愛に気づかない分、かなりのラブラブハッピーエンドになる、と思っていただけたら、HPだけの方もご満足いただけますでしょうか。 |