明稜やってて自分のためになったな〜と思うことは数多くあります。
その中でも一番ためになったのは、「キャラの扱い方」ですね。
私はそれまでネタ重視の人間だったので、キャラの扱い方がとても一面的でした。特にオリジナルのときはそれが顕著でしたね。
性格悪いキャラでも「性格悪い」っていう枠にはまっちゃってるというか、そんな感じで。
そのキャラのしゃべるセリフ、っていうのがキャラの性格で固定してしまっていたわけです。
「いわゆる性格の悪い人っぽいしゃべり方」っていうのかな、そういう方程式みたいなものって、ドラマや小説やマンガを見ているうちに誰にでもわかるようになるものだと思うんですが、その方程式に乗っ取ったキャラしか書けませんでした。
ネタ重視だから、まずネタがキャラを決めちゃうわけですよ。キャラが考えることだってネタが決めてしまう。だから別にキャラの性格とか深く考えなくたって話は進むわけなんですが、個人的にはキャラがいまいちなのは良くわかっていました。
で、明稜にもどるわけですが、明稜ってキャラがセリフまわしを決めているようで、そうじゃないんですよね。
近頃の小説やマンガって、「キャラが立っている」せいか、そのキャラが誰の前でも同じ人格なものが多いです。
たとえば、そうだなぁ、重要脇キャラ(シリアス系)が闘う決意をしたとしますよね? でも今、主人公は別なところで闘っているからその場にはいない。そういうとき、その重要脇キャラはとりあえず手近にいる仲間の前で、主人公に対するのと同じようなシリアスな態度で闘う決意を表明したりしません?
私、昔はそういうのまったく気にならなかったんですけど、というか「しゃべり方が一貫していること」は大事だと思っていたので、むしろそういうのがいいと思っていたんですけど、本来人間としてそういう態度はおかしいわけですよ。
で、明稜を深く読んでると、発言はその周りの人間関係が前提になってますよね。いくら梧桐さんがへんてこなしゃべり方をしていても、発言内容や態度は周りの人にいる人によって変わっている。
考えてみればすごくあたりまえのことなんですけど、キャラが人間っぽい(笑)
なぜそのキャラがその場でそのセリフをいうのか、そんなこと今まで考えていなかったのですが、ただ一言のセリフでもかなりの情報量をもつことができるんだ、と気づいたのは明稜を深く読んだおかげです。
まぁ、それを自分が実践できているかは別として、他のマンガを評論するときにすごく役に立ちましたね〜(笑)
評論はがそれをできるかどうか関係なしに、理想論から入れるから、理想を知っておくことは大事なんですよ(笑)
「このマンガのキャラの行動は、他のキャラがすぐ横で死んでいることを前提にしていない!」とか書いていたのも明稜のおかげ(笑)
ま、評論はやめてしまいましたが、明稜やってなかったらあんな色々書けなかったでしょうね(笑) いよーに強気で書いてたけど(笑)