夢魔

 

 

 






 あまり面白いとはいえない古文の授業の間、八樹は迷い続けていた。
 梧桐に淫夢とやらを見せれば面白いかもしれないが、また失敗した場合、残りはたった一回になってしまう。
 それよりも、残り二回のうち一回で夢魔の見せる夢が本当に効果があるのかを確かめてから、最後の一回に賭けた方が確実だ。
 そのためには、確実に夢の影響のでる人間を選ばなくてはならない。
 そして八樹にはそれに適した人物の心当たりがあった。
 彼にどんな夢をみせれば影響がでるのかにも気づいていたし、彼ならば悪夢を見ている期間に様子がおかしくても、まわりの人間も気にかけないだろうということにも気づいていた。
(でもなぁ―――)
 彼はその夢に耐えられないだろう。意外に神経の細いところがある。
(数日すれば忘れるわけだし、他の人よりはいいと思うけど―――でもねぇ)
 八樹は昨日から迷い続けていた。

 
 昨日、ムトが消えたあと、八樹は誰に何の夢を見せたら良いのかを考え続けていた。
 梧桐に半屋の夢を見せるというあたりで思考が止まっていたのだが、しばらくして、それは取り返しのつかないことになる可能性があることに気づいた。
 普通なら男の夢を見せたところでどうにもならないはずだが、彼らの場合、そんなことは決してないと笑い飛ばせるような間柄でもない。
 夢を見た梧桐が半屋と喧嘩をしたはずみに、強引に関係を結んでしまったら。
(それはちょっと―――かなりまずいかも)
 可能性は低くとも、まったくないとまでは言い切れない。


 だったら半屋に夢を見せるのはどうだろう―――
 それはちょっとした思いつきだった。面白いことになりそうだし、半屋だったら残りのうちの一回を使って夢を見せる甲斐もあるだろう。
 夢を見せた効果もすぐにわかるはずだ。
 しかし元々彼は八樹とはほとんど関係のない人間だし、梧桐に集められた時以外で会うこともない。
 そんな半屋に夢を見せてもいいものだろうか。
(半屋君、ねぇ………)
 以前八樹が彼を入院させたという一点を除けば、半屋とは知り合いと呼べるのがギリギリの関係だ。
 しかしなぜか八樹の中で、半屋の存在は確かなものだ。クラスメートや部の友人達よりも確かな存在に感じられる。
 他の人に夢を見せるのはもったいないが、半屋にならみせてもいい。でも―――
 今、八樹が考えているのは、半屋が一番嫌がるだろう夢だ。
 梧桐に抱かれる夢。
 その夢を見た半屋がどんな反応を示すか、手に取るようにわかる。きっと夢に押しつぶされる。
 半屋の生活のすべてが八樹の見せた夢に押しつぶされてゆく。その想像は楽しいが、大した関係でもない半屋にそこまでするのもどうかと思う。
(これ以上考えていても仕方がない。また明日考えよう)
 そう思い、宿題を取り出したが、なかなか集中できなかった。




 古文の授業が終わり、八樹はふと半屋の顔を見に行こうと思った。
 わざわざ自分から訪ねたことはないが、半屋が普段どこにいるのかは知っている。人気のない静かな校舎裏。梧桐と共に、何度か見たことのある場所だった。
「半屋君」
 八樹が近づくと、半屋はすぐに飛び起きて軽く構えた。それ以上近づくなということなのだろう。八樹はそれを無視して半屋に近づいた。
「何しに来た」
 テリトリーを侵されて警戒の声をあげる。梧桐が良く言っているように、まるで動物のようだ。
「ちょっと顔を見に来ただけ。しばらく会ってなかっただろ。元気かなと思って」
 半屋は警戒を解かずに、八樹の顔を睨みつけている。八樹の真意を探ろうとしているらしい。本当に読みやすい。
「あのバカの差し金か」
「あのバカ? ああ、梧桐君か」
 なぜだろう。今、少し腹が立った。梧桐とは関係なく来ているんだと言いたくなったが、みっともないのでやめる。
「本当にただ顔を見に来ただけだよ。元気だった?」
 半屋は八樹の言葉には答えずに煙草を吸い出した。早くどっかに消えろと全身が言っている。

 八樹はしばらくその場で半屋を見ていた。半屋は八樹の存在を完全に無視していた。
(もうすぐ俺のせいで大変なことになるかもしれないのに)
 今は八樹を無視していても、八樹が夢を見せようと思えば、半屋はそれに支配されてしまうだろう。
 
 半屋は無視してそのまま八樹の存在自体を忘れてしまったらしかった。まるで誰もいないかのように煙草を吸い続けている。
(もうすぐ、そんな風にしていられないくらい大変なことになるのに)
 もういいや、と八樹は思った。もういい。半屋にしよう。もともと昨日から半屋に夢を見せようとは思っていたのだ。ただきっかけがつかめなかっただけだった。
 どうせすぐに忘れるのだ。半屋にそこまで迷惑がかかるわけでもないだろう。もういい。半屋に夢を見せよう。
 八樹はそのまま半屋の側を離れた。半屋は八樹に気づかないままだった。



 その日、現れた夢魔に八樹は適当な理由を作り上げて話した。
 お互いに惹かれ合っているのに、同性同士であることもあり、その想いに気づかないようだ。荒療治だとは思うが、夢を見せることで解決になればと思う。
 そう話した八樹を夢魔は疑わなかった。
 疑ってくれればやめるかもしれないのに。そう思ったが、最後まで夢魔は八樹の言葉を信じていた。


 

 

 

 つづく