―――そうだ。オレはこういう暴力を、たった一度だけ他人に振るったことがある。そしてそれは…半屋に対してだった…
始めは半屋のことなどどうでも良かった。
…子供の残酷さで、半屋を自分のものに―――オレしか見えなくするようにするのが簡単なことにはすぐに気がついた。
半屋には友人がおらず、半屋という人間を見ている人間は…半屋に気づいている人間は誰一人いなかった。―――だから何も考えずにそれを実行した。
…半屋のように強い人間がオレのことだけを見て、オレに翻弄されている様は楽しくてたまらなかった…
オレが思い出している間にも一方的な暴力は続いていたが、それはもはや気にならない。オレは―――少しずつ半屋の記憶をたぐり寄せる…――殴られながらも、そのことに集中した。
どんなに徹底的に負かしても、半屋はまだ刃向かってきた。いつでも半屋がオレに勝つことはなく、最後の最後まであがいたあげく、ぽっきりと折れるようにして負けた。
その半屋の様子に、父親の暴力によってすりへらされたオレのプライドは満足していた。
オレが半屋を殴っても、半屋自身がそれを暴力とは認識していなかったから、それはケンカの一環にすぎず、罪悪感などまるで感じなかった。他の人間はすぐにつぶれる。つぶれて歪んだ目を向ける。さすがにそれは後味が悪かったから、半屋がオレのものになってからは、もっぱら半屋にのみ本気を出した。
あれは多分、オレが母を守りきれなくて、父親の暴力が母にもふるわれた、その次の日。
オレはその苛立ちをそのまま半屋にぶつけた。
オレには確かに父親の血が流れていて―――父親と同じ、一方的な暴力を、そのまま半屋に叩きつけた。
しばらくして―――気がつくと、半屋はどんなに揺すってもぴくりとも動かなくなっていた。
オレにはそこに至るまでの記憶が薄かった。もしかするとオレは今、父親と、あのどんなに憎んでも憎み足りない父親と同じ事をしていたのではないか。
半屋がいつものように逆らって、地面に倒れたのまでは覚えていた。その後。起きあがろうとするだけで精一杯の半屋に、それでもオレは暴力を振るい続けた。自分が楽しむために。ただそれだけのために。
―――オレは父親そのものだ。
その事実はオレを打ちのめし、ぐったりとした半屋を呆然と見つめる以外、なにもできなかった。
知らない大人が救急車を呼び、オレは病院へ向かった。その大人はオレに半屋の電話番号を訊いたが、オレはそれをしらなかった。
住所も知らなかった。下の名前さえ知らなかった。
半屋が精密検査を受けている間、オレはその部屋の前で待ち続けた。帰っていいと言われていたが、そんなことができるわけもない。
何をどう考えたらいいかもわからず、ただ検査室の扉をにらみつけていたとき、太った女医が声をかけてきた。
「君はたくみ君の友達?」
その名前ははさっき覚えたばかりの、多分もう一生忘れることができないだろう、半屋の名前だった。
太った女医は半屋の担当医だった。
半屋には担当医などという人間がいたのだ。半屋はこの病院に半年前まで入院していたのだという。
―――オレは半屋のことを何も知らない。
検査室の扉の前で、足のふるえが止まらなかった。
半屋は粗暴な態度で親たちに嫌われ、長い入院生活の間、一人として友人を作ることができなかったという。そして友人の作り方を知らぬまま退院した。
オレが半屋を知ったのは最近のことで、何も考えず半屋は転入生だと思っていた。そうではなかったのだ。半屋には今まで誰一人友人がおらず、本当にオレしかいなかったのだ。
それを、オレは。
オレは何をしたらよいのだろう。今まで母や伊織以外の他人に謝ったことはない。オレは強かったから謝る必要など無かった。
いや、だめだ。謝るわけにはいかない。謝ってしまったら半屋はすべてを失ってしまう。いつも真っ直ぐにオレと闘っている目。半屋にとってはオレと闘うことが総てなのに、それを奪ってしまうわけにはいかない。
しばらくすると検査室から半屋が出てきた。まだベッドにのせられてはいたが、体を起こし、オレをにらみつけた。
「…にしてんだよ、帰れ」
オレに向けられた瞳は相変わらず歪むことなく真っ直ぐで、あんな目に遭わせたにも関わらず『オレのもの』のままだった。
そうだ。オレは、オレのものに対して責任を負わねばならなかったのだ。
半屋にオレ以外を見れなくしたのはオレだった。半屋に誰もいないのにつけこんでオレだけを見るようにした。
オレのものにした以上、オレはその責任を負わなければならなかった。それに気づかずにオレが、オレ自身が半屋を傷つけた。
二度とこのようなことがないように。
オレはオレの物としたもの総てに責任を負えるだけの人間にならなければならない。
半屋だけではなく、学校の友人たちに対しても…オレはただ強さをひけらかすだけで何もしなかった。
総てを守れるだけの人間になりたい。ならなくてはいけない。
オレはあの日、去ってゆく半屋のベッドを見つめながら、そう誓ったのだった―――。
気づいてみるとオレに向けられていた暴力は父親のものより軽かった。スピードも遅い。そんなことにも気づけないほどボケていたらしい。
オレは神経をとぎすまして気配を探り、オレに向けられた拳を受け止めた。
「…っと、気づいたみたいだ。もういいかなー?」
先ほどまで圧倒的と思われた力は、闘気のかけらも残さずにあっけなく引いていった。
「ええ。もういいわ。ありがとう」
伊織はそう言いながらオレの目隠しを外した。
「お礼はいいよ。そのかわりデートね、デート」
目隠しをしたオレに暴力を加え続けていた男は、見覚えのない優男だったが、あの闘気の引き方、そしてあれだけ圧倒的な力と思えたのにオレの体にダメージが残っていないところから考えて、かなりの使い手なのだろう。
曖昧な笑みを浮かべて、その優男を適当にあしらっている伊織を横目で見ながら、オレは半屋を捜した。
半屋は道場の壁に目を閉じて寄りかかっている。
そうだ。あれはオレが初めて持ったオレの物だ。
あのときから、オレはオレになろうと、そう決めたのだった。
「半屋」
オレが近づくと、半屋は顔を上げて険しい瞳を向けてきた。まっすぐにオレを射抜く瞳。オレが惚けていたさっきまでの瞳とは違う。オレと闘おうとするいつもの半屋の瞳だった。
「…まともになったのかよ」
オレは半屋の顔がもっと見たくて、座っている半屋の頬を両手で包んだ。
「放せ」
オレは思い出した。
まだ細かいところはまったく思い出していないが、一番大事なこと、オレがオレであるために一番大事なことは思い出した。
「半屋」
半屋はオレの手を乱暴に払って立ち上がる。
「もういいんだろ」
そして、伊織にそう言うと、返事も待たずに消えていった。
家に帰ると半屋の荷物も半屋がここにいたという気配もすべて消えていた。いかにも半屋らしくて、独りでに笑みが漏れた。
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