次の日は伊織の家で朝から古武術の基本を習った。教えてくれたのは伊織だった。伊織も高校を休んだらしい。どうやら以前のオレというのは相当恵まれた人間だったようだ。
半屋は見学するだけのつもりだったようだが、伊織に言われ(どうも半屋は伊織が苦手のようだ)道着に着替えた。
古武術独特の動きに始めは戸惑いを覚えたがすぐに馴れた。横で顔をしかめながら練習している半屋にアドバイスをすると、「あっち行け」と怒鳴られる。
半屋は真剣だった。こんなに簡単なのになぜだろう、と考えてからようやく自分の体がこの動きを覚えているのだということに気づいた。不思議なものだと思う。
「半屋さんはスジがいいけれど、空手のクセが抜けていないわ」
半屋は空手をしていたらしい。しかも相当の使い手のようだ。
半屋が基本を覚え終わると、伊織はオレ達で試合をしてみてはどうかと提案した。
「しねェ」
オレはそれも悪くないと思ったが、半屋は即座に断った。それを聞いて伊織がきれいに笑う。
「そう。ではセージ、私と試合をしましょう。始めに言って置くけれど、私が勝つと思うわ」
「半屋」
なぜ試合を断ったのか、オレは聞かなくてはならないと思った。半屋はいつでもオレと闘いたいと思っている、そう言ったはずだ。
「るせーな」
どうやらわけを話す気はないらしい。
「今のあなたに勝ちたくないんだわ。そうでしょう、半屋さん」
「ンなんじゃねェ」
半屋は強い口調で否定したが、それ以上なにも言わない。そしてオレはなんとなく伊織の言葉が半屋自身も気づいていない半屋の真意なのだということがわかった。
半屋はオレと、いや『本当のオレ』であるオレと闘うことを大切にしているのだろう。オレは強くならなくてはならない。そう思った。
結局試合は伊織と行うことになった。スピード、力、ともにオレがまさっていたが、宣言通り伊織が勝った。
「馴れればすぐに私には勝てるようになるわ」
汗を拭いながら伊織が言う。つまり馴れても半屋には勝てない、ということなのだろう。
「おい」
半屋は道場の壁に寄りかかり、やる気がなさそうにこちらを見ていた。
「何かしら」
「ンでこいつはダメなんだ?」
半屋はやる気のなさそうな表情を崩さない。しかし半屋の表情など何の意味もないものだということはオレにはもうわかっていた。半屋はその表情で自分の感情がごまかせると思っているらしいが。
「どういうこと?」
「思い出したらどうにかなるってワケじゃねーんだろ」
半屋はオレの試合を見て何か感じ取るものがあったらしい。もしかするとそれは『馴れても半屋には勝てない』という伊織の考えと同じことなのかもしれなかった。
「そうね……。半屋さんのことだけ思い出してくれるのなら、それが一番いいと思ったのだけれど―――そう都合良くはいかないのかもしれないわ……」
伊織はしばらく考え込んでからオレに向き直った。
「セージ。あなたは一番大事なことを思い出すのと、一番思い出したくないことを思い出さないことと、どちらを選びたいのかしら」
「オレは、」
「梧桐! てめェよく考えてからにしろよ」
オレが半屋を思い出すことを選ぼうとしたとき、半屋が鋭い声でそれを止めた。
「まだオレは何も言っていないぞ」
オレがからかうように言うと、気づいた半屋が顔を赤くした。バカな男だと思う。オレが半屋を選ぶのは当然なのだから、半屋がそう思っていたとしても、恥じる必要などどこにも無いというのに。
「半屋さんをからかってはいけないわ。よく考えて欲しいというのは確かなの」
何も知らないのだから、考える材料など無かった。仕方がないのでオレは半屋に聞いてみることにした。
「貴様はどっちがいいんだ?」
「オレは関係ねェ」
「オレは貴様のものなのだろう? 関係ないはずがない」
「……だから何なんだよ、それは……」
半屋は眉間にしわを寄せて、イヤそうに吐き捨てた。
「半屋さん。半屋さんはどちらがいいと思うの?」
半屋は眉間にしわを寄せたまま、しばらく答えなかったが、オレと伊織が答えを待ち続けると、観念してぼそぼそとしゃべりだした。
「ホントに思い出さねぇほうがいいことなんだろ?」
「ええ。私は思いだして欲しくないわ」
「なら別に―――」
「でも、そのままなら半屋さんのことも思い出さないでしょうし―――『ダメ』なままだと思うわ」
「どっか別んトコ行けば―――」
「どうにかなるんでしょうけど、『梧桐勢十郎』は還ってこないわ。半屋さんはそれでもいいのね?」
「ああ」
「だそうよ、セージ。セージはどうしたいの?」
オレはもう一度考え直した。伊織は嘘はつかない。伊織が思いだして欲しくないというのだから、それは本当のことなのだろう。そして、オレがそっちを選んでもとがめる人間はいない。
しかしオレは思い出したかった。どんなにひどい記憶でもそれはオレの記憶なのだ。そしてオレは―――半屋のことを思い出したいと思っている。
「オレは思い出したい」
オレがそういうと、伊織は柔らかく微笑んで、「それだったら考えがあるわ」と言った。
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