次の日、半屋にたたき起こされてついた食卓には、オレの好きそうなものばかりが並んでいた。しかもかなり量が多い。手の込んだものはまったくなかったが、朝から半屋は大変だったのだろうというのは簡単に想像がついた。
「すぐ出るんだからさっさと食え」
入院生活中に自分の好みの傾向には気づいていたが、今、目の前にあるものは傾向が同じというのではなく、まさに自分の好物はこれだろう、と実感できるものばかりだ。
「なにしてンだよ。早く食え」
しかしどうも半屋の様子を見ていると、記憶を取り戻させようとして好物を並べた、という訳ではなさそうだ。ならばこれは今まで繰り返された日常なのだろう。
「肉とレバー……」
オレにとってはおいしいのだろうということはわかっていたが、わざとそうつぶやいてみる。
「ア? てめェが作れって言ったんだろうが。てめーの好みまで忘れちまったのかよ、バカが」
すると思った通りの答えが返ってきた。
半屋と会ってからまだ一日と少ししか経っていないが、オレにはわかったことがある。
この男はオレのものなのだ。少なくとも以前のオレはそう思っていたはずだ。間違いない。
絶対に裏切らないことがわかっていたから、それをいつでも確かめていたくて、わがままを押しつけていたのだろう。
半屋がオレの大事な人間であることも、半屋がオレのものであることも、そして多分オレが半屋のものであるということも、理解はできる。さまざまな状況から考えてそうであるだろうと理解はできるのだが、実感が伴わない。心の底から自然にそう思うことができないのが悲しかった。
朝食の後、半屋はオレを共に過ごしたという小学校へつれていった。
平日の朝だ。半屋も学校へ行かなくてはならない。そう言おうとすると、無理矢理言葉を遮られた。オレのために学校をさぼらせるなどあってはならないことだ。そう言おうとすると、「てめェのためなんかじゃねェ」とすごい剣幕で怒鳴り返された。
うやむやのうちに時間が過ぎ、結局オレが折れることになったのだった。
「だめか」
「ああ」
半屋はただそれだけ確認すると、それ以上それについては何も言わず、オレが何も思い出すことのできない小学校を後にした。小学校の頃の思い出を聞いてみたいと思ったが、その思い出を共有することのできない自分を見つめるのは怖いと思い、聞くのをやめた。
半屋とオレとは小中高と同じ学校だったそうだ。そして今日は小学校と中学に行くのだ、と半屋は言った。
「高校は……日曜も人がいるだろうしな。夜中にでも行くか」
何も言わないが、半屋はオレをオレを知っている人間と会わせたくないようだった。そして必死でオレの記憶を取り戻そうとしている。
オレは伊織が言った半屋のことだけ思い出せばいいという言葉を信じていたから、なぜその半屋がオレの記憶を取り戻すことに必死なのかがよく理解できない。
歩いている途中に小さな公園があった。ここは多分あの写真に写っていた公園ではないだろうか。あの、半屋がオレを見つめていた写真。その後ろに写っていたのは、この公園だった。
「入るか」
オレは公園を歩き回り、あの写真と同じ角度を見つけようとした。
あの写真は脳裏に刻みついていたので、その場所はさほどの困難もなく見つけることができた。
しかし、半屋の記憶が残っているはずの場所に立っても、オレは何も思い出すことができない。
「てめェ急にどうしたんだよ」
半屋の表情には期待も落胆も表れておらず、オレは安心する。
「いや……。この公園にはよく来たのか?」
「てめェはよくここでギャーギャーわめいてたぜ」
「お前は? お前はどうなのだ」
一瞬不自然な間が空き、
「別に、来たことがねェわけじゃねーよ」
と、ぼそりと言った。それはきっとオレとの記憶なのだろう。その記憶をオレが持っていてやれないことが哀れで、オレは記憶を取り戻す決意を固めた。
そのとき、強い風が吹き、オレは乱れた髪をかきあげた。
半屋はその様子を何を考えているのか読めない無表情でじっと見つめていた。
「何だ?」
「いや」
半屋はあわてて視線をはずした。その仕草で半屋がオレの髪型を見ていたのだと気づく。
「おかしいか」
「いや……、似合ってる」
その言い方はあまりに自然だったから、それが半屋の本心ではないのだと、半屋に気遣われるほどオレは弱く見えるのだと気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。
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