浄火1  
  浄火1  




 梧半編です。前提となっているのは「お互いを必要としあっているのに、未だそれを口に出したことがない梧桐と半屋」。




 もうすぐ退院だ、という時期になってもオレのいる病室に新しい見舞客は来なかった。きっとオレには友人などはいないのだろう。それとも見舞客が少ないのはオレの病状のせいなのだろうか。
「セージ、気分はどう?」
 オレの着替えを持って現れた女はこの一週間で見慣れた女で、伊織というオレの幼なじみだった。
「悪くはない」
「そう。明日退院だから荷物をまとめておいてね」
 今までこの部屋に来たのはこの伊織と伊織の父だけだった。二人ともあまり多くを語らない。そして『過去に基づく親しさ』を決して感じさせない。だからオレは、オレの記憶が根本からなくなっているという事実を、単なる事実として受け入れることができた。

 何も思い出せない。それでもオレがここにいるのは確かで、そのオレをそのまま支えてくれる。その態度で、彼らが自分にとって他人ではないことはすぐにわかった。だから結局オレはまだかつてのオレを知っている他人と会ったことがない、ということになる。


 横に座る伊織と会話があるわけでもなく、オレは伊織の持ってきた本を読んでいた。その本は確かに面白く、伊織がオレの趣味を知っていることが伝わってきて、奇妙な気がした。
「もうすぐ来るわ」
 伊織はそれ以上何も言わなかったので、オレはまた伊織の父が来るのだろうと思った。だから気にせずに本を読み続けた。
 ちょうどページをめくろうとしたとき、突然戸が乱暴に開けられた。
「よう」
 そこに立っていたのは白い肌と琥珀色の瞳を持つ、伊織とよく似た外見をした男で、オレは伊織の兄が来たのだろうと判断した。
 その男は入り口に立ったままオレを強い瞳で見つめると、
「ホントみてェだな」
とつぶやいた。

「セージ、この人は半屋さん。あなたの一番大事な人よ」
「アァ?」
 半屋は伊織の言葉に顔をしかめると、小さな声で「それはあんただろう」と言った。
 伊織はそれを聞かず、
「他のことはどうでもいいから、半屋さんのことだけは思い出してね」
 と続けた。
 どうやらこの男は伊織の兄ではないらしい。その上、オレの一番大事な人間であるらしい。この一週間で、伊織が決してオレに対して嘘をつかないということはわかったから、オレはその言葉をそのまま受け入れた。
「そうか。わかった」
「てめェ、なに言ってンだよ……」
「貴様がオレの一番大切な人間なのだろう?」
 オレはこの半屋という人間のことも、まったく思い出せない。しかし、そのことに不安はなかった。伊織の言葉は絶対だ。オレは半屋のことだけ思い出せば良いのだろう。そう思いながら半屋を見た。
 色素が少ないのか、青ざめたように白い肌と琥珀色の瞳をしている。髪は銀色に染めて、片眉と両耳にピアスをしている。そして制服のシャツの合わせ目から少し刺青がのぞいていた。
 一見すると行きすぎた不良のような外見だったが、それよりまるで自分を傷つけているように見えるのが不思議な気がする。
 半屋は怒ったような赤い顔になり、「くだらねーこと言ってンじゃねェ」と吐き捨てるように言った。
「で、これからこのバカどうすんだよ」
「それは半屋さんに決めてもらいたいのだけど」
「ア?」
「セージは半屋さんのものだから、今後セージをどうするかは半屋さんに決めてもらいたいの」
「……っにわけわかんねェこと……」
「半屋さんは知らなかったかもしれないけど、私とセージは知っていたわ。セージは昔からあなたのものなのよ」
 伊織は今まで必要最低限しかオレの過去について語らなかった。多分、それは半屋が来るまで待っていたからなのだろう。オレはそう思いながら彼らのやりとりを見ていた。
「だから半屋さんが決めて。セージをこれからどうするのか」
 伊織は淡々と事務処理をするような口調で話した。そこに何の感情も見いだすことができないが、オレには伊織の選択がオレにとって一番良いものなのだ、ということはわかっていた。
「さっきからのあんたの妙な話は聞かなかったことにする。
 ……ただ、このバカの面倒はオレが見る。それでいいんだな?」
「そうしてもらえると助かるわ。これ、セージの家の鍵なのだけど、もしかすると半屋さんはもう持ってるんじゃいかしら」
 半屋は居心地の悪そうな表情をした。
「そう。ではこれは私が持っているわ。必要なものは私がそろえるから、セージをお願いね」
「明日からか?」
「ええ。できれば。……大丈夫かしら?」
「わかった」

 伊織と細かい打ち合わせをした後、半屋はオレをじっと見つめた。
「なるほどな」
 半屋を忘れたオレを責めるわけでも悲しんでいるわけでもないその表情からは、半屋がオレの『大切な人』である証拠を見つけることができなかった。
「何がなるほどなんだ」
 ただ、オレにとっては初めてだというのになぜか半屋との会話は簡単だ。そしてまったく気を使われていないのが心地よく感じられる。
「いや、てめェから記憶をぬくと、こんな感じになるんだなと思っただけだ」
 この男は伊織とは違って『他人』だ。しかし、どうしても初めてあった人間として気を使ったりする事ができない。それがオレの性格なのかもしれないが、多分半屋がオレの大事な人間である、というのは事実なのだろうな、と漠然と感じていた。   

 




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