校舎の五階には各教科の資料室や視聴覚室があって、薄暗く、埃くさかった。五階だというのに湿り気を含んだような居心地の悪さがある。人気も感じられない。
「ここはねぇな」
半屋はこの階をろくに見もせず、降りてゆこうとする。
「半屋君、キスしていい?」
「あ?」
「キスしたい。だめかな?」
自分は何をしているんだろう。八樹は半屋に気づかれないように自嘲した。
「…家に帰ってからにしろ」
半屋は顔をしかめながら言った。
昔の自分だったらすごく嬉しかっただろうな、と八樹は思う。今だって嬉しい。でも、なんだろう、それが自分に言われているような気がしない。
「今したい」
半屋は仕方ないという表情をした。それにつけいるように口づける。
好きでたまらない人と口づけているというのに純粋な高揚はなく、ただ何かを傷つけ、壊しているような気がする。
口づけを深めようとすると、半屋が八樹をつきとばした。
「こんなトコで何考えてんだてめぇは」
半屋は優しい。
でもたぶん半屋は別に優しい人間ではない。きっとかつての自分の前で、こんなにわかりやすく優しかったことはなかっただろう。
だからだろうか、半屋が不器用な優しさを見せてくれるたびに、いいようのない苛立ちを感じる。
「半屋君、しようよ」
秘密めかしてささやくと、半屋は一瞬八樹をにらんだ。
「家に帰ってからにしろつってんだろ」
まともに悪態をつくこともできないんだな、と八樹は妙に冷えた気持ちで分析した。優しくて悪態もろくにつけなくて―――きっとこうあってはいけない人なのに。前の自分なら半屋に気を使わせたりせず、そのままの半屋とつきあえたのだろう。でも今の自分はダメだ。何が違うのだろう。その不安さえ、半屋にたたきつけたくなる。そんなことをしたらますます駄目になることはわかっているから、その衝動はどうにか抑えた。
「ここなら誰もこないよ」
「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ。こういうトコは鍵なんかねぇんだよ」
「大丈夫だって。ね?」
半屋は八樹から視線を外し、資料室のドアを見比べた。
八樹が自虐的な気分のままに吐き出した言葉さえ、半屋は受け入れてしまう。このドアのどれかを選べば、半屋はついてくるだろう。
八樹は小さく笑った。自分が何をしたいのか、どうしたらいいのかがまるでわからない。好きなのに。この気持ちだけは本物なのに。
「どうすんだよ」
「…冗談だよ。ごめんね。そろそろ戻ろうか」
半屋は眉をひそめた。でも何も言わなかった。
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