なにかを拒絶されている気がした。それがなにかがわからず焦りばかりが募る。
さっきまでは自分のものだと―――そう感じていられたその人が急に遠くなった気がして、せかされる気持ちのまま八樹は謝罪を口にした。
「ごめん、俺、前に君にひどいことをしたって…」
すがるように伸ばしてしまった手を半屋は拒絶するようにはじき返し、大きな瞳で八樹を見つめた。
その瞳はガラスのように無機質に光っている。
なにも感情が読みとれない、そんな表情のはずなのに、八樹は自分が今、半屋の中のとても大切なものを砕いてしまったことを知った。
「てめェは、ホントに…」
そして半屋は消え入りそうな声でつぶやき、なにかに耐えるようにきつく目を閉じた。
『本当に『八樹』じゃないんだな』―――半屋が言えなかった言葉が八樹の中にこだまする。
「半屋くん…」
何がいけなかったのだろう。
でももう取り返せない。このままでは半屋は二度と八樹を見ない。
そうして初めて気づく。
今まで半屋は確かに自分に何も言わなかったけれど、自分の前にも現れなかったけれど、ずっと自分のものでいてくれていたのだ。半屋自身も気づいていなかったにせよ、今まではずっとそうだった。しかし―――。
半屋はきつく閉じていた目を開き、「帰る」と小さな声で言った。
「半屋君、待ってよ」
このまま半屋を行かしてはいけない。でも半屋は八樹の手をすり抜けていく。
「待って。行かないで!」
八樹が叫ぶと半屋は振り返り、初めて恋人を見る瞳で八樹見た。
「八樹―――」
「いやだよ、いやだ。そんなの認めない!」
こうやって側にいると、この目の前の人こそが自分の一番大切な人間だということがわかる。
なにも思い出せないままなのに、まるで空気のようにその存在がしっくりとなじむ。だから、今、彼が言おうとしていることもすぐにわかった。
「いやだ、半屋君。俺をあきらめないで…!」
八樹にはもう自分が何を言っているのかわからない。ただ、半屋が八樹を『八樹』だと思わなくなって、静かに身を退こうとしているのが耐えられなかった。
「思いださなきゃ駄目なら、がんばって思い出すから。足りないことがあるなら努力するから。だから―――俺をあきらめないでくれ…!」
八樹は自分を見つめている半屋を激情のままに抱きしめる。もう、さっきまでの甘い考えはどこかに吹き飛んで、ただみっともなく半屋にすがりついた。
「いかないで…! 好きなんだ。半屋君じゃなきゃ駄目なんだ。俺を見捨てないで。俺を見てよ。頼むから半屋君―――!!」
半屋はすがりつく八樹の腕に軽く手を乗せた。
「なあ…なんでてめェはそんなこと言うんだ…?」
その声は妙に落ち着いていて、八樹は漠然とした不安を感じた。
「なんでって…。だって半屋君なんだろ? 俺の恋人は君だったはずだ。わかるんだよ、それだけはちゃんとわかるんだ。だから―――」
自分のなかの気持ちをうまく言い表すことができず、言葉を探しているうちに、半屋はあきらめにも似た表情を浮かべた。
(違う―――違うんだ!)
自分の気持ちをうまく伝えることができていない。それはわかっているのに、
「黙れよ。もうわかった」
そう言って半屋は八樹の体に腕を回してきた。
「てめェはなにも覚えてねぇのに…放っといて悪かった」
「なんで?なんでそんなこと言うの? 半屋君は何も悪くないよ。ねぇ半屋君、俺は、俺は…」
違う。何かがずれている。それはわかるのに、それが何なのかがまるでわからなかった。
「黙れっていってんだろ」
自分の体にまわされた半屋の腕は優しくて、八樹は自分が最悪の選択をしたことを知った。
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