いさめにきみを13


 八半編です。前提となっているのは「『世界は二人のために』と言いたくなるようなラブラブ甘々八半」。

 


 彼が入ってきた瞬間、周りの景色が消え落ちて、世界が彼だけになるのを感じた。そうやってしばらく見つめていると、彼が『まわりを見ろ』という視線で八樹を見た―――ような気がしたので、あわてて我に返る。半屋が八樹を見たのはその一瞬だけで、あとは相変わらず全く関係ないような顔で八樹を無視している。

 その人が半屋だと気づいてから、彼に会うのは初めてだった。なんで今まで気がつかなかったのか不思議なぐらいに、そこに存在するのは自分の大切なひとそのものだ。見ているだけで心臓がうるさいほど動きだしている。
(あ…。結構かわいいんだ…)
 丁寧に生えている色素の薄いまつげ。きれいな薄茶色の大きな瞳に、きめ細やかな白い肌。なんで今まで気づいていなかったのだろう。その容姿も気質も八樹を惹きつけてやまない。

 この人はまだ自分を好きでいてくれるのだろうか。それが訊きたくてたまらなくなる。
 だって、さっき彼は八樹を他人ではない目でみたではないか。八樹が半屋だけを見つめていたときに、とがめるような視線を送ってきた。あの一瞬だけ、彼は他人ではなかった。
 ならなんでこんなふうでいなくてはいけないのだろう。半屋は八樹と他人だという演技を続け、八樹は半屋に話しかけることができない。
(男同士だから…? 君は後悔しているの? …なかったことにしてしまいたいの?)
 今、ここで半屋をつかまえて問いつめてしまいそうだ。

 八樹が何も聞いていないでいる間にも盗撮犯をつかまえるという計画は進んでいるようだった。
「貴様はミユキと女子トイレを回れ」
 梧桐が居丈高な声で半屋に命令をしている。
「ンだと? ふざけたこと言ってんじゃねーぞ」
「嬉しいか、サル」
「てめェ…」
 半屋が拳を握りしめ、梧桐に殴りかかろうとしていた瞬間、八樹はそれを止めるように話を挟んだ。
「その組み合わせだけど、変えてもらう事ってできないかな?」
 半屋と梧桐の様子を見ていたら、まるで自分一人取り残されているような気分になった。だからだろうか、別に言うつもりはなかったことが口から滑り落ちる。
 組み合わせを換えてもらいたい理由ならあるはずだから大丈夫だ。自分は半屋に話さなくてはいけないことがあるのだ。『拒絶してやってくれないかな』―――それを忘れているわけではない。
「わかった。貴様はサルを連れて第一校舎から第三校舎まで見回れ」
 まるで八樹がそう言うことを予想していたかのように、なめらかに梧桐が言った。
(…? なにかおかしくないか?)
「ねー、せーちゃん。私はー?」
 しかし梧桐の態度に感じたわずかな違和感は、明るいミユキの声にかき消されてしまう。
「貴様は伊織をつれていけ。中まで入る必要はないが、やむをえん場合は入っても良い」
「はじめからそう言えばいいのに」
 そう言ってクリフは外人らしく肩をすくめる。
「なんか言ったか?」
 梧桐は強い声でクリフの軽口を打ち消した。

 たぶん梧桐は始めから伊織とミユキを組ませるつもりだったのだろう(なんといっても女子トイレだ)。ただ、もしかすると自分の動きを読まれているかもしれない、という不快感が湧いてきた。
(考え過ぎか…?)
 どうもこの梧桐という人間に対しては、針で引っかかれたようなちりちりとした不快感がつきまとう。


 結局、男性陣は手分けして校舎のパトロール、ミユキと伊織は女子柔道部の手を借りて更衣室やトイレなどの点検と決まった。

 放課後、再び生徒会室に集まった後、それぞれの担当場所に分かれる。
「じゃ、僕たちはこっちだから。生徒会室に五時半に集合だよ。忘れないようにね」
 クリフはそう言って手を振って去っていった。
 そしてついに半屋と二人きりになる。話したいこと、聞きたいことがたくさんあるのに、何も話すことができない。ただひどく緊張して、たとえ記憶を失う前を入れたとしても、生まれてから一番緊張しているに違いないと思った。

 案外おとなしく横を歩いている半屋は、何も関係ないような表情をしているが―――なぜ八樹が組み合わせを換えて欲しいと思ったのかを訊いてはこない。
 それに梧桐が組み合わせをかえるとき、梧桐は八樹は何も言わなかったというのに、半屋とくませた。なのに半屋はそのことに全く疑問を感じていないようだ。
 どちらも不自然で、彼が演技をしていることの裏付けにしかならない。
 
 「半屋君…の好きな食べ物って何?」
 第一校舎へと続く緑道へは、木漏れ日が降り注いでいて、こうやって二人で歩いていると、すべてを許されているような気がしてくる。
 自分が彼を忘れてしまっていることも、今までひどい態度をとり続けてきたことも、拒絶してくれと言われていることも全部許されて、彼ともう一度やり直せるような気になってくる。
「はぁ?」
「だから…食べ物」
「ねーよ」
「…じゃ、嫌いな食べ物って?」
「別にねぇ」
「ええと、じゃあ半屋君の好きな場所ってどこ?」
 本当に訊きたいことが思考のほとんどをしめていて、頭がうまくまわらない。半屋君は俺のことをまだ好きでいてくれるの。なんで何も言ってくれないの…―――訊きたくてたまらない。
 気をつけていないと、半屋をつかまえて問いつめてしまいそうだった。それに、こうやって隣にいるだけで緊張して心臓がうるさくて、自分で自分のコントロールをしようにもおぼつかない。
 なにか起こらないだろうか。自分から言うことはできなくても、半屋の方から動きがあればそれで許されるはず。早く、何か起こってくれるといい。
 ところが。
「…用がねぇなら帰る」
 いきなりそう言うと、半屋はまるで八樹がそこにいないかのように、今来た道を同じ速度で引き返した。
「まって…!」
 八樹は必死に手を伸ばし、半屋の腕を握りしめた。
「俺、君に謝らなくちゃいけないことがあるんだ…!」
 だから行かないでくれという懇願じみた言葉を、半屋はどう思ったのだろう。不審げな、こんなときまで無表情な瞳で八樹を見上げている。
「てめぇが謝ることなんて何もねーよ」
 そう吐き捨てるように言って、半屋は八樹の腕を振り払った。


 

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