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「……っ……つき! やつき……っ!」
誰かが誰かを呼ぶ真剣な声。心から絞り出すようなその叫び声が、彼の一番始めの記憶だった。
(大変なんだなぁ……)
彼はその声を聞きながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
一番大切な人を失う恐怖に塗りつぶされた声。
(ドラマかなんかなのかな。だとしたらすごい演技力だよな……)
それにしても一体自分はどこで寝ているのだろう。彼はまったく見当がつかなかった。たぶん寝ぼけているのだろう、自分がいつ、どうやって寝たのかまるで思い出せない。
「や……つきっ! 目ェ開けろよ……!」
その声に続けて誰かがたしなめる声。その後、そばで誰かが何かを振り払う気配がした。
「っつき……目、開けろ……なぁ……」
(あ、泣いちゃうのかも。でも……)
さっきから聞こえ続ける声は相手のことしか考えてないような、聞いている方が切なくなってくるような声で。
(なんだかうらやましいよなぁ……)
そんなことを考えながら、彼はまた眠りに落ちていった。
次に意識が浮上したとき、薄目を開けた先に、泣くのをギリギリでこらえている、見捨てられた子供のような表情が見えた。
(誰……だ……?)
しかし、きちんと目を覚ましたときにはそんな表情をした人間はどこにもいなくて、隣にいたのはなぜかひどく怒っている、一見して不良とわかる少年だった。
彼は状況がつかめなくてあたりを見回した。彼のいる部屋は白い広い部屋で、白い布でできた衝立(ついたて)や、よくわからない機械が置かれているのが見える。奥には白衣を着た人間も見えた。
(救急か……?)
どうやら彼はなんらかの原因で救急に運ばれてきたらしい。もしかすると隣で彼を見ている見慣れぬ少年は事故の加害者かもしれない。
しばらく彼がぼーっとしていると医者が近づいてきて、その少年にぶつぶつと文句を言った。CTの結果にもなんら異常はなく、脳波から見ても単に寝ているだけで騒ぎ立てることではない。医者の言った内容は大体そんなことで、彼はそれが自分の診断結果なのだろうと判断した。
言われてみれば彼の寝ている場所は救急の端のベッドで、どうも救急性の低そうな場所だった。
「ったく、人騒がせなヤローだ」
一通り医者から小言を言われた後、少年の口にした言葉は内容とは裏腹に安心感がにじみ出ていて、彼はなにかおかしいな、と思った。見知らぬ人間に救急に付き添われて、そんなこと言われながら安心される筋合いはない。それともこの不良のような少年は異常な心配性か何かなのだろうか。
「連絡してくる。てめェはそこで寝てろ」
そういうとその少年は立ち上がろうとした……が、くにゃくにゃと床に転がってしまった。
(は……?)
少年は床から彼を上目遣いに睨みあげた。頬のあたりが赤く染まっている。
「……っに見てんだよ」
普通は見るだろう、と彼は思う。
「ああ、安心しちゃったんだね」
横にいた医者が笑いながら少年に手を貸した。少年はできる限りその手にすがらないように立ち上がると、すごい勢いでその部屋から消えていった。
(一体……?)
「いやぁすごいねぇ」
医者は少年の消えた方角を見ながら笑った。
「はぁ……」
医者が不思議そうな顔をして彼を見た。
「まだ気分悪いの? もう大丈夫だとは思うけど、念のためしばらく休んでいきなさい。入院する必要はないよ」
「あの……何があったんですか?」
「ああ、覚えてないのか。あの子をかばって階段から落ちたんだよ。頭を打ったそうだけど検査の結果は異常がないし、時間も随分経過してるし大丈夫。それにしてもよく寝てたね」
だからあの少年はそばにいたのか。あの少年は事故の加害者なんかではなく、自分の恩人が目を覚ますまで心配で待っていた、というわけだ。外見で人を判断してはいけない。
そうしている間に少年が帰ってきた。やけに白い人だな、と彼は思った。白いし髪は銀色だしピアスはじゃらじゃらしているし。しかもあの服の合わせ目から少し見えてるのは刺青じゃないか?
(なんだかかかわりたくないなぁ)
どうして自分はあんな不良を助けてしまったんだろう。
彼が悩んでいると、
「もう大丈夫なのか?」
とその少年が言った。
(やっぱり怒ってるように見える、けど)
「多分」
「そうか」
普通、助けてもらってありがとうとか、そういう言葉が続くんじゃないのかな、と彼は考えた。
少年は目を伏せて、なにやら言いあぐねている様子だった。彼の方を時々伺って、混乱に包まれた表情をしながらも、しばらく何も言わなかった。
「……そろそろ帰るか」
(あれ?)
帰る、と言われて思い浮かぶ家がない。そこに住んでいる人がわからない。
(……?)
何もない。様々なことが真っ白で、何も浮かんでこない。
「八樹? てめェ……怒ってる、のか?」
少年はまだ混乱したような表情のまま彼を見ていた。
(あれ?)
自分の家はどこだろう? 自分の家族はどんな人だろう。自分の通っている学校はどこだろう。それよりなにより、自分はどういう人間なんだろう。
(おかしい)
彼は頭を両手で押さえて、軽く振ってみた。何も出てこない。
しばらく考えてから、彼はベッドの横に立って彼を見ている少年に声をかけた。
「あのさ、悪いけど医者を呼んできてくれないかな。俺、何も思い出せないんだ」
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