てんぷらそうす

※天才がかなり壊れています。ご注意を。

 授業の合間の十分休み。菊丸は暇つぶしに不二の席に近づいた。
「あれ? 不二、なんか機嫌いい?」
「今日の夜、裕太が帰ってくるんだ」
「あー、なるほどねー」
 いつも何を考えているのかよくわからない友人だが、弟の話になると途端に表情が読みやすくなる。
「不二って本当にブラコンだよなー」
「そうだね」
 自分の兄弟も仲がいい方だとは思うが、不二のところほどではない。
 兄たちに誰かがブラコンかどうかを尋ねたとして、不二みたいに自分はブラコンだと言い切るだろうか? いや、自分はブラコンだとか英二はかわいいとか言うかもしれない、あの兄たちならば。
 そう考えてみると、異常に見える不二のブラコンもたいしたことがないのかもしれない。なにせ菊丸自身は弟だから、あまり兄とかいう人種の気持ちはわからない。
「もし裕太君に彼女とかできたらどうするの?」
「彼女なんかできないよ」
 不二は少しムッとしたようだ。
「わかんないよー。だって裕太君ってスポーツ少年って感じだから、女の子にもてそうじゃん」
「男子校だし、寮生活だから女の子となんか知り合う機会がないよ」
 すごい。断定してる。こりゃあ本当に彼女が出来たりしたら大変だろうなと菊丸は思った。邪魔しまくったり、嫌みを言ったりしそうだ。普段、すべてに本気ではない分、本気の不二はとても怖い。
(絶対見たくないなー)
 菊丸はまた自分の兄弟達のことを考えた。自分に彼女が出来たとしたら、みんな大喜びだろう。だいたい菊丸自身、姉や兄に恋人が出来ても、うらやましいだけでなんとも思わない。
(裕太君はどうかなぁ)
 不二に彼女ができたら、口には出さなくても寂しがるのかなとか考える。どうもやっぱり自分の兄弟とは違う関係のようだ。
「でも寮ならさ、そっちの方も心配じゃない?」
 わかりやすく機嫌の悪い不二が面白いので、菊丸はもう少し話を続けることにした。
「そっちって、何」
「ほら、あのルドルフのマネージャーとか、ちょっと女っぽい感じだったじゃん。ビショーネンっていうの? 男子寮だとはまりすぎ」
 姉が二人もいる菊丸の家には少女マンガが多いので、フリルのついたブラウスを着ている美少年が男子寮でどうこう………とかいうマンガも読んだことがあった。姉にムリヤリ読まされたのだ。
 ふと、バラを持ってフリフリなブラウスを着てベッドに寝そべる観月を想像して、菊丸は吹き出しそうになった。
(気持ちわるっ! でも、裕太君まんまと誘惑されちゃったりしてー、っと、そんなことになったら、不二すごく怒るだろうなー)
 しかし不二はまったく逆の心配をしだした。
「そうだね。言われてみれば裕太はかわいいんだから、寮暮らしなんて危険だよね。やっぱり家から通わせないと」
「かわいい?」
 そうマジマジと見たことはないから、不二と髪の色が同じだなとか、不二のお姉さんと似てるなとかしか思わなかったが、かわいかっただろうか。
 お姉さんと似てるなら美人系とは言えるかもしれないが、いかにも男の子という感じだし、そんなことを思ったこともない。
(あえて言うなら、ホンモノに好かれそうタイプ? だから寮だと危険は危険だろうけど―――)
「兄弟の僕でさえしてもいいかなって思うぐらいなんだから、野獣の群れに入れておくわけにはいかないよね。中学生の男なんて言ったら、そんなことばっかり考えてるんだし、高校に入ったら大人みたいなものだよ? 受験でノイローゼになっている男だっているだろうし……」
 不二は本気で悩み出した。今、不二の頭の中で展開している想像は一体どんなものなのか、考えるだけで恐ろしい。
「大丈夫だと思うよ、不二。ほら、裕太君ってどっちかっていうとかっこいいとか、そっち系だし」
(なんかどさぐさ紛れにとんでもないことを聞いたような気がするけど、聞き間違いだよな。うん、聞き間違い、聞き間違い)
「そんなことない。裕太はかわいいよ。寮か………しかも二人部屋なんだよ? 今まで考えたこともなかった。英二、どう思う?」
 例えば自分の兄が、英二はかわいいから襲われたらどうしようと、友人に相談していたらと考えてみる。
(それは絶対やだ! よかった。まともな兄ちゃん達で)
 今まで、兄に反抗して青学も家も出て行くなんて、裕太君ってあんなんですごい反抗的なんだなと思っていたのだが、もしかすると、出て行って当然?という気がしてきた。
「あのさ、不二。してもいいって、なに?」
 やっぱりどうしても気になっておそるおそる聞き返してみる。できれば聞き間違えであってほしい。
「兄弟だからね、本当に一瞬思っただけだって。だって裕太とせっかく仲直りしたのに、抱きつこうとすると逃げるし、キスしようとしたら嫌がるし。いっそ最後までしたらキスだってなんだってしてよくなるのかなって思っただけ。そんなことより、裕太が寮にいて平気だと思う? 女が全然いない上に中学生で二人部屋だよ。しかも体力の限界までトレーニングして夜中に一人で大浴場に入ってるとか言うんだよ。今、英二に言われるまで気づかなかったけど、かなり危ないよね? 今日帰ってきたら、絶対説得するよ」
 菊丸はとんでもないことを当たり前のように言う不二にびっくりしたが、不二はそれを別の意味にとったようだった。
「やだな、英二。キスって言っても、小学校の時してたのと同じだって。裕太があんなになっちゃて、しばらくしてなかったでしょ。せっかく仲直りしたんだから、ちょっと昔みたいにしたいなって思っただけだよ。だから僕、ファーストキスだってまだなんだから」
 だからその小学生のキスだってファーストキスのうちなんだって、と、菊丸は目の前の友人のズレっぷりに唖然とした。
 それに裕太があんなになってからはしてないって言うんじゃ最後にしたときは裕太が小六、いや、ギリギリで中一の可能性だってあるのだ。こんなんじゃ、裕太と最後までしたとしても、自分は童貞だとか言っていそうだ。
「不二のところの兄弟ってちょっと変わってるよね」
「そうかな、普通だと思うよ」
 ちょっと考えて菊丸は納得した。自分だって家の天ぷらにソースをかけるのがおかしいなんて知らなかった。だって家族全員、天ぷらにはソースをかけてるんだから。天つゆなんてものはお店で食べる天ぷらにだけ使うんだと思いこんでいた。
 きっとそれと同じ。不二は弟という言葉を、恋人とほとんど同じ意味で使っているっていうことに気づいてないんだ。だって、不二はそれが弟っていうものだと思いこんでるんだから。
 多分、初めて手をつなぎたいと思ったのも、初めてキスをしたいと思ったのも弟に対してなんだろうけど、はじめっからそうなんだから、不二にとってはそれが弟なんだ。
「英二、そろそろ授業始まるよ」
 変な話をしたとはこれっぽっちも思っていないらしい不二は、いつもの笑顔を浮かべていた。


 授業が始まって、数学の問題に詰まって菊丸はシャーペンを回していた。
(裕太君の方はどうなんだろう………)
 小さい頃は、自分たちの関係が異常だって絶対気づいていなかったのだと思う。
 今は――…。やっぱり気づいていない気がする。
 だって自分だったら、兄が自分の恩人をこてんぱんにやっつけたり、人前でさらし者にしたりしたら、絶対に許さない。
(自分が負けた相手を目の前でやっつけられるっていうのも、カチンとくるかも)
 でも裕太にとっては、そういうことをする人間こそが兄なのだ。
 そんな兄を見て仲直りだってしちゃっているわけだから、あの兄が異常だってことをわかっているとは思えない。
(こういう時ってなんて言うんだろう………末永くお幸せに? うん。それしかない)

(お幸せにー)
 菊丸は心の中でとりあえずそう言ってみて、もう一度シャーペンを回した。

                                                                                                                              


 世の中の人は、本当に天ぷらを天つゆにつけて食べているのでしょうか? 私には信じられないのですが、地方の異常な食生活みたいなコラムで、「なんと長崎の人は天ぷらにソースをかけるんですよ!」みたいなことが書いてあったので、多分異常なのでしょう(佐倉の祖母が長崎。三代延々とソース文化が伝わっているのですな)

 この周助さんと裕太くんはこの日の晩が危ないですね(笑)