当たり障りのない話をして、兄の買ってきてくれた昼食を食べて、あと少しで公開される話題の映画―――その映画は十年後の自分の持ち物だそうで、裕太はかなり不思議な気がした―――を一緒に見ていたりしたら、少し眠くなってきた。
「眠い」
「寝てみるかい?」
早く元の世界に戻りたいけれど、本当に戻れるのなら、せっかくだからもう少し色々知ってから戻りたいような気がする。
(でも知りすぎるのもインチキっぽいしな………)
そう思い、裕太はあまりインチキにならなそうなことを聞いてみることにした。
「…あのさ、なんでここに住んでんの?」
周助はここを周助と裕太の家だと言った。
初め聞いたときはパニックの最中だったし疑問に思わなかったのだが、改めて考えると、なぜわざわざ実家ではなく、こんな高級そうなマンションで暮らしているのだろうか。しかも周助と二人で。
「それも内緒じゃ駄目かな。裕太はどうしてだと思う?」
「どうしてって………」
十年後なんてまったくわからないものだ。
(二十三っていったら、たぶん大学卒業してるんだろうしな………どの大学行って何やってんのかもまったくわかんないし……駄目だ、まったくわかんねぇ)
「家が無くなった、とかか?」
裕太がそう言うと周助は楽しそうに笑った。
「大丈夫だよ。ちゃんとある」
「全然わかんねぇ」
「十年経ったらわかるんだからいいじゃないか」
「まあそうだけど………」
裕太が兄に口で勝てた試しはない。ましてこんな年上になってしまった兄なんかに勝てるわけがない。
「そろそろ寝る?」
「なんか目が覚めてきた」
「じゃあ夜ご飯のデリバリーを頼もうか」
兄はそう言うと、綺麗なメニューを見ながら電話をかけた。
おいしい夕食を食べて、もう一本映画を見て、そうしていたらさすがに本当に眠くなってきた。
「おやすみ」
「うん…」
寝るといってもただ寝るわけじゃなくて、元の世界に戻るのだから、この兄にはもう会えないのだ。
「今度会うのは十年後だね」
昔みたいに裕太に優しくて、今の、裕太の知っている兄とは少し違う。
この前、関東大会の決勝が近い兄から突然呼び出されて、夕暮れのコートで少し打ち合った。
それからなんとなくざわざわと妙な気持ちがして、決勝の前日、裕太は気がつくと家に戻っていた。励まそうとかそう思ったわけではなく、ただふと顔が見たくなった。
でも兄も自分も殆ど話さず、裕太はすぐに寮に戻った。
「あのさ、関東大会の決勝って―――覚えてるか?」
「関東大会? いつのだい?」
ああ、そうか。自分にとっては目前に迫った未来でも(裕太が戻った次の日は雨になってしまい、決勝は今週の日曜に延びた)、十年後の周助には遠い過去の話なのだ。
「いや、いい」
「ごめん。裕太は中二だって言ってたね。関東大会の決勝―――切原と闘った時だね」
「切原とだったのか?」
「ああ。切原とあたったよ。関東大会の決勝……… 裕太が帰ってきてくれた………」
兄はまるで独り言のように言った。何かを考えているような、思い出しているような感じだった。
「覚えてるのか?」
「覚えてるよ。忘れるわけがない」
「え?」
「嬉しかったからね。裕太がわざわざ帰ってきてくれて―――すごく嬉しかった」
そう言って兄は微笑んだ。
(兄貴、全然そんな感じじゃなかったのに―――)
あの時、周助はずっとビデオを見ていて、ただそれだけだった。
本当に嬉しそうにしている周助を見て裕太は少し恥ずかしくなって、ベッドに潜り込んだ。
「じゃあ寝るから」
「ああ。おやすみ」
そして裕太は眠りに落ちた。
目が覚めると、期待していた寮の天井ではなく、やはりあの豪華な部屋の天井があった。
「おはよう裕太」
ベッドの横で兄が―――十年後の兄が微笑んでいる。
「俺、帰れなかったんだな」
「みたいだね。ゆっくり寝れた?」
「ああ」
意外にショックが少なくて自分でも驚いた。戻りたいし、戻らなくてはいけないけれど、兄が側にいてくれたからだろうか、帰れなかったというショックが少ない。
(待っててくれたのかな?)
枕元の時計を見るともう十時だった。昨日は十時過ぎに寝たから、相当寝ていたことになる。
そんなに長い時間寝ていたのに、兄は裕太が目を覚ますまでここに居てくれたのだろう。
「支度が終わったら話をしよう」
「え?」
「しばらくこっちにいるんだろう? 覚えて貰わなきゃいけないことがいくつかあるからね」
「………ああ」
「大丈夫だ。僕に任せて。きっと―――元にもどれるよ」
どうやったら元に戻れるのだろう。裕太は呆然とした。
つづく