リ・バース4



「裕太、具合はどう?」
 電話から兄の声が聞こえてきた。今、裕太が頼ることができるのはこの兄の声だけだった。
「具合は別に悪くねぇけど…」
「………もしかして何かあった?」
 裕太がたった一言言っただけで、兄は裕太の様子がおかしいことに気がついたようだった。
 それだけで安心する。何が起こっているのかまったくわからないけど、周助だけは変わっていないのだと、そう思うことが出来た。
「別に………。兄貴、今年って何年だ?」
「今年? 20××年だけど……… 裕太、何があったのか教えてくれないか」
 兄は本当に心配しているようで、からかっている気配はない。20××年………本当に十年経ってしまったのだろうか。
「よく………わかんねぇ」
 本当に何がどうなっているのかわからない。教えてくれと言われてもうまく説明することもできない。
「わかった。すぐ帰るよ。それまで待って。いいね?」
 少し強い口調でそう言われる。
 まるで昔みたいだと裕太は思った。昔、まだとても仲が良かった頃、周助はいつでも裕太がしてほしいことをすぐにわかってくれた。


 電話を切って、裕太は部屋の中を見回した。少し待てば兄が帰ってくる。そう安心できて、少し周りを見る余裕ができた。
 よく見ると窓の外の景色も、裕太が知っているものと同じようで少し違う。大きな知らないビルがあるのだ。
(本当に十年後なのか?)
 夢ならばいい。起きたら寮のいつもの部屋で、朝練に行って―――そうだ、たまには兄に電話でもしてみよう。兄と暮らしている夢を見たなんて言うことはできないけど、でもたまには声を聞いてみるのもいいかもしれない。
(夢………だよな、こんなの)
 もし夢でなかったら、自分はどうなってしまうのだろうか。今はそれを考えたくなかった。


 しばらくして、兄が帰ってきた。
「裕太、何があったんだ」
 帰ってくるなりそう言われる。本当に急いで帰ってきたようだった。
「兄貴………」
 改めて見ても兄の姿が違う。見たことのない二十歳過ぎの―――でも周助だとわかる人間が、心配そうな顔で裕太を見ていた。
 その姿は夢にしては細部まできちんとしすぎる気がする。そう思いながら呆然と周助を見ていると、いきなりきつく抱きしめられた。
「僕に話せるかい?」
 きつく抱きしめられて、周助がとても心配してくれているのが伝わってきた。だから、裕太は話し始めることができた。
「昨日、寮で………」
「寮?」
「寮で…寝てたはずなんだ。今日も朝練があるから、早く寝ねぇといけないなって………」
 抱きしめられたまま話すのは恥ずかしい。裕太は兄の肩に頭を乗せるようにして、うつむきながら話した。
「ここ…どこなんだよ。なんで俺、こんなとこにいるんだ?」
 そこまで言ったら、強い感情の固まりのようなものが目に押し寄せてきた。こんなことぐらいで泣いてはいけない。でも、どうしていいのかわからなず、裕太はぎゅっと目をつぶってそれに耐えた。
「裕太…」
 周助に強く抱きしめられる。そして周助は裕太の体を離した。
「ここは僕たちの家だよ。ここに越してきてから一年ぐらいになる」
「そうか…」
「あまり使ってはないけどね。裕太、一つきいていいかい?」
「ああ」
「今………何年生だ?」
 周助からそうきかれて、裕太は少し驚いた。そんな当たり前のことをきかれるなんて思ってもなかった。でも、今の周助はそれを知らないのだ。
「中二…」
 周助はなぜか少しだけ顔を曇らせた。
「ルドルフの寮で暮らしてる―――そうだね?」
「ああ」
「僕は今二十四だ。裕太は二十三だった」
 そう言われて裕太は初めて、ここにも自分がいたのだということに気づいた。一年前からこの家に住んでいたという自分が、きっと昨日までここにいたのだ。
「俺はどこに行ったんだろう」
「え?」
「昨日まで俺はここに居たんだろう? そいつはどこに行ったんだろう」
「裕太はどうやってここに来たの?」
 周助はそれには答えず、別の質問をしてきた。
「わかんねぇ。寝てたらいつの間にか…」
「じゃあ、もう一回寝たら戻れるかもしれないね」
 そう言われて、裕太は安心した。
「戻れる………のかな」
「今日は眠くなったら寝た方がいいよ。僕でよければそれまでは付き合うから」
 そう言って周助は微笑んだ。その笑顔は少しだけ他人行儀な、よそ行きの顔に見えた。
(………でも十年も経ってるし)
 大人の周助の顔がただそう見えるだけで、多分、自分の思い違いだろう。
「兄貴は今、何してるんだ?」
「内緒にしとくよ」
「………なんでだよ」
「今知ったら面白くないだろう?」
 そう言って笑う表情は、以前の兄とまるでかわらなく見えた。


つづく