リ・バース3



 兄に口づけられたかもしれない―――そのどうしようもないほどの動悸がだんだん収まってきて、裕太はおそるおそる周りを見渡した。
 何度見ても知らない場所だ。
 でもこのままずっとベッドにいるわけにもいかない。裕太は勇気をだして起きあがることにした。
(あれ?)
 さっきからなんとなく気になっていたのだが、昨日着たはずのTシャツがなくなっている。
(え?)
 しかも見下ろせばズボンも別な物に変わっていた。
(駄目だ、まったくわかんねぇ…)
 何が起きたのかまったくわからない。自分には上半身裸で寝るような趣味はないし、こんなズボンは見たこともない。
 一瞬、呆然としかけてしまい、裕太は慌てて首を振った。とりあえず、今、自分はここにいるのだ。それがなぜなのかきちんと確かめなくてはいけない。

 周助が用意してくれたらしい服を羽織り、おそるおそる部屋を出て少し歩くと、広々としたリビングがあった。
 見たこともないような大きくて薄いテレビと、居心地の良さそうなソファーがある。整然としてはいるが、所々に読みかけらしい雑誌が置いてあったりもした。

 大きな窓から外を見ると、ここが裕太の実家とそう離れていないことがわかり、少しだけ落ち着いた。少なくともどこかまったくわからない場所というわけではない。なんでこんなところにいるのかは、まるでわからないが。
(そうだ、学校……)
 時計を見るともう十時だった。裕太は慌てたが、慌ててすむような時間ではないし、一応さっきまで周助がいたのだから、その辺はどうにかなっているはずだと思う。

(兄貴、か……)
 少し前に色々気持ちの変化があって、裕太はそれまで大嫌いだった兄のことがさほど嫌いではなくなった。
 だからといって、何をどうしていいのかわからず、とりあえず観月に言われるままに青学の試合を観戦しに行ったりもしたが、そこでもどう兄に接していいのかよくわからなかった。
 そばにいてもなんとなくぎこちない。何を話していいのかよくわからないけれど、どうしても意識してしまって存在を無視することもできない。
 周助の方も周助の方で、話しかけてはくるのだが、昔のように自然ではない。
(でも……)
 今日はなにか違った。
 もちろん見た目も違ったのだが、それだけでなく、裕太への態度が違った。
(自信があるっていうか……なんていうか……)
 キスをされたとかされてないとかは考えないことにしても、最近周助がするようになったおずおずとして腫れ物に触るような接し方とは随分違かった。
 最近の兄は以前と変わらないように振る舞ってはいるけれど、どう裕太と接していいのか戸惑っているように見える。ほんのわずかの違いだけれど、裕太にはそれがわかっていた。
(……そんなことより、今のことを考えねぇと)
 気がつくとつい兄のことを考えてしまうが、そんなことより自分が今なぜここにいるのかを考えることの方が大事だ。周助は自分達の部屋だなんて言っていたけれど、この部屋は本当は誰の家なのか、寮で寝たはずなのになんでこんなところにいるのか、学校はどうなっているのか。わからないことは山ほどある。

 しかしこの家を勝手に出るわけにもいかないので、わかることなんてほとんどない。仕方なく裕太はテーブルにあった新聞に目を落とした。
(……?)
 確かに今日の日付なのに、そこにはまったくわけのわからない記事が書かれていた。
(新聞なら……見てもいいよな)
 裕太はその新聞を指先で開き、中を確認した。
(え?)
 どの記事を見ても意味がわからない。スポーツ面には知らない選手の名前ばかりが踊っている。慌ててテレビ欄を見ると、ほとんど知らない番組ばかりで、中に少しだけ知っている番組のタイトルがあった。そこに書かれているタレント名もなじみがないものが多い。
 裕太はもう一度だけ日付を確認した。
 確かに今日の日付だ。でも―――
(20××年?)
 見間違えかと思ったが、確かにそう書かれている。
(なんで……俺……)
 どんなに見返しても、どのページにもそう書かれている。
 裕太は慌ててテレビをつけた。そこには新聞に書かれている通りの見知らぬ番組があり、見知らぬタレントと、そして―――知ってはいるけれど、年をとっているタレントがいた。
 自分はもしかしたら十年後の世界に飛んできてしまったのだろうか。
(……なわけねぇよな)
 でもそうとしか考えられない。テレビは見たこともない型だし、兄は成長しているし、テレビに映るタレントも記憶より老けている。
 もしかして誰かにだまされているのだろうか。でもいくら巧妙にしてもここまではできないような気がする。
(なんで……)
 裕太は自分が本当に十年後にいるのではないかと気づいて、愕然とした。そんなことがあるわけはない。でもそうでなければおかしいことが多すぎる。

 十年後―――
 昨日も学校に行ってその後部活をして、いつもと変わらない日を送っていたのに、なんでこんなことになってしまったのだろう。
(帰れる―――のかな)
 新人戦に向けてやらなくてはいけないことがたくさんあるのに、一体どうしたらいいんだろうか。
(夢かもしれねぇ)
 すごくはっきり起きているけれど、こんなことがあるわけない。とすればきっと夢なのだ。
(とりあえず寝よう)
 裕太は元の部屋にもどり、ベッドにもぐりこんだ。
 夢なんだから目が覚めたら寮のいつもの部屋のはずだ。もし夢じゃなくても―――寝ている間に十年後に飛んできたんだから、寝ればもどるかもしれない。
 戻りたい。いつものあの部屋に。自分の世界に。
 そう思って目をつぶったとき、ベッドサイドの電話が鳴った。
(兄貴―――?)
 そういえばさっき周助が電話をかけると言っていたのを思い出す。
 もうなにがなんだかわからない。子供の頃迷子になって兄に手を伸ばした時のように、その電話に手を伸ばした。


つづく