リ・バース2



 二度寝をすると、すっきりと目が覚める。
(どこだ、ここ?)
 高い天井。置かれている家具はいかにも高級そうなものばかりなのに、存在を主張しすぎることなく、居心地がいい。
(ホテル……か?)
 なんとなく海外のリゾートホテルに雰囲気が似ている。でもホテルの割にはところどころに私物らしいものが置かれていて生活感がある気がする。
「裕太、起きた?」
 ドアが開く音がして、兄が入ってきた。さっきのは夢ではなく、やはり兄がいるようだ。
「ああ。……なあ、ここどこなんだ?」
 自分は昨日、寮のベッドに寝たはずだ。昨日寝る前に聞いていたラジオの内容もしっかり覚えている。なのになんで、こんなところに移動しているのか、まるでわからない。兄がいるから、どうにかパニックにならずにすんでいるようなものだ。
「どこって、僕たちの部屋だよ。帰ってきてもう一週間になるけど……」
「一週間?」
「そうだよ。ちょっと疲れがたまってるのかな? 熱は……」
 そういいながら周助は、裕太に顔を近づけた。兄の顔が目の前にせまってきて、額同士が軽くふれあう。
 子供のような熱のはかり方をされて、裕太は文句を言おうとしたが、兄の顔があまりにも近いので、口を開くことができない。
 この年になってから、こんなに近くに人の顔があるのは初めてで―――兄の顔だというのに変に緊張する。
(キスとかってこんなのかな……)
 兄が少しでも動いたら、唇同士がふれあいそうで怖い。……そう思っていたら、なにか柔らかいものが唇に触れ、兄の顔が遠ざかっていった。
(今のって……え? まさか、違うよな?)
「熱はないみたいだね。でもやっぱり少しおかしいね。今日はゆっくり休んだ方がいい」
「い、今、お前、何したんだよ」
「熱をはかってたんだよ。なんかやっぱり今日の裕太は変だね。昨日無理をさせたかな。ごめんね」
 兄が心配そうな顔で裕太を見た。
 今、自分は兄に口づけられたのではないだろうか。それにしては兄は裕太をからかっているようでもなく、ごく自然な態度をとっている。
(―――あれ?)
 口づけられたのか、そうではないのか。表情から答えを探ろうと思って兄をよく見た裕太は、兄がどこかおかしいことに気づいた。
「兄貴、背がのびたか?」
「のびてないよ」
 改めて見てみると、そこに立っているのは裕太の兄ではなかった。整った顔をした、すらりとした体躯の男。淡い色合いの仕立てのよい服を着ていて、それを完全に着こなしている。
「兄貴?」
 自分の兄はまだ十四歳で、背もさほど高くなく、どちらかというと女顔で、未だにごくまれに女に間違えられることさえあるような、そんな人間だ。でも、じゃあここに立っている、この男は誰なんだ? 表情やしゃべり方は兄のものだが、声も少し違うし、背も体格も違う。何より、どう見ても二十歳は超えている。
「どうしたの?」
「兄貴……どうして急にふけたんだ?」
「ふけたかな? じゃあなにか努力しなきゃね」
 ……なんだろう。微妙に話が通じていない気がする。
 どうしていきなりここにいるのかもわからないし、何で兄が変わってしまったのかもわからない。いまされたのがキスなのかもわからないし……考えてみれば、さっきまぶたに触れたのも、兄の唇だったような気がしてくる。
「裕太、子供みたいな顔をしてるね。あんなこと別に気にする必要はないよ。誰も本気にしたりはしない」
 裕太には周助が何を言っているのかはわからなかったが、安心しろと言っているのはわかった。
 見た目は変わっているが、ここにいるのはやはり裕太の兄、不二周助なのだ。兄以外に裕太にこういう接し方をする人間はいない。
 そう思ったらひどく安心した。よくわからないことだらけだが、兄がいれば大丈夫だと思える。つい最近まで嫌っていたのに、やっぱりこんな時、一番頼れるのは兄なのだ。
「だめだよ、そんな顔をしちゃ。もうそろそろ出かけなくちゃいけないからね」
 そう言われ、また兄の顔が近づいてきた。そして―――
「行って来るよ」
 今、自分の唇に兄の唇が触れた。軽く触れて、すぐに離れていったのに、まだ唇に感触が残っている。
(キスじゃない、よな?)
 ただ唇同士が触れただけだ。なんかまだじんじんとしているけど、ただそれだけだ。だって、兄は全然気にもしていなそうだし、裕太をからかっている顔でもない。
「裕太?」
 今のことをまったく気にもしていない兄は、何かを待っているようで、少し不思議そうな顔をしている。しばらくその状態が続いて、裕太はようやく兄が何を待っているのかに気づいた。
「あ……。いってらっしゃい」
「行って来ます。あとで電話するから、ゆっくり休むんだよ」
 そのやりとりがしたかったらしい兄は嬉しそうに微笑んで部屋を出ていった。そして、出ていく前に裕太の額にまた柔らかい何かが触れた。


(……考えねぇようにしよう……)
 本当に考えなくてはいけないことは他にたくさんある。なのにどうしても、唇や額に残る感触のことが気になってしまう。
(なんなんだよ、これ……)
 そんなことを考えている場合じゃないのに、なんだか胸がどきどきとする。裕太は情けないのと、たった一人でこんなところに放り出された不安に泣きそうになった。


つづく