僕はいつでもキャンディを持っていた。
僕は小さい頃から、甘いものがそれほど好きではなかったから、そのキャンディは、ほとんど君のためのものだった。
君は昔からとても単純で、転んだら泣き、僕がいなくなると泣いていた。その頃、僕は君のことがあまり好きではなかったので、そばで泣かれてうっとうしくて、その大きく開いた口に、ぽんとキャンディを放り込んでいた。
すると、君は一瞬、苦しそうな顔をして、でも、口に入れられた何かに驚いて泣きやみ、しばらくして機嫌良く笑い出し、「にーちゃ、にーちゃ」と不完全に僕を呼ぶのだった。
なんて単純な生き物なのだろうと、僕はいつも呆れていた。
僕は弟想いの兄で、それを演じるのはとても楽しかった。
君はいつも僕につきまとい、すぐ泣くのでうっとうしかったが、キャンディ一つでどうにでもなる単純な生き物だったし、ただそうやって適当に接していれば、すべての人が僕をほめてくれた。
『周ちゃんはえらいわね』
そう言われるのは嬉しかった。すぐ泣いて僕のうしろに隠れてしまう君は、大人を戸惑わせるだけだったし、僕はそんな君をいつものようにあやすだけで褒められた。
なんて簡単なのだろう。僕はますます弟想いの兄になっていった。
君をとても大切にしながら、君のことを好きではなく、誰もそれに気づかない。僕はそれが楽しかった。
そうしているうちに、僕は君と遊ぶ方が友達と遊ぶより楽しいということに気づき始めた。
君が笑うと僕も嬉しくなったり、君が誤解されるとムキになってしまったり、気がつくと君の心配をしていたり。
やっぱり褒められるとうれしいし、何も気づかず僕の後をついてくる君はなんてバカなのだろうと思ってはいたけれど、誰かのためではなく、僕のために君と一緒に過ごすようになり始めた。そんな頃の事だった。
『周助!!』
今まで見たことのない顔で、僕から君を取り上げたのは、ほとんどその存在を気にもしていなかった姉だった。
『どうしたの? 由美子』
『どうしたのじゃないわよ。この子、裕太のことが嫌いなのよ!』
『何を言っているの。周助はいいお兄ちゃんじゃない』
『何でわからないの!』
姉はヒステリックに叫び、裕太を自分の部屋に連れて行ってしまった。
僕は何が起こったのかわからなかった。階段の途中から落ちた裕太が泣いてうるさかったので、いつものようにその口にキャンディを放り込んだだけだった。
ちょうど夏休みの頃だった。怒った姉は僕と裕太を遊ばせないようにし、しかも自分一人で行く予定だった従妹の別荘に、裕太も連れて行ってしまった。
『由美子もねえ、難しい年頃だから』
母はそう言い、姉さえいなくなれば裕太と遊べると思っていた僕の期待は裏切られた。
僕は覚えている限り、ずっと裕太と一緒だった。
裕太と離れることなど考えたこともなかった。
裕太の顔を見なくなってしばらくして、僕は裕太にあげるはずだったキャンディを食べた。
夏だから、キャンディは少し解けて、変な味になっていて、僕はそのキャンディを食べながら泣いた。
理由もなく泣いたのは初めてで、僕はそれがキャンディがおいしくないせいだと思いたかった。
裕太、裕太。
キャンディを食べたとたん、頭の中が裕太だけになって、僕はただ泣いた。
キャンディを食べ終わってしばらくして、僕は従妹の別荘に電話をかけた。多分、自分で誰かの家に電話をかけたのはこれが初めってだったように思う。
電話に出た叔母は驚いて、すぐに姉に替わってくれた。
『どうしたの周助?』
姉は心配そうな声を出した。もう怒ってはいないようだった。
『ゆうたをかえして』
僕は泣きながら、そう訴えた。
『ゆうたをかえして。ゆうた………』
『ちゃんと大事にしなきゃダメよ』
それに答えたかどうか、僕は覚えていない。多分、ずっと泣いていたから。
二、三日して姉と裕太が帰ってきた。
僕は待ちきれずに、玄関の外で君を待っていた。
『おにいちゃん!』
玄関の横に座っている僕に、裕太が走りよってきた。
姉は呆れたようにそれを見て、抱き合っている僕たちを玄関の中に入れた。
それから裕太が泣いても、裕太の口にキャンディを放り込むことはしなかった。
裕太が泣いていても、うっとうしいとは感じなくなっていたし、君のことが大好きだと伝えると、裕太はいつも泣きやんだ。
でも僕はやっぱりキャンディを持っていた。君と二人で食べるために。
「これ食べる?」
「昔っから、いつも何か持ってるよな」
そう言いながら裕太は、昔と変わらぬ味のキャンディを食べた。
「甘めぇ」
「嫌い?」
「嫌いじゃねぇよ」
裕太がこのキャンディを今でも好きかどうかはしらない。昔の好物をあげるのが家族だし、それをおいしそうに食べて見せるのも家族だ。でも裕太は味覚が幼いところがあるので、本当に好きなのかもしれない。
「裕太、大好きだよ」
ソファーに座っている裕太に覆い被さるように抱きつくと、裕太は僕を押しのけようとする。
「突然なんだよ。離れろって」
裕太のくぐもった声が聞こえてくる。僕は裕太の髪にほおずりをした。短い髪の感触が心地良い。
「やめろって」
裕太がぺしぺしと僕の体をたたいてくる。しかし、どうでもよさげに手の甲で叩かれても、まったく痛くはない。
「あんたたち、仲いいわね」
僕たちがソファーでじゃれあっているのを見て、姉さんが呆れている。
「仲良くねぇよ」
「はいはい」
姉さんは裕太の言葉を取り合わず、そのまま隣の部屋へ消えていった。
僕は裕太が生意気な事を言ったので、耳を軽くひっぱった。
「痛え! やめろバカ」
いちいち言い返してくれるのが嬉しい。
「痛い? いたいのいたいのとんでいけ〜って、してあげようか?」
「おまえな…」
裕太と過ごす休日は一ヶ月ぶりで、僕は裕太に餓えていたようだ。
このままずっと一日中、君を抱きしめていたい。
裕太の唇からはキャンディの甘い香りがして、触れあわせたらどうなるのだろうかと、ふと考えた。
「てめぇ、何するんだ!」
さすがにそんなことはできないから、そのかわりに、裕太の唇をつまみ上げた。でも、こんなことしていたら、裕太の顔があの柳沢とかいうアヒルに似た男みたいになっちゃうかな。それはイヤだからやめよう。
裕太はなにか騒いでいる。僕は裕太の唇をつまみ上げた指を、そっと唇に押し当てた。少しだけキャンディの香りがする。
誘惑に駆られて、裕太の唇と同じ香りのキャンディを食べてみた。相変わらずとても甘い。それはさっきまで裕太が感じていたはずの甘さで、僕はまるで裕太と口づけをかわしているような気分になった。
僕は近頃、少しおかしいようだ。きっと裕太が足りていないからだと思う。こうやってふれあっていれば、いずれ治るのかもしれない。
裕太はまったく何も気づないようで、まだ離れろとか、どっかいけとか言っている。
ふと思いついて、僕はあのとき以来初めて、裕太の口にキャンディを放り込んだ。裕太はやっぱり驚いて、一瞬静かになった。
今、裕太と僕は同じ甘さを感じている。
「まるでキスしてるみたいだね」
そう言うと、裕太は目を見開いて、キャンディを呑み込んでしまって、そして激しくむせた。何の説明もしていないのに、僕の言いたかったことは正確に伝わったらしい。やっぱり兄弟だからかな。
「てめ、てめぇ………!!」
それとも、もしかして裕太も少しは同じ事考えていたのかな。
「もう一個いる?」
「いらねぇ。絶対いらねぇ!!」
僕は裕太に見せつけるように、もう一粒食べた。裕太は呆然とそれを見ていた。
口の中がとても甘くて、おいしいとは思えなかったけれど、裕太がいない間、僕は何回かこれを食べるのだろう。
そして君の事を思い出す。
「食べるな、出せ!」
裕太はばたばたと暴れている。まだ全然裕太が足りていない僕は、裕太の体を強く抱きしめた。
僕と裕太の間にキャンディの甘い香りが漂っている。僕はしばらくその幸福を味わっていた。
なんとなくお題っぽく。家族の場合、一度「嫌い」状態じゃなくなると、もう一度嫌いになるのは難しいよね、という話(そうなのか?)
基本的には、兄は生まれたときから裕太が大好きv という兄の方が萌えなのですが、こういうのもありかな、と。
ここでのキャンディは、アメリカ製の香りと甘みの強いヤツという感じで。金持ちですから(笑)