もうすぐお兄ちゃんの本当の誕生日だ。
お兄ちゃんの誕生日は四年に一回しかない。オレは四年前のお兄ちゃんの誕生日をなんとなくしか覚えていないので、今度の誕生日が初めてのような気がして、少し前からいろいろどうしようかなと考えていた。
今までの本物ではない誕生日の時には、お兄ちゃんに適当なプレゼントしか渡していなかった。
なんだっけ、去年は確かリンゴの匂いの消しゴムだったような気がする。お兄ちゃんはそれでもすごく喜んでくれたけど、お兄ちゃんが毎年くれるものと比べたら全然だめだ。
今年のオレの誕生日、お兄ちゃんはパスケースとペンケースをくれた。ちょっと大人っぽいデザインのお揃いのやつで、なんか大人になった感じですごく嬉しかった。
「お兄ちゃん、一番欲しいものってなに?」
オレはお兄ちゃんの部屋の遊びに行って、そう聞いてみた。
今度のお兄ちゃんの誕生日にはお兄ちゃんをびっくりさせたい。すっごくいいものをあげるんだ。
オレはあんまお金を遣わないので、お年玉やおばあちゃんちでもらったお金やお小遣いの余りが結構残ってる。
「んー、あまりないかな。そうだね…リバーサルのフィルムとか、写真を整理するファイルとかは欲しいな」
オレはその答えにがっかりした。なんだ。もっといいものをあげたいのに。
お兄ちゃんは中学の合格祝いにカメラを買って貰ったので、今はそれに夢中だ。
フィルムとかファイルとかはお兄ちゃんは自分でしょっちゅう買ってる。でもお兄ちゃんがそれが欲しいんなら仕方ないのかな。
「ああ、もしかしてボクの誕生日のプレゼント?」
オレがちょっと黙り込んでると、お兄ちゃんはそう言って嬉しそうに笑った。
「ち、ちがうよ! そうじゃなくて…」
オレはどうごまかしたらいいのかわからなくて焦った。お兄ちゃんにバレたらかっこわるい。
「誕生日なら欲しいものがあるよ」
「なに?」
「ないしょ」
「えー。それじゃわかんないよ」
「そうだな。普通のプレゼントだったら、何かずっと使うものがいいな」
「普通?」
オレがそう聞き返すと、お兄ちゃんはただ笑っていた。
「例えばペンケースとか、そういういつでも使うやつが欲しいな」
オレも今お兄ちゃんから貰ったやつを使ってる。すごくいいやつでお気に入りだから、これはお兄ちゃんから貰ったんだなって時々思い出して嬉しくなる。
「わかった」
そうだ。オレは腕時計をあげよう。オレはそう思った。だって、腕時計ならずっとはめてもらえるし、しょっちゅう見るから。
お兄ちゃんは中学生になるんだから、お兄ちゃんによく似合う大人っぽい腕時計をはめて欲しい。だからオレがそれを買ってプレゼントするんだ。
「何くれるの?」
「そんなの内緒に決まってるじゃん」
「楽しみにしてるよ」
楽しみにしてろよ。なにせ四年に一度の本当の誕生日なんだから、誰ももらわないようなすごいのをやる。オレはそう思って嬉しくなった。
デパートの腕時計がいっぱい集まっているところにはオレが考えるような腕時計はあまりなかった。ごついスポーツタイプのはいっぱいあるけれど、お兄ちゃんに似合いそうな感じのやつはない。
仕方がないのでデパートの案内係のところに言って聞くと、案内係の人が驚いてお母さんと一緒に来た方がいいとか言い出した。お母さんと来たら意味がない。なんとなくお母さんに怒られそうな気がするし。オレは案内係の人にお兄ちゃんの四年に一回の誕生日だからって説明した。
「ボク、お兄ちゃんのことが好きなのね」
「好きじゃないよ」
案内のお姉ちゃんには思わずそう言ってしまったけど、本当は大好きだ。いつも優しいし、テニスをしてるときには強くてかっこいいし、それになんかよくわからないけど特別って感じがする。お兄ちゃんもオレのことを特別に扱ってくれるし、オレにとってもお兄ちゃんが特別だ。だからずっと使えるような、人に自慢できるようないい物をあげたいんだ。
案内係のお姉ちゃんに言われたお店を何個か回って、オレはちょっと予算を超えてるけどお兄ちゃんによく似合いそうな腕時計を見つけた。お店の人にそれが欲しいと言うと、始めまったく本気にしてもらえなかったが、持ってきたお金を見せて、お兄ちゃんの四年に一回の誕生日だからすごくいいやつを買ってあげたいんだってことを一生懸命説明して、お母さんに電話をかけるっていうお店の人にどうにかやめてもらってそれを買った。
お店の人が特別のラッピングをしてあげるねって言って、すごく綺麗なラッピングをしてくれたので嬉しかった。
お兄ちゃんの誕生日、お母さんがご馳走を作ってくれて盛大にお祝いして、そこではオレはシャーペンをあげた。オレはお祝いが終わったら部屋に来てねってお兄ちゃんに言われてたから、本当のプレゼントはその時に渡すんだ。
「お兄ちゃん入るよ」
ドアをノックして部屋に入る。お兄ちゃんは椅子に座っていて、オレはベッドに腰掛けた。
「これやる」
オレは背中に隠していたプレゼントを出した。
「え?だってさっきもらったよ」
「こっちが本物。誕生日おめでと」
お兄ちゃんは本当に驚いたみたいで、目を丸くしたあと、ありがとうと言いながらその綺麗なラッピングをほどいた。オレはドキドキしながらそれを見ていた。喜んでくれるかな。
「裕太、これはもらえないよ」
「なんでだよ」
「なんでって…」
お兄ちゃんはすごく困っているようだった。一生懸命選んだのに駄目だったのかな。
「じゃあいい」
オレはそのプレゼントをお兄ちゃんからひったくって部屋に帰ろうとした。なんか涙が出てくる。
「裕太」
お兄ちゃんが慌ててオレを抱きとめた。そして背中からぎゅっと抱きしめられた。
「違うんだよ。すごく嬉しいんだ。でもこんな高い物貰えない。裕太の気持ちはすごく嬉しいんだよ。ね、一緒に返しに行こう」
「だって…だって…」
オレはお兄ちゃんに抱きしめられて、気がつくと泣いていた。
四年に一回の誕生日だから、ちゃんとしたものをあげたいんだ。オレがあげた時計ならお兄ちゃんはよろこんでつけてくれるだろうけど、お兄ちゃんが安っぽい変な時計をしてるのは嫌なんだ。お店の人とも絶対返しにいかないって約束したんだ。
泣きながらそんなことを訴えると、お兄ちゃんはオレをぎゅっと抱きしめて、「ありがとうすごく嬉しいよ」って言った。
お兄ちゃんはオレの手から腕時計を取って、自分の腕に巻いた。
「似合う?」
オレは頷いた。
ベルトはお兄ちゃんの好きなベージュ。男性用だけどそんなにごつくなくてお兄ちゃんには絶対似合うと思ってたんだ。思った通りその腕時計はお兄ちゃんのために作られたみたいにぴったりと似合ってた。
「ありがとう裕太」
お兄ちゃんはもう一度ぎゅっとオレを抱きしめた。
しばらくお兄ちゃんの部屋で話していて、さすがに部屋に帰んなきゃなと思っていたら、お兄ちゃんが
「誕生日に欲しい物があるって言ってたの覚えてる?」
と言った。
「覚えてるよ」
そういえばそうだった。でも内緒だって言ってたんだ。
「こんなにいいものをもらったから、どうしようかなって思ったんだけど、お願いしていい?」
なんだろう。よくわからないけどオレは頷いた。
お兄ちゃんはごそごそとカメラをだしてオレを覗きながら
「裕太の一番好きな人を教えて」
と言った。
「え?」
「一番好きな人。お母さん?それともお父さん?それともクラスに誰か好きな人ができた?」
オレはお兄ちゃんが何を聞いてるのかわかって赤くなった。昔はよく言っていたけど、そういえばずっと言っていなかった。だってそんなの恥ずかしいじゃないか。
「裕太?」
そんなの聞かなくたってわかるだろ。オレはそう思いながらカメラを構えたままのお兄ちゃんを睨みつけた。
その瞬間、パシャッとあたりが明るくなる。写真を撮られたのだ。
「なにするんだよ」
「ちょっと我慢ができなくて」
なんだそれは。
「ボクはね、裕太が一番好き。裕太は?」
オレはもう一度お兄ちゃんを睨んだ。そんなの恥ずかしくて言えるか。
でも今日はお兄ちゃんの誕生日なのだ。四年に一回しかないすごく特別な日なんだ。
「お兄ちゃんだよ」
「え?」
「お兄ちゃんが一番好き」
お兄ちゃんはオレをまた抱きしめて、「ありがとう。ボクは本当に裕太が好きだよ」って言った。そしてまた写真を撮られた。なんか裸を撮られたみたいにものすごく恥ずかしい。
オレはすごく恥ずかしくて、でもなんかお兄ちゃんの特別になったような気がして嬉しくなりながら部屋に帰った。
※ ※ ※
「裕太、これ覚えてる?」
兄貴は二枚の写真を出してきた。小さい頃の俺のどアップの写真だ。片方はカメラにガンをつけていて、片方は真っ赤になってぼーっとしていて、兄貴が撮った写真にしては珍しく、少々ぶれている。
「なんだこれ?」
「覚えてない?僕の宝物なんだけどな。裕太から貰ったプレゼントだよ」
「はぁ?」
兄貴の腕には俺が小学校の頃大変な思いをして買った腕時計がはめられている。
あれがいくらしたのか、考えるだけでぞっとする。小学校の頃の俺を呼びだしてどなりつけたいような気分だ。
当時の俺はまったく金銭感覚というものがなかったのだ。周囲の大人が驚いたのも無理はないと思う。
「一番好きな人は誰って聞いたらさ、すっごくかわいい顔で僕のことを睨んで」
兄貴はすごく嬉しそうにそう言っている。写真をなで回す勢いだ。
「で、僕が僕が一番好きなのは裕太だよって言ったら、オレの好きなのはお兄ちゃんだって」
「は?んなこと言ってねえよ」
俺がそう言ってるのに、兄貴はまだ嬉しそうで「裕太は五年生だったからね」とか言っている。
五年?そんな頃までそんなことは言っていなかったと思う。確かにめちゃめちゃ昔にそんなことを言ったかもしれないが、若気の至りというやつで、さすがに五年生になってまでそんなことは言ってないはずだ。
俺がそう思っていると兄貴が、
「ねぇ裕太。裕太の一番好きなのは誰?」
と、わけのわかんないことを訊いてきた。
「なに言ってんだ?お前」
「誰?教えて?」
兄貴は俺の隣に腰をかけて俺の方を見ている。
こんな日にそんなことを聞くなんてずるい。こんな―――四年に一回しかない兄貴の誕生日に。
「あーっ!」
「どうしたんだい?」
俺はこの写真のことを思い出した。そうだあれも兄貴の誕生日だった。
初めての(それ以前にもあったはずだがあまりよく覚えてない。誕生日がない年も普通に祝ってたから)兄貴の誕生日だったから、俺はもうそんなことを言う年齢じゃなかったはずなのに、兄貴が一番好きだとか言ってしまったのだ。で、その証拠写真(?)を撮られた。そんな写真を取っとかれてるなんて最悪だ。
俺は兄貴の手から写真をひったくろうとした。しかしするりとかわされる。
「駄目だよ。まあ、いくらでも焼き増しはできるんだけどね」
「返せ」
「そんなに欲しい?じゃあ大切に持ってて」
兄貴はにこにこしながらその写真をくれた。どうやらすでに焼き増しはにしてあるらしい。
いや別にこの写真が欲しい訳じゃなくてだな、そんな写真を持ってるんじゃねぇってことで……。そう思って兄貴を見たら、俺の様子を見ながら嬉しそうに笑っている。俺はすっかり毒気を抜かれてしまった。
「裕太。こうやって訊くのも四年ぶりだね。裕太の一番好きな人は誰?教えてくれるかな」
「……」
んなこと言えるか。そう思って兄貴を睨むと、兄貴はすっと俺の身体を引き寄せた。
「今日ぐらいは答えて?」
「そんなの……」
そんなのわかってるじゃねぇか。兄貴だってわかってるから訊いてるんだろ。
そういえば……兄貴にそう訊かれるのは本当に四年ぶりなのだ。そう俺は気づいた。
この四年間はいろいろあった。兄貴に反発して家を出ていったり、そしてしばらくして俺の中のわだかまりがなくなって、よくわかんないことになって……気がついたらこんなことになっていた。
四年か……四年って長かったよな。そして兄貴の誕生日はその四年に一回しかないのだ。そう気がついて俺は決意を固めた。
「一度しか言わねぇぞ」
「え?ちょっと待ってて」
兄貴はごそごそと何かを準備しようとした。
「カメラは絶対やめろ!」
兄貴はせっかくなのに…と言いながらも手を止めた。
「だから、ええと……」
俺の中でぐるぐるといろんな言葉が回っていた。好きなのは兄貴だとかお前だとか言えばいいんだが、その言葉は頭の中で繰り返されるだけでどうしても口から出てこない。
「だから…」
「だから?」
今日は兄貴の誕生日なんだって。そうは思うのだが、どうやっても無理だ。
「だ、だから……」
絶対無理だと思いながら兄貴を見た瞬間、あたりが真っ白になった。写真を撮られたのだ。
「兄貴!」
「今回はこの写真で勘弁してあげるよ。次回はちゃんと言ってね」
「次回?」
「四年後の今日。楽しみに待ってるよ」
「絶対言わねぇ」
「次って四年に一度ってだけじゃなくて、僕が大人になる日でもあるんだよね」
そうか。次って、兄貴が二十歳になる日だ。多分兄貴も俺も大学生で……そのころ俺達はどうなってるんだろう。
「もしその時も裕太が僕のことを好きでいてくれるなら、その時は……ね?」
兄貴は俺を抱きしめて、耳元でそうささやいた。
こうやって話しながら抱きしめてくるときは、兄貴が自分の顔を見られたくない時なんだって、俺は気づいていた。
こいつでも不安に思ったりすることはあるらしい。四年後……か。確かに長いよな。でも……きっと、俺はこいつのことが好きなままだろう。
「その時は、な」
「楽しみにしてるよ」
そう言いながら兄貴は俺の身体を放した。もういつもの顔で笑っている。
「なあ」
「ん?」
「……おめでと」
一番好きだと言う代わりに、せめてその気持ちを込めて。
「ありがとう」
兄貴はそう言って華やかに笑った。
不二周助さん、四年に一度の誕生日おめでとう♪
裕太がいくらの腕時計を買ったのかはご想像におまかせって感じですが、裕太は「自分の持っているお金の半分を使おう」と決意してデパートに向かったのです(笑)
たぶん小五の裕太は本当にお金の価値がわかっていない子だったんじゃないかなーと思います。