ヘボントーク2
へぼんというのは萌えが暴走し、そのほかのことが後回しになったときに起こるような気がします。
たとえば「××がアラブの踊り子ぉっ!!!!!」という萌えが来てしまったとき、絵描きさんなら絵を描いて満足することができるでしょうが、字書きはそうはいかない。 手段としては忘れるまで我慢するか、人に語るか、トークに書くか、小説におこすかぐらいでしょう。 普通は別の萌えがきてその萌えを忘れるもんだと思いますが(そういう一過性の萌えより、きちんとしたストーリーの方が萌えの持続力がある気がします)、それでも押さえきれないほどの爆発力のある萌えがやってきてしまったらどうでしょう。
たとえば私がどーしても「半屋がアラブの踊り子ぉっ!!!!!」という萌えを押さえきれなかったとします(笑) これを人に言おうにも、今言いたいことは「半屋がね!アラブの踊り子なの!!」ということしかありません。気持ちは踊り子でいっぱいなのに、人に語ったら30秒しか持ちません(笑) いやそれどころかおかしな人だと思われるのがおちでしょう(笑) 次の選択肢としてトークがありますが、「半屋ってアラブの踊り子の服が似合うと思うんですよ」などと書いても(注・本当は別に似合わないと思います(笑))萌えは伝わりません。この場合、トークに書くことはこうでしょう。「今、半屋が踊り子のアラブ話を書きたくて仕方ないんです〜!」。 もう既に萌えは『話』に変化してきていますね?
で、トークでも収まらず、どーしてもお話として形にしたい!!という欲望を抑えきれなかったとしましょう。この場合、ストーリーが書きたいと言うよりも萌えが表現したいわけですから、萌えがストーリーを決めていってしまいます。 「半屋がね!踊り子で暗殺者なの!! アラビア一の舞姫(←は?)って言われててね!その踊りは人々を魅了するんだけどね! 普段はまったくやる気がないわけ。でね…」 おそろしいことに設定に尾ひれがついていますね(笑) 実際、この手の萌えを持続させるためには尾ひれが不可欠です。「半屋が踊り子でね、毎日舞台のはしの方で踊ってるの」では萌えの種類が変わってしまいます(笑) やっぱメインで踊ってもらわないと純粋に萌えが表現できません。 群舞として舞台のはしでやる気なさそうに踊っている半屋(当然メインは御幸)というのも萌えではあるんですけど、「半屋がアラブの…っ!!」という萌えとは質が違いますね(笑) さて、話をアラビア一の舞姫(笑)半屋の話に戻しましょう。ええと梧半ベースで。とりあえずここでは「半屋はそもそも踊らないだろう」という冷静さは失ってみてください(笑)
アラブの舞姫・半屋はとある小国の王宮付きの舞姫です。ちなみに男です。アラブの掟で女は人に肌をさらしてはいけないので、男が舞姫になってもおかしくないのです(またムリヤリな…)。 そういう設定ですから、半屋は半裸でアクセサリーをじゃらじゃらつけて紗をつけている踊り子です(笑) そんな半屋があるとき、とても権力を持っている遊牧民の長梧桐を接待するために踊ることになります(打ちながら笑い出しそうです私。実は今バイト中なのですが(笑)) 半屋の踊りに魅了される人々。しかし梧桐はその踊りがお気に召しません。「偽りのものなどしょせん全て醜い」梧桐はそうつぶやきます。 ―――梧桐は単に半屋にやる気がないことに気づいていただけなのですが、半屋の雇い主の王はその言葉を誤解します。 汚名挽回のために半屋は梧桐に差し出されます(つっこみはあとでまとめてやりましょう(笑))。半屋は踊り子兼暗殺者なので、梧桐を殺すなりたらしこんでとりこにするなり有用な情報を聞き込むなりしなくてはなりません。 たらしこむことも有用な情報のゲットもできなかった半屋は梧桐さんを殺そうとします。しかし当然できません。そして壮大な愛の渦にまきこまれる二人!!
―――一瞬も冷静になることなくこの物語を書ききれるほどのテンションをもって、この手の話を書いてくれたら私は絶対読むね!! 人間、人からつっこまれることがわかっている場合、つい自分でつっこみを入れて逃げてしまいがちですが、それに気づかないほどの萌えテンションでつっぱしってくれたら、それはやっぱ偉大だと思います。私なんかは始めから逃げてるのでまだまだですね。でもこの企画は自分の萌えを乗せるためにあえてやりやすいカップリングでやっているので、ところどころ萌えが暴走して話が突っ走ってます(笑) 萌えがねー、話を決めて行っちゃうんですよ。オリジナリティとかリアリティとか考えるヒマも与えてくれないんです。これぞへぼんの源。 一応フォローをしておきますが、普段はこういう話の作り方をしていませんです。たまにやるけど(笑)
さて。話が前後しますがアラビアネタについてつっこみを入れてみましょう。 昔はパラレルの十冊に一冊がアラブだったぐらいこのネタをよく見かけたのですが(特殊事情かも。どうも私のいたジャンルでだけ大ブームがおこっていた模様)、近頃そんなに見ませんね。 そしてアラブネタといえば江戸ネタなんかと違い「誰もきちんと調べない」というところに特徴があったように思います。 だって調べるとつまんなくなるんだもん。調べないで王様と後宮とか遊牧民とか踊り子とかが適当に出てきて壮大な話の方が絶対面白いし、そういうのが書きたいからこそのネタなんだもん!!
さて。思い返してみると、アラブネタっていうのはおしなべて壮大だったような気がします。しかも大げさなネタを許容してくれたような。 たぶんこの「調べない」というのと関連してるんだろうと思います。 たとえばさっき作ったネタがありますが、あれで実は半屋は梧桐さんの生き別れの弟で、なんらかの事情で体の色素が抜けちゃって(←抜けないと思うけど(笑))梧桐さんは半屋が弟だということに気づくことができないまま…とかいう大げさな話にしても別に平気な気がするし。 それに汚名挽回のために差し出されたりするわけないし、そんなバレバレの暗殺者はいねーよとも思うんですが、それもありのような気がする。 これはなんでしょう。私のアラブネタに対する偏見でしょうか? そんなんばっか見たからなー。 でも偏見じゃないという仮定で話を進めると、みんな詳しくないし調べもしないというアラブネタの特徴が話の非現実さを許容してくれているような気がします。 たとえば「時は18世紀チューリップ時代。徐々に勢いをます欧州から目を背けるように文化は爛熟期を迎え…」とかいうふうにすると一気にできるもんもできなくなる(笑) さすがにこの設定でアラブ一の舞姫はやだなー(笑) いや、時代的には萌えな時代なので、そこで皇太子と白人イエニチェリの恋愛とかでも面白そうですが(これも微妙に壮大系ですね)、それは単なる歴史ネタ。いわゆるアラブもんとは違うのよー。
日本でもヨーロッパでも一応おおげさなネタはできるのですが、どうも微妙に「時代はいつなの?場所は?」というとこで冷静に帰ってしまう可能性がある。 しかしアラビアはよくわからないし、でもインドほどマイナーじゃないし、なんかゴージャスそうだし…というところなのかもしれません。 私も始めに考えていたネタはアラブの魔力に酔ってしまったせいか、ここにも書けないような感じで(笑)無難に抑えたところでアレ(笑) こう考えてみるとそろそろアラブネタの復権を叫んでみるのもいい感じかもしれませんね。 いけそうな方はちょっとアラビアネタで考えてみてください。意外に暴走します(笑)
ついでに考えてみればアラビア系の話って時代的には三パターンありますね。 始めに出したネタが一番ポピュラーな「アラビアンナイト」系。いつの時代でどこだかよくわかんないよーって感じのやつですね。本のタイトルが「千夜一夜」とかそんな感じ(またベタな…)。 次に戦争あたり。アラブがちょっといまいちな時代でそこにイギリス人家庭教師(受け)とかがやってきて教え子の王子様に…とかその逆とか、まそれぐらいの時代。これが一番普通の歴史系バリエーションに近いですね。 そして現代ネタ。アラブの大富豪(攻め。さすがにアラブ大富豪受けはみたことない(笑))と翻弄される日本人。これもかなり大がかりなネタになりますねー。なんでしょう?アラビアには人を大げさにする魔力があるんでしょうか(笑)
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