入門コースメニュー前 課   次 課


第8課  幸福(救い)への道

※暗唱聖句
 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いてわたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
ヨハネ5:24

 「あなたは幸福になりたいですか」と問われれば、ほとんどの人が「はい」と答えるでしょう。直接「幸福」ということばを使わなくても、幸福への思いはみな一様に強く持っています。

 では、幸福とは何でしょう。どのようにして得られるのでしょう。

  1. 幸福の条件。

     幸福の原点を私たちは神が始めに造られた世界、(エデンの園)に見ることができます。それは3つの特質を持つ世界でした。

    1. 第1は「平和な世界」でした。調和の世界でした。そこには4つの調和(平和)がありました。(1)神との調和 (2)人との調和 (3)自然との調和 (4)自分との調和 でした。しかも、その平和は単に争いが無いというような消極的な平和でなく神さまのすばらしい正義と内から湧き上がる喜びをともなった積極的な平和です。

       「神の国は、・・・義と平和と聖霊による喜びです。」(ローマ14:17)
    2. 第2は「愛の世界」でした。宇宙を創造された神さまは愛の神さまであり世界を愛し、人を愛し、自然を愛されました。この愛のある世界で、神さまは神さまに似せて造られた人間にも、神を愛し、隣人を愛し、自然を愛し、また、自分を愛するように望まれたのです。
    3. 第3は「創造的ないのちに満ちた世界」でした。神は無から宇宙を創造し、生きとし生けるものにいのちを与え、特に人間に神と同じいのち=永遠のいのちを与えました。それはいのちに溢れた世界、まだ死の入ってこない世界でした。そこには死の恐れはありませんでした。

     人間は神と同じようなダイナミックないのちに満ちて創造的に生きていました。環境に支配されず、環境を支配し、喜びに満ちて生きていました。 これが人間に幸せを与えようとされる神のはじめの計画でした。神さまはこの平和と愛といのちが全世界に広がっていくことを期待されたのです。

     しかし、現実の世界の現状はどうでしょうか。あなたのまわりはいかがですか。まったく反対の方向に向かっていると見えないでしょうか。

     その原因は何でしょうか。その原因は罪であると聖書を通して学んできました。

     私たちは神が造られた始めの世界から幸福の条件を知ることができます。第1は平和があることです。(義と喜びをともなった)第2は愛があることです。第3は創造的ないのちがあることです。

  2. 幸福(救い)を受けるには?

     問題は、この3つとも人間は罪のために失って、自分の力ではこの条件を満たすことができないということです。罪の問題を解決し、この条件を満たしてくださるお方(救い主)に出会えれば私たちは幸福になれるのです。しかも、この条件はこの世でも幸いを受ける確かな条件ですが、それ以上に永遠の幸いを受ける条件でもあります。永遠の滅びから永遠のいのちの救いに入れるのです。地獄から天国に移されるのです。

     そこで聖書は幸福を救いということばで現しています。ですから私たちは「どうしたら幸せになれますか」と問う代わりに「どうしたら、この私は救われますか」と神さまに問わなければならないのです。 (使徒16:30)

     では、救われるためにはどうしたらよいのでしょう。

    1. 真の幸福、救いへの渇きを持ちましょう。

       救われるためには、まず、渇かなければなりません。自分が救われていないことを自覚する必要があります。あなたは神との平和を持っていますか。神さまの義の前に恐れなく平安を持って立つことができますか。法律や道徳の光でなく、神さまの光の前に義しい生活を送って。

       そして、そこから湧き起こる喜びがありますか。それとも罪悪感や劣等感、虚無感から自分と自分との間に葛藤がありませんか。自分と他人との間にさばきあいや憎みあいがありませんか。自分を愛する人だけでなく、自分を愛さない人(敵)をも愛する真の愛に満たされていますか。自分を愛していますか。あなたを愛してくださる神さまを愛していますか。どんな境遇にもヴィジョンを持って創造的に立ち向かって行くいのちに溢れた生活をしていますか。死にも恐れずに立ち向かえる永遠のいのちを持っていますか。胸に手を当てて、素直に考えて見て、自分に真の幸福、救いが無いことがわかったら渇いて求めてまいりましょう。

       「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(黙示録22:17)

    2. 神のみことば(事実)に聞きましょう。

       4〜7課まで「罪」と「十字架」のレッスンで学んできたように私達の最大の問題、「罪」を神のひとり子イエス・キリストさまが私たちの代わりに十字架上で負って死んでくださり、完全に解決してくださいました。だからただで受けられるのです。これを福音と言います。世界で最高の良き知らせです。この福音は他の宗教に見られるいわゆる「ありがたい教え」ではありません。それならば最近の新宗教の中に見られるように何とでも言えます。神さまが歴史の中に介入して、私たちの罪を身をもって十字架上で死んでくださったという、神さまの愛の歴史の事実なのです。

       私たちは「ありがたい教え」を信じるのでなく、十字架と復活という歴史上の事実を信じるのです。ましてや、「いわしの頭も信心から」といった、信仰ならば何でもよいと言うような信仰ではありません。何を信ずるかが大切です。私たちは世界に類を見ない永遠のベストセラー、神さまの霊感によって書かれた神さまのみことばとこのキリストの事実を信じるのです。

       あなたは今日まで、この宇宙最大のグッド・ニュースを聞いて来ました。何と幸いなことでしょう。しかし、聞くだけでは十分ではありません。

    3. イエスさまをあなたの救い主として信じましょう。

     どうしたら救われるのか。

     暗唱聖句を見てください。「ことばを聞いて」「信じる者は」救われるとあります。「聞いて」次に大切なのは「信じる」ことです。

     その結果どんなことが起こると神さまは約束しておられますか。

     (1)永遠のいのちを持ち・・・・・・死から解放され創造的ないのちに生きる。

     (2)さばきに会うことがなく・・・・義と喜びのともなう平和が回復する。

     (3)死からいのちに移っている・・・十字架の愛に輝いて生きる。

 このように未来に、驚くべき祝福を受けるだけでなく、失った3つの幸福の条件が回復され、現在、主とともに生きるすばらしい生活が始まります。

 では、今、あなたは前ページの絵のどちら側におりますか。

 主イエスさまは、この驚くべき約束と祝福を与えようとして今もあなたに語りかけておられるのです。黙示3:20を読んでください。

 「見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。だれでも私の声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし彼もわたしとともに食事をする。」

 イエスさまは今、あなたの心の戸をたたいて、自分が受け入れられ、あなたのうちに入ることを願っておられます。しかし、イエスさまは無理やりに人の心に入り込もうとはなさいません。あなたを尊重し、あなたが自分の意志で戸を開けるのを待っておられます。あなたが今、自分の心の戸を開いて、イエスさまを心のうちに招き入れるなら、あなたとイエスさまとの生活が始り、この3つの約束を必ず受け取ることができます。

 どうか、今、心の戸をあけて、イエスさまをあなたの救い主と信じて心の中に受け入れてください。

 次の祈りを神さまにささげてください。

 「やさしい天の神さま。今まであなたを信じないでいたことを赦してください。イエスさまが私の代わりに十字架にかかかって私の罪を赦してくださったことを感謝いたします。いま心の戸をあけてイエスさまを私の救い主として信じお迎えいたします。どうぞ私の心にお入りください。主イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン。」


入門コースメニュー前 課   次 課