第5課 罪−2
※暗唱聖句 |
罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ6:23 |
もし、クリスチャンである私が、あなたの時計が欲しくなって上手に盗んだとします。あなたは帰る途中で気がつき、取って返って私を責めます。私は隠しおおせなくなって、時計を差しだ出し「どうか赦してください。これを公にしないでください。」と泣いて頼みます。
慈悲深いあなたは赦してくれます。私はまず胸をなで下ろすでしょう。しかし、それでは刑法上、道徳上の罪は解決したかも知れません。でも、私はまだ神に対する罪は赦されていません。神さまの前に罪を告白してイエス様の十字架によって罪を赦されなければなりません。罪は本来的に神さまに対するものなのです。「日本人は恥意識だけで、欧米人のような罪意識がない。」とよく言われます。それはこのような人間関係だけの罪だけで、創造の神さまに対する罪がわからないからです。
すべてのものは光によって見えるのです。しかも、光が強くなればなるほど見えないものも見えるようになります。罪も同じです。
ろうそくの光 | 物が見えます。 |
電気の光 | 小さなごみが見えます。 |
日光の光 | 部屋の中の空中のチリが見えます。 |
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法律の光 | 刑法上の罪 |
道徳の光 | 道徳上の罪 |
神の光 | 宗教的な罪 |
このように見てくるならば、特に神さまを信じないこと、神さまへの反逆、自分中心こそが罪の根元であるとすれば、神さまの光に照らされて、「私には罪が無い。」と言うことのできる人はだれもいません。次の聖書の箇所を開いてください。
ヨハネ11:8
「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。」
群馬大学医学部教授
自分の研究に行き詰まる。なかなかこれといった研究発表ができない。
逆に後輩が優れた論文を発表。心に焦り、ねたみ、みにくい心が始まる。
学校からの帰り、お酒を飲んで教会に行く。真面目な学者と信じていた自分の心の中の罪を知り、悔い改めて救われる。後に、群馬大学の中に聖書 研究会を開き、教授や学生の中から多くの救われる者が起こる。(単立前橋教会狩野教授)
下の図は「神のようになった」私の心から出て来る罪の図解です。
静まって神さまの光に照らされて自分の罪がどこから出てきて、どういうものであるか悟らせていただきましょう。
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| すべての悪は人の心の内にあって外に出てきます。 これは創造主から離れてしまった原罪によるのです。 (マルコ7:20-23)
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< 人の心の状態 > |
4.罪の結果はどうなるのでしょう。
その人の人生を破壊します。
罪とは神さまとの交わりを絶つものです。親のいない子は寂しく、満たされないように、たましいの親(神)から離れていると孤独感、むなしさ、罪責感、劣等感におそわれます。そこから逃れようとして肉欲と悪習慣の奴隷になる人もいます。体の病気になる者さえいます。
自己中心は、自分の親しいまわりの者をも、傷つけ、交わりを破壊します。
「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)
罪は3つの死をもたらします。
(1)霊的死
上記のことです。神と霊の分離
(2)肉体の死
第1の死とも言います。肉体と霊との分離
(3)永遠の死
第2の死、地獄とも言います。神との永遠の断絶
この最大の問題、罪から私たちは救われなければなりません。
この罪の解決はどこにあるのでしょう。
この罪はどこに行けば赦されるのでしょう。
ローマ6:23の後半を開いてください。来週はこのことについて学びましょう。
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