罪はどこから来たのでしょう
サタンから来たと聖書は言っています。神さまが造られたはじめの世界は愛と平和に満ちたすばらしいものでした。創造の冠としての人間は、そこで神さまの主権を象徴する木(善悪の知識の木)から以外は、どの木からでも取って食べてよいというすばらしい「自由」を与えられていました。「自由」こそ神さまのかたちに似せて造られた人間の人間たるゆえんでした。ところがサタンはその木の実を取って食べる時、「あなたがたは、神のようになる。」と言って誘惑しました。人間の始祖、エバとアダムはついに神さまの主権を犯し、その木の実を食べ、確かに「神のようになり」ました。
すべてを神さま中心でなく、神さまのようになって自分中心に考え、行動するものとなりました。それが罪(The Sin)なのです(sinsでなく)。
罪の元なのです。いわゆる原罪(Original Sin)です。この神に対する不従順、そして自己中心こそ罪であり、もろもろの罪はすべてここから派生してくるものです。
数々の強盗致傷事件を起した、渡辺忠幸容疑者は神奈川県警に逮捕されそうになりピストルで警官を射殺。子どもをさらって盗んだトラックで逃げ、追突事故を起こし、主婦にまたピストルを発射して傷つけ老夫婦の家に立てこもり、ついに逮捕。
麻薬を常習し、妻子をかえりみず定職を持たないのも、数々の強盗致傷も、警官を殺し、その家庭を悲嘆のどん底に突き落とすのも、主婦の車を奪おうとして、その子どもの前で傷つけるのも、すべて結局は、自己中心から出ていることではないでしょうか。
罪とは何なのでしょう。
教会に来てよく聞くのがこの罪ということばです。一方教会に来られるくらいの人は真面目な人が多く、最初は抵抗を感じられるものです。
しかし、それは聖書の教える罪ということばの意味を十分に理解していないところから起ります。日本語では1つですが、英語では2つのことばが用いられています。
(1)crime
主に法律上、刑法上の罪(物を盗む、人を殺す)
(2)sin
宗教的、道徳的罪も含む広い意味での罪
(嘘、いつわり、偽善、悪意他)
図で示すと次のようになります。
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crimeは罪のうち、ほんの一部のみを意味します。
そして聖書で扱っている罪はすべてsinの罪です。
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しかも、sinの中には人間の標準(道徳)では罪でなくても、創造の神さまの標準に照らされると罪であるものがあります。人を殺すのは恐ろしい罪です。しかし、心の中で激しく腹を立てたり、人を憎んだりすれば、それはすでに人を殺したと同じだと聖書は教えています。
姦淫の罪も同じです。情欲をいだいて異性を見るだけで心の中で姦淫を犯していると言っています。(マタイ5:21,22,27,28)
もし、そうだとすれば、人間はどれほど罪を犯しているか量り知れません。1日に3回しか罪を犯さない人(それは天使のような人です)でも
1年に何回の罪を犯しますか?10年では? 一生では前科何犯になって神さまの前でさばかれるのでしょうか?
谷中広美牧師は刑務所伝道に励まれた。網走刑務所で大勢の囚人たちの前でこう話しました。「あなたたちは馬鹿正直なのだ。憎らしいと思ったら短刀を持って相手を刺し殺したでしょう。女の人に魅せられたら犯したでしょう。しかし、周りに居る看守さんも、うしろにいる所長さんたちも神さまの前にはみんな同じ思いをもった同じ罪人なのです。」 囚人たちは喝采し、油屋刑務所長は涙を流し、「そのとおりです。」と悔い改めた。その中の何人かの死刑囚が救われて天国の恵みに入っていった。