今日の聖句8月12日(木) ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去ら れなかった。 詩篇66:20 求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち 満ちたものとなるためです。 ヨハネ16:24 **************************** ヨハネの福音書21章18節 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自 分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、 あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの 行きたくない所に連れて行きます。」これは、ペテロがどのような死に 方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお 話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」 「ペテロの殉教の預言」 イエス様によるペテロの殉教の予言です。この節には4組の比較があり ます。1つはペテロが「若かった時」対「年をとる」2つは「自分で帯 を締め」対「ほかの人があなたに帯をさせ」、3つは「自分の歩きたい 所」対「行きたくない所」で、4つは若い時は「歩きました」対「連れ て行」かれるのです。自分の意志とは関係なく殉教すると言われました。 対にならない言葉が一つあります。「自分の手を伸ばし」がそれです。 伝統的に十字架につけられるときに限って使われていた言葉です。映画 「パッション」を見ると、イエス様がローマ兵に体重をかけられて腕を 伸ばされている場面があります。本能的に死を避けるために腕を縮める のです。ペテロは自分の手を伸ばします。ステパノの最期を想います。 この節は、明らかに年をとったペテロが、十字架に磔にされて殉教する という死の預言です。「ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を 現すかを示して、言われたことであった」とヨハネも証言しています。 ペテロの殉教の記録は多数残っています。現在のローマ法王庁がたって いる場所がペテロの殉教の地だそうです。 イエス様は、ペテロにこのような殉教への未来が備えられているという ことをはっきり伝えた上で、「わたしに従いなさい」と命じられました。 生前、イエス様は「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を 捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」と教 えていた通りです。キリストの愛とキリストの復活を伝えるためには命 も捨てるという心の備えが必要なのです。 祝福を祈ります。