今日の聖句7月18日(日) 人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。 箴言5:21 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、 悪を行なった者は、よみが えってさばきを受けるのです。 ヨハネ5:29 ***************************** ヨハネの福音書19章5節6節 それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピ ラトは彼らに「さあ、この人です。」と言った。祭司長たちや役人たちはイエ スを見ると、激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ。」と言った。 ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさ い。私はこの人には罪を認めません。」 「この人を見よ。」(エッケ・ホモ=ecco homo) 18章28節から19章16節まで、28節を費やしてローマ総督ピラトによる裁判の 模様が記録されています。18章38節「私は、あの人には罪を認めません」19章 4節「あの人に何の罪も見られない」19章6節「私はこの人には罪を認めません」 19章12節「ピラトはイエスを釈放しようと努力した」と記されています。4回 にわたって「無罪だ、赦すべきだ」と言っています。 1回目はバラバを処刑してイエス様を釈放すると言い、2回目はむち打ちだけ で釈放しようとし、3回目は処刑しないと言い、4回目はイエス様に向かって 「私にはあなたを釈放する権威がある」と言って、ピラトはイエス様を赦免す る努力を重ねています。 私たちこの福音書の読者は、イエス様が確かに罪のない御方として、あえて十 字架の道を選び取っていることを知らされます。5節の「さあ、この人です」 という言葉は、口語訳では「見よ、この人だ」新共同訳では「見よ、この男だ」 リビングでは「よく見ろ、この男だ」現代訳では「ほら、この男だ」永井訳は 「見よ。この人」文語では「見よ此その人なり」訳されています。 罪のない御方が、ピエロのような姿にされ、あざけられ、平手打ちされ、罵ら れて、公衆の面前に立たされています。「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだ が、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で 黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」(イザヤ53:7)で予言されたメ シヤはこの人だと、この福音書はピラトの台詞として訴えています。 祝福を祈ります。