今日の聖句7月12日(月) 神はただひとりで天を張り延ばし、海の大波を踏まれる。神は牡牛座、オリオ ン座、すばる座、それに、南の天の室を造られた。 ヨブ9:8-9 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された 時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、 彼らに弁解の余地はないのです。 ローマ1:20 ****************************** ヨハネの福音書17章22節23節 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、 わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らに おり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるた めです。 「一つとなるため」 使徒や弟子たちの伝道によってキリストを信じるようになる、全てのクリスチ ャンのためにイエス様が祈っている祈りの言葉です。三位一体の神様が互いに 愛し合いつつ、一つであるようにクリスチャンも神様との深い愛の交わりの中 で一致し、一つになっていくようにと祈ってくださっています。 三位一体の神様はお三方で一つの神様ということです。この御方は信じるクリ スチャンの心を住み家とし、信じる人の心に愛を与え、愛を植え付けていきま す。「わたしは、あなたがわたしに下さった栄光を彼らに与えました」と言わ れていますが、ここでいう栄光とは愛のことです。御父が御子にお与えらにな った愛を、御子が、御子を信じるクリスチャンにお与えになるのです。 神様の愛によって一つにされるのですが、同じ愛の神様を信じていれば、自動 的にクリスチャンは一つになるというわけにはいかないようです。それはクリ スチャンになったといえども、その心の中に自己中心性があるからです。人間 の自己中心がキリストを十字架に釘づけているので、問題はとても根深く、イ エス様としても祈る以外に打つ手がないというほどのものです。 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているので はなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生 きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる 信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)パウロもこの信仰によって神様と 一つになるということを味わっています。 祝福を祈ります。