今日の聖句7月9日(金) 祭司のくちびるは知識を守り、人々は彼の口から教えを求める。彼は万軍の主 の使いであるからだ。 マラキ2:7 語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊 かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、す べてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。 1ペテロ4:11 ***************************** ヨハネの福音書16章32節33節 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあっ て平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、 勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 「勇敢でありなさい」 ここで、14章15章16章を通して語られたイエス様の説教が一段落します。 最後の晩餐後のこの説教は、弟子たちに平安を持たせるために語ったのだと締 めくくられました。後日、平安をもって再起できるようになるためだというこ とです。17章には説教後のイエス様の祈りの言葉が記録されています。 この直後に逮捕、裁判、むち打ち、嘲弄、ドロローサ、そして処刑へと進んで いきます。それを見て、弟子たちは動揺し、弟子団は分裂するだろうが、弟子 団が後の日、復活と、聖霊降臨を経て、信仰をもってこの一連の受難の意味を 深く理解し、福音宣教に立ち上がるために語られたのです。 弟子たちの前途には、イエス様の受難と同じ性質の艱難が待ち受けています。 サタンの支配する「この世」に対して福音を語っていくことは、この世の側か ら言えば体内に異物が入り込んで来るようなもので、当然拒絶反応が起こりま す。それはキリスト教排斥、クリスチャン迫害という形で起こるので、その艱 難に対して勇敢に立ち向かいなさいという激励のメッセージです。 「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれで しょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(1ヨハネ5:4-5)こ の、世に勝つ信仰を持たせるためにイエス様は十字架の意味を懇々と語られた のです。福音を宣教するにはイエス様の十字架は私のためだったという、個人 的なキリストへの信仰が不可欠です。 祝福を祈ります。