今日の聖句6月21日(月) 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信 頼しているからです。 イザヤ26:3 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注 がれた方は神です。 2コリント1:21 ***************************** ヨハネの福音書13章14節15節 主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなた がたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、 あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。 「互いに足を洗い合え」 イエス様が与えてくださった模範は、謙ることと、愛すことです。現実に足を 洗うだけでは、謙ることにも、愛すことにもなりません。一年に一度、洗足木 曜日に目上の人が目下の者の足を洗えば、洗っている方が身分が上だというこ とは一目瞭然です。場合によっては牧師が信者さんの足を洗えば、芝居としか 思われません。 13章4節に「上着を脱ぎ」とありますが、これは上着を全部脱いだという 言い方です。イエス様は上半身素っ裸になって、まさに奴隷の姿になって弟子 たちの足を洗ったのです。主(あるじ)の汚れを全部引っ被る奴隷の姿勢です。 それは芝居ではありませんでした。十字架上で弟子たちと私たちの全ての罪を 被って死んだのです。謙りの極みです。 13章1節に「イエスは、その愛を残るところなく示された。」と記録されて います。天地の造り主であり、永遠の救い主であるイエス様がお持ちになって いる愛の全てを実行されたのが、十字架の贖いであり、それを予表するのがこ の洗足儀式です。あなたの足の汚れは、私の足の汚れです。あなたの罪は私の 罪です。そのように極限まで、いいえ、極限を超えてイエス様は私たちに愛を 示してくださったのです。愛の極みです。 その上で、「あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなた がたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を 示したのです。」と訴えておられます。現実の意味で、私たちが謙る相手は、 家族であり、教会の兄弟姉妹です。私たちが愛す相手は家族であり、教会の兄 弟姉妹です。私はイエス様に対して謙っているからこのままで良いという詭弁 は通用しません。 祝福を祈ります。