今日の聖句6月20日(日) あなたのみこころを行なうことを教えてください。あなたこそ私の神であられ ますから。あなたのいつくしみ深い霊が、平らな地に私を導いてくださるよう に。 詩篇143:10 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。た だ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリス ト・イエスが私を捕えてくださったのです。 ピリピ3:12 ***************************** ヨハネの福音書13章4節5節 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる 手ぬぐいで、ふき始められた。 「イエス様の洗足」 有名な最後の晩餐の中でのイエス様の洗足物語です。最後の晩餐は聖餐式と直 結しています。聖餐式は私たちにイエス・キリストの十字架の死と復活による たましいの贖いを教える儀式です。この洗足物語はイエス様が弟子たちの足を 洗うという演技によって、罪の赦しとたましいのきよめを教えています。 この洗足物語の教訓の第一は、イエス様の十字架の死によるたましいの贖いの 効果は客観的であるということです。ペテロの例にあるように意味が分かって いても、いなくても、イエス様の一方的な贖いの御業です。イエス様が救い主 としての権威をもって為し遂げてくださった事実なのです。 教訓の第二は、ここに示された、イエス様によるたましいの贖い、きよめの御 業は私たちが天の御国へ入るために必要であり、極めて重要な不可欠なもので す。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」 (8節) と言われるほど、洗われなければイエス様との関係が生まれず。天の御 国に無関係なのです。(8節) 教訓の第三は、イエス様による贖いは十分であり、完全であるということです。 「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです」(10節) で教えられています。イエス様はただ1回の十字架の死で全人類の全ての罪を 赦したのです。あっちもこっちもとか、あの罪もこの罪もということはないの です。信じる前に犯した罪も、クリスチャンになった後に犯すかも知れない未 来の罪も全部赦されているのです。 祝福を祈ります。