今日の聖句6月19日(土) 私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえ られました。 詩篇73:23 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわた しの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。わたしと父とは一つです。 ヨハネ10:29-30 ***************************** ヨハネの福音書12章40節〜43節 「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、 彼らが目で見、心で理解し、回心し、そしてわたしが彼らをいやす、というこ とがないためである。」イザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見 たからで、イエスをさして言ったのである。しかし、それにもかかわらず、指 導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちを はばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。彼らは、 神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。 「信じられない理由」 教会へ来て、聖書を読み、牧師の話を聞いて、意味が分からないと言い、信じ られないという人があります。その理由の第一は「目で見、心で理解し、回心 し、そしてわたしが彼らをいやす」ことを拒むからです。特に回心しようとい う意志がないと聖書の意味は分からず、キリストがどういう御方であるかが分 からないのです。 信じられない理由の第二はイザヤの見た「苦難のメシヤが受けた神の栄光」に 関心がないために、信じられず、分からない、となるのです。世の中に数々あ る「美談」といわれるものはすべて犠牲が伴っています。 NHKの大河ドラマも 朝のテレビドラマも受難があり、苦難を乗り越えるところに魅力があり、人の 心を引きつけているので、十字架につけられたイエス様を見て平気でいる人は 信仰に入れないのです。 信じられない理由はの第三は、回心の気持ちもあり、キリストの十字架を見て 心を痛めても、人の目が気になり、仲間はずれにされるのが怖いと思うと、キ リストを信じる決心が付かなくなるというものです。クリスチャンになって救 われるよりも、クリスチャンになったと言って悪口を言われる方がもっと嫌だ、 という「人の栄誉を愛す」タイプの人です。 ヨハネの福音書はこの、12章の36節から50節の段落で、信じようか、信 じまいかと迷っている読者に、信じなかったユダヤ教徒たちの例を上げて、あ なたがたもユダヤ教指導者たちと同じなのか、信じる決心をできないユダヤ人 と同じなのか、しっかりイエス・キリストは主です、と告白して、救いを受け なさいとたたみかけているのです。 祝福を祈ります。