今日の聖句6月18日(金) 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。 創世記1:27 神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、 傷のない者にしようとされました。 エペソ1:4 ***************************** ヨハネの福音書12章24節25節26節 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死な なければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを 保って永遠のいのちに至るのです。わたしに仕えるというのなら、その人はわ たしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。 もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。 「一粒の麦」 一粒の麦とはイエス様のことです。豊かな実とはイエス様に従って一粒の麦と なるクリスチャンのことです。イエス様が死ぬことによってイエス様を手本と して生きるクリスチャンが生まれる。それによってイエス様は栄光を受けると いうことです。ついにイエス様が栄光を受けるときが来ました。 自分のいのちを愛するとは、自分の保身を優先にすることです。悪く言われた くない、安楽に生きていたい、犠牲はになるのは嫌だ。そういう気持ちで生き ていることが、自分のいのちを愛するということです。その結果は無意味な人 生になってしまうのです。 この世でそのいのちを憎む者とは、隣人の幸福のために支援し続けていく生き 方をする人です。それがイエス様に仕えて生きていくということで、犠牲を厭 わずに生きる生き方です。イエス様が死ぬことによって、犠牲を厭わずに生き るクリスチャンが続出してくる、そのようにして御父は御子に栄光を与えるの です。 私たちは自分の幸福を求めて、自分の幸福を失う者でなく、イエス様を愛して、 イエス様に仕え、自分の幸福よりも、他人の幸福を求めて生き、相手の幸福が 自分の幸福、相手の成功が自分の成功というように、幸福を共有する生き方に 目を向けさせていただきたいものです。イエス様がご自分のいのちを捨てて私 を幸福にしてくださったかのですから。 祝福を祈ります。