今日の聖句6月2日(水) 主は御民をかばい、主のしもべらをあわれむ。 申命記32:36 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつ までもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。 ルカ18:7 ***************************** ヨハネの福音書9章6節7節 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。 そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。「行って、シロアム(訳して言え ば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。する と、見えるようになって、帰って行った。 「彼は行って、洗った」 生まれつきの盲人が癒される場面です。つばきと泥が用いられていますが、ど んな意味が考えられるでしょう。泥には意味はありません。泥がまぶたに塗ら れると水で洗わなければならないということです。キリストのことばを信じる、 そして、信じたとおりにする。それで癒されるということが教えられています。 「彼は行って、洗った。すると、見えるようになった」のです。 昔、シリヤの将軍ナアマンがライ病にかかりました。イスラエルの預言者エリ シヤを紹介され、お共を連れて出向いていきました。エリシヤはナアマンに何 もしてくれませんでした。ただ、「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗 いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」 と伝言しただけでした。 将軍は怒って帰路につきますが、側近に「わが父よ。あの預言者が、もしも、 むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったの ではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』 と言っただけではありませんか。」そこで、ナアマンは下って行き、神の人の 言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どお りになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。とう話があります。 キリストのことばを信じてやってみる。その信仰が必要なのです。癒される人 救われる人自身の信仰と決断が求められています。「信じるならば救われる」 という聖書の教えであり、キリストの福音です。信じるだけで救われるという のは虫が良すぎると思うところを愚かになって信じて受け入れる、ということ です。 祝福を祈ります。