今日の聖句5月30日(日) ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をそのしも べに告げられるのですか。」 ヨシュア5:14 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがい る所に、わたしに仕える者もいるべきです。 ヨハネ12:26 ***************************** ヨハネの福音書8章31節32節 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、 わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」 「キリストの弟子」 クリスチャンとはキリストの弟子になって初めてクリスチャンです。洗礼を受 けてもキリストの弟子にならないならその人は真の意味ではクリスチャンでは ありません。クリスチャンの卵のような存在です。キリストの弟子とは一言で いって「イエス様のような人になりたい」という気持ちを持って生きている人 です。 この段落は私たちに自分がキリストの弟子であるかどうかをチェックさせてく れる絶好の聖書箇所です。先ず、キリストの弟子とはみことば留まっている人 です。自分の心の中にみことばの定位置を確保していて、与えられるみことば を受け入れる体制が整っていることです。心の中にイエス様の王座を常に確保 しているといっても良いかも知れません。 次のポイントはイエス様を信じることによって自由を確保していることです。 私たちの自由は、死と罪からの解放です。常に死の力に脅かされ、死んだらど うしようと死の恐怖に怯える状態や、継続的に罪を犯し続け、疑心暗鬼の中で 生きることからの自由であり解放です。 三つ目は主キリストに堅く結びつけられることです。「枝がぶどうの木につい ていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、 わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」ヨハネ15:4で す。私たちがイエス様にしっかり連なり、日々の交わりを楽しむことです。 牧師はクリスチャンを弟子訓練し弟子として立たせて初めて牧師です。 祝福を祈ります。